ウルグアイの国旗はどこかの国と似ている?太陽の意味や由来についてご紹介!

2018年10月29日 (2018年11月15日最終更新)

サッカーの聖地ウルグアイ。この国旗によく似ている国旗を持つ国があります。この国とアルゼンチンは深い関係にある国同士。同じ太陽神のシンボルが国旗にデザインされたサッカーの強豪国ウルグアイには、どんな歴史や見どころがあるのでしょうか?

目次

  1. ウルグアイ国旗と関係が深いアルゼンチン
  2. ウルグアイ国旗の由来は支援国アルゼンチンの国旗
  3. ウルグアイ国旗の太陽神インティとは?
  4. 空軍・陸軍で使われるウルグアイ国旗
  5. 国会で使われるウルグアイ国旗
  6. ウルグアイ国旗の歴史をたどろう1:シスプラティーナ戦争
  7. ウルグアイ国旗の歴史をたどろう2:パラグアイ戦争
  8. ウルグアイ国旗の歴史をたどろう3:民政への歴史
  9. ウルグアイ国旗とサッカーW杯
  10. ウルグアイ国旗に込められた独立運動の気迫は健在?
  11. ウルグアイはサッカーW杯開催のきっかけとなった国
  12. ウルグアイ観光で必見のスポット1:世界遺産「コロニア・デル・サクラメント」
  13. ウルグアイ観光で必見のスポット2:サルボ宮殿
  14. ウルグアイ観光で必見のスポット3:ウルグアイ国会議事堂
  15. ウルグアイ観光で必見のスポット4:モンテビデオのビーチ
  16. ウルグアイ観光で必見のスポット5:センテナリオスタジアム  
  17. ウルグアイの食文化
  18. ウルグアイ国旗とアルゼンチンに思いを馳せながら

ウルグアイ国旗と関係が深いアルゼンチン

サッカーW杯のウルグアイ・日本戦。記憶に新しいこの国ですが、いきなり見ると「ん?アルゼンチンの国旗?」と一瞬思う位似ている国旗です。支援国アルゼンチンの国旗をベースにデザインされたこの国旗、顔のある太陽は古代インカ帝国で祀られていた太陽神インティをかたどっているのです。

ウルグアイ国旗の由来は支援国アルゼンチンの国旗

ウルグアイの正式名称は「ウルグアイ東方共和国」。チリの次に南米では生活水準が安定しているといわれる国であり、畜産業が盛んな国でもあります。この国旗は独立後の1830年に制定されたもので、黄色い顔のある太陽は5月の太陽であり、古代インカ帝国の太陽神インティに由来しています。

ウルグアイ国旗の白と青のストライプが9本あるのは、独立の時にあった9つの州の意味。白い色は「平和」青い色は「自由」を意味しています。ウルグアイ国旗の太陽はまた、ラプラタ周辺の硬貨に由来していて、昔のインディオ、つまり古代インカ独立の歴史も象徴しているといわれます。

ウルグアイ国旗の太陽神インティとは?

古代インカ帝国、ケチュア族の人々があらゆる神々の頂点として崇めた太陽神インティ。この世界を創る基礎となる火・水・土を統治する絶対権力とされています。また太陽神インティには、昼「アプ・プンチャウ」という名称の世界の指導者、という意味もあります。雷光はこの太陽神が権力を表す行為ともいわれるそうです。

しばしば金の円盤に人の顔を描いたもので表現されますが、過去最大の太陽神インティの工芸品は1571年にスペインからローマ教皇に贈られたことがあるとか。ただしこの品は現在は消失してしまったそうです。そのほか、「インティライミ」という祭の名前を聞いたことがある方もいるかもしれません。

日本のシンガーソングライターであり俳優でもあるナオト・インティライミさん。彼の名前の意味は、ウルグアイ国旗の太陽神インティをまつるお祭り、「インティライミ」が由来だそうです。由来となったのは古代インカ帝国の首都で行われる歴史あるお祭りで、毎年多数の観光客が集まります。

