エジプトの国旗の歴史とは?観光前に知っておきたい意味や由来も!

2018年12月14日 (2018年12月16日最終更新)

アフリカの北東部に位置し、ピラミッドやスフィンクスでお馴染みのエジプトは、長い歴史を持つ国です。エジプトの国旗は赤、白、黒の三色が並び、真ん中に鷲のマークが入っています。このエジプトの国旗には専制の歴史と革命に刻まれた深い意味が込められています。

目次

  1. エジプトってどんな国?
  2. エジプトの歴史
  3. エジプトの国旗
  4. エジプトの国旗の由来や意味
  5. 観光では要注意!
  6. エジプトの国旗の豆知識
  7. エジプト観光の豆知識
  8. 観光の際は要注意!エジプトの国旗には敬意を払おう

エジプトってどんな国?

エジプトはアフリカ北東部に位置する長い歴史を持つ国で、砂漠の中にありながらナイル川の恩恵に預かるところの多い観光国です。ピラミッドやスフィンクスは誰でも知っていますが、エジプトがどんな国かということは意外に知られていません。ここではそんなエジプトについて、歴史や観光、国旗の持つ意味や由来、鷲などの情報を交えて紹介します。

国名の正式名称は?

エジプトの正式名称はエジプト・アラブ共和国と言います。エジプトがイギリスの植民地から独立したのは1922年ですが、独立後もイギリスの間接統治が続き、王制が敷かれていました。

エジプト・アラブ共和国が誕生したのは1952年で、それまではエジプト王による専制政治が行われていました。1952年に、王室への不満や経済不況などが重なり、国内の不満が高まった結果、青年将校たちのクーデターによりエジプト王は追放され、王の専制政治からは無血で解放されました。

エジプトを表す漢字一文字

エジプトは漢字1字で「埃」と書きます。何故「埃」という字が使われるのか、本当のところは定かではありませんが、エジプトは春になると砂嵐が長く続くことがあること、砂漠が多いことが関係しているものと思われます。また、中国で使う「埃」という漢字の響きが「エジプト」に近いからと推測する人もいるようです。

国の特色や人種構成

エジプトは西はリビア、南はスーダン、北はイスラエルに隣接し、東は紅海を隔ててサウジアラビアにも近い位置にあります。エジプトでは、南北に流れるナイル川流域とそのデルタ地帯及びスエズ運河付近に人口のほとんどが集中しており、それ以外の場所はほとんどが砂漠です。

エジプト人の9割がイスラム教徒で、残る1割が土着の宗教とキリスト教の信者です。砂漠に囲まれたエジプトでは、夏になると気温が40度から50度になることもしばしばあります。

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エジプトの歴史

世界四大文明の一つであるエジプトでは、紀元前3000年頃より、強大な権力を持つファラオと呼ばれた王が支配する王朝国家が形成されていました。その後長い間王朝国家が続きましたが。紀元前4世紀にはアレクサンドロスに征服され、ヘレニズム国家の一つであるビザンツ帝国に継承されます。

7世紀にはイスラム勢力が進出し、ウマイヤ朝に支配され、長い間イスラムの支配が続きますが、16世紀にはオスマントルコの支配下となります。19世紀後半からはイギリスが進出し、エジプトはイギリスの植民地となります。

1922年には、エジプトはイギリスから独立し、エジプト王国が誕生します。しかし、独立後もイギリスの間接的な統治が続き、王室への不満や経済不況などが重なり、国内の不満が高まった結果、1952年には青年将校たちによるクーデターが起きます。

この無血のクーデターによりエジプトは共和制に移行し、1958年にはシリアとともにアラブ連合共和国が結成されます。その後エジプトがシリアに対し高圧的な態度を取り続けたため、1962年、シリアは脱退しましたが、エジプトはその後もアラブ連合共和国を名乗り通しました。

そして、1971年、エジプトはエジプト・アラブ共和国と改名します。1972年、エジプトは新たに、リビア、シリアとの3国でアラブ共和国連邦を形成しますが、1977年、エジプトの裏切り行為により連邦は解体します。

エジプトの歴史と国旗の関係は?

エジプトが独立した1922年にはエジプト王国の旗が作られました。この国旗は緑地に白で月と星がデザインされており、緑はマホメット(ムハンマド)のターバンの色、月と星もイスラムのシンボルです。この旗がエジプトの最初の国旗となりました。

1972年、3国によるアラブ共和国連邦が形成された時、アラブ共和国連邦旗が作られました。その旗の中央の鷹は「クライシュ族の鷹」と呼ばれていました。クライシュ族というのはイスラム教の開祖・ムハンマドの出身部族を指し、旗はこのクライシュ族に由来しています。

アラブ共和国連邦の解散後も「クライシュ族の鷹」と呼ばれた国旗はエジプトで使われていましたが、1984年に現在使われている「サラディンの鷲」に変わりました。「サラディンの鷲」は20世紀の汎アラブ主義のシンボルです。

エジプトの国旗

エジプトの国旗は赤、白、黒の三色が並び、真ん中の白の部分に鷲のマークが入っています。この国旗の3つの色や鷲のマークにはそれぞれ意味や由来があります。5000年の歴史を持つエジプトですが、王族支配や他国による支配の歴史が長く、独立国家としてのエジプトが誕生したのは20世紀に入ってからです。

国旗の色の意味

エジプトの国旗は赤、白、金、が並び、白の部分に金色の鷲のマークが入っています。赤は革命によって流された血を表し、白は明るい未来、黒は革命前の暗い過去を表しています。エジプトの市民が国旗に対して敬礼をするときは、「気をつけ」の姿勢で立ち、手と腕は体の横につけていなければなりません。

赤/白/黒と金色

国旗の3色の色にはそれぞれ意味や由来があります。赤は青年将校によるクーデターにより王制が倒された時の革命と国民の犠牲を表し、白は明