空軍・陸軍で使われるウルグアイ国旗

ウルグアイのサッカーの試合などで掲げられるウルグアイ国旗以外にも、陸・海・空軍で掲げられる国旗が数種類存在します。ウルグアイ独立の歴史に残る人物由来の「アルティガスの旗」と呼ばれる国旗で、上下に青の横の帯、真ん中に白い帯、左上から斜めに走った赤い帯のウルグアイ国旗があります。
 

ホセ・エルバシオ・アルティガスと言う英雄が掲げた旗で、当時彼が再編した州・また1820年まで続いた同盟の旗でもあり、現在のウルグアイのエントレ・リオス州の旗ともなっています。

ブラジルからの独立を宣言した時に、33人のウルグアイ東方人が掲げた国旗と言われています。この国旗を円形にデザインしたものがウルグアイ空軍・陸軍で使われています。

国会で使われるウルグアイ国旗

政治の場、ウルグアイ国会では、アルゼンチン国旗に似た太陽神のある国旗、アルティガスの旗、そしてもう一つ「33人の東方人の旗」が掲げられます。こちらはフランス国旗と同じ色合いですが、フランスの国旗を右に90度回転させたものに「自由か死か」という意味のウルグアイ語が書かれたデザインです。

ウルグアイ国旗の歴史をたどろう1:シスプラティーナ戦争

ウルグアイ国旗の太陽の由来になった五月革命が始まると、もともとスペイン副王領だった国々は独立へと動き始めました。ウルグアイでは共和制を打ち立てようとする独立の歴史が幕を開けます。しかしスペインからの独立を果たしたと思いきや、今度はポルトガル軍の侵攻で首都を奪われる事態になり、シスプラティーナ戦争が勃発します。

しかしその後、ポルトガルから独立したブラジル軍からの攻撃を受けたときには、ウルグアイの戦力は十分に持ちませんでした。そこに援軍を差し伸べたのがアルゼンチンでした。ウルグアイとブラジルの戦争は、イギリスの介入により1828年区切りがつき、その2年のちにウルグアイは独立共和国としての歴史を歩み始めます。

ウルグアイ国旗の歴史をたどろう2:パラグアイ戦争

ウルグアイ・アルゼンチン・ブラジルの三国の同盟国と、パラグアイの間で行われたパラグアイ戦争。かなり凄惨な衝突として歴史に残るこの戦争は、当時のウルグアイの内戦にパラグアイの独裁者だったフランシスコ・ソラーノ・ロペスが介入したことがきっかけになって始まりました。

結果はパラグアイ側の敗北。アルゼンチンの大統領が3か月で終わると見込みをつけていた戦争ですが、1864年から約5年の月日を費やしました。政府の軍隊による戦いが終わった後でもゲリラ戦が長引き、捕らえられた捕虜の人々はサン・パウロ(ブラジル)の奴隷市場で売られることになりました。

ウルグアイ国旗の歴史をたどろう3:民政への歴史

戦争が終わるとヨーロッパ各国からかなりの数の移民がウルグアイに移住します。1900年にはウルグアイの人口は100万人ほどになったといいます。70年代前半になると共産主義の革命によるテロ活動が激化、1976年には国会が閉鎖され軍政が開始。その後、1984年に行われた大統領選挙から民政が始まったのです。

ウルグアイ国旗とサッカーW杯

ウルグアイ国民のサッカーへの愛は、日本人より強烈と言えそうです。W杯の日本戦の試合の中継時には、日本での視聴率が50%に達しました。しかしウルグアイでは、学校の先生も学生と一緒に観戦・応援するそうです。平日というのに大画面でサッカーの試合を流して応援する大学もあるなんて、日本ではありえないことです。

街中のウルグアイ代表チームへの応援ぶりも大変なものです。先のロシア大会ポルトガル戦の時は、幹線道路を走る車がほとんど皆無、バスにも乗客はなく皆家のテレビで応援していたとか。ベランダ・自家用車にもウルグアイ国旗、街頭でもウルグアイ国旗やウルグアイ代表のユニフォームを売る店が出ていたといいます。

ウルグアイ国旗に込められた独立運動の気迫は健在?

他国の侵略から祖国ウルグアイを勝ち取った先人の気迫は、国旗のみならず国歌にも反映されています。「オリエンタレス(ラプラタ川の東方に住む人々)よ、祖国か墓場か」という意味の歌詞で始まるウルグアイ国歌。本当は全部歌うと40分から50分の長さにもなるといいます。

アルゼンチンの援軍とともに乗り切った戦争の歴史を綿々と綴った、大作のウルグアイ国歌。代表チームのサッカーの試合などで流されるバージョンは2分程度ですが、非常に力強い言葉のウルグアイ国歌短縮版は「死に臨んでも自由を叫ぶのだ」という意味の言葉で終わります。ウルグアイのサッカーが激しい理由の一つかもしれません。

ウルグアイはサッカーW杯開催のきっかけとなった国

実はこのウルグアイ、あのサッカーW杯が開かれるきっかけとなった歴史があります。オリンピック大会で1924年・1928年と連続でウルグアイは優勝。サッカー人気が高まって、サッカーの世界大会を開こうという動きが起こったことが由来なのです。1970年に4強にランクインしたのちいったん優勝から離れていたウルグアイ。

2010年には再び4強に返り咲いて、サッカー強豪国のカムバックを印象づけました。そんなウルグアイのサッカー選手にはサッカーの歴史に残るであろう「悪童」選手も粒ぞろいです。ルイス・スアレスはじめハラルト・シューマット、スラベン・ビリッチ等多数いるので、これからも騒動が起こりそうです。

ウルグアイ観光で必見のスポット1:世界遺産「コロニア・デル・サクラメント」

人口2万人余りになるコロニア・デル・サクラメント。ウルグアイのコロニア県にある、歴史を感じられる街です。戦争の章でも出てきたラプラタ川のほとりにあり、川を挟んだ向こうにはアルゼンチンタンゴで有名なブエノスアイレスがあります。この街はウルグアイで初めての世界遺産になりました。

12ヘクタールという広さの中にスペイン・ポルトガルの建築様式が混在するこの街は、1680年にポルトガル人マヌエル・ロボによって建設されたもの。条約が結ばれるたびスペイン領になりポルトガル領になったりしたのがその原因といいます。また、対岸の街を拠点としていたスペイン軍との戦いの地になった歴史を持っています。

ウルグアイ観光で必見のスポット2:サルボ宮殿

1827年に建てられた、ウルグアイの首都モンテビデオでも人気のスポットです。英雄アルティガスの像も隣にあるので絶好の写真スポットになりそうです。ウルグアイ独立の際、1827から1828年の間につくられた独立広場とサルボ宮殿。当時は南米でも一番高い建物だったといいます。

その高さは95m。「宮殿」と名前がついていますが、イタリアからウルグアイに来た移民が先祖のサルボ家が、ホテルなどいくつかの施設のある複合施設として建てたものです。なんと現在はオフィス・住居として使われているとか。こんなゴージャスな建物に会社があるなんて、働いている人たちが羨ましくなるというものです。
 

ウルグアイ観光で必見のスポット3:ウルグアイ国会議事堂

ウルグアイの国会が開かれる国会議事堂。1925年に建造された荘厳な建築物です。主に使われているのはウルグアイ産の大理石。また内部にはイタリア輸入のステンドグラスの装飾が施され、圧巻の美しさを見せています。このウルグアイ国会議事堂を無料で見学するツアーが日に数回行われています。

ウルグアイ観光で必見のスポット4:モンテビデオのビーチ

ウルグアイの都市、モンテビデオにはかつて戦争の舞台ともなったラプラタ川が流れており、川沿いには数々のビーチがあり観光客などで賑わっています。このウルグアイの首都は日本人にはあまり馴染みがないかもしれませんが、気温も平均18度と過ごしやすいところです。またカジノ・ホテルなども多くある観光地です。

ポシートスビーチ

富裕層の人々が多い閑静な街に隣り合っている綺麗なビーチです。ウルグアイに来る観光客にも有名なところで、水泳だけでなくビーチバレーなどのスポーツの競技会がしばしば行われます。海水浴はもちろんのこと、ショッピングエリアも近くにあるので一石二鳥にも三鳥にもなりそうです。

パラヤ・デル・ブセオ

ラプラタ川の水は、川ですが塩水です。さらさらとした細かい砂の浜が長く続くビーチが川だというのがなんだか不思議です。遠浅なので水にも入りやすいのが嬉しいところ。街の中心部からはやや離れているものの、混雑しすぎないのでうんとのんびりしたい人にはぴったりです。

ウルグアイ観光で必見のスポット5:センテナリオスタジアム  

ウルグアイ憲法が発布されて100周年を記念する事業で建設されたものです。EstadioCentenarioと表記しますが、Centenarioはスペイン語で「100周年」を意味します。1930年7月18日、記念すべき初のサッカーワールドカップのウルグアイ戦が初めての試合となり、この大会でウルグアイは優勝しました。

初回のサッカーW杯でウルグアイが優勝したことが、FIFAワールドカップ決勝の聖地と言われる由来となった場所でもあります。また開場から53年経った1983年、FIFAが定めるサッカー歴史的建造物に指定。イギリスのウェンブリー、スペインのスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウなどとともに、歴史あるスタジアムの一つです。

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ウルグアイの食文化

ウルグアイは農業・畜産業が国の主要な産業で、独立してからも長い間、畜産品のモノカルチャー経済(生産・輸出が少ない数の一次産品で占められていること)が続いていました。今では19世紀から続く羊毛と牛肉の輸出で世界の中でも豊かな国となり、南米で最も物価が高いと言われる国でもあります。

シュラスコ

畜産が盛んな国のウルグアイでは肉料理が多いです。世界一肉好きな国民という人もいるくらいです。南米でよく食べられる肉の串焼き「シュラスコ」はアルゼンチン・ボリビアでもよく食卓に上ります。イタリア移民も多いためパスタもメジャーな料理。健康茶として知られるマテ茶を非常に好む国民でもあります。

エンパナーダ

また2枚目の写真のエンパナーダ。これはポルトガル語で具の入ったパン、ペイストリーといった意味です。「パンでおおう」の意のスペイン語・ポルトガル語の言葉が由来です。エンパナダスとも呼ばれ、国によって中身の具、生地の材料、大きさなどは様々なバリエ-ションがあります。

ウルグアイのエンパナーダは小麦粉が生地の材料。焼くか揚げるかして作られます。20世紀の中頃にイタリア・スペインの移民から伝わったものが由来といいます。一般的な中の具は牛肉ですが、オリーブやハーブで味付けした魚、お菓子といった意味合いが強く具もチョコレートが入ったバージョンもあります。

ドゥルセ・デ・レチェ

ドゥルセ・デ・レチェ。あまり聞いたことがない名前ですが、固体または半固体の液体キャラメルの意味です。南米の伝統的な糖菓で、お砂糖を牛乳もしくはヤギの乳と混ぜてゆっくり過熱して作ります。アイスクリームに混ぜたりトッピングにしたり、硬めのものがパックで売られていたりします。他の南米の国には固形で棒状になったものがあります。

ウルグアイ国旗とアルゼンチンに思いを馳せながら

ウルグアイ国旗に輝く灼熱の太陽。その後ろには独立への過酷な歴史という大きな由来があったのです。魅力的な建築や食文化、何といっても熱いサッカー愛が息づくウルグアイ。じっくり色々見ていたら目を奪われてしまいそうです。あなたも一度その地を踏んで、ウルグアイの歴史を肌で感じてみませんか?

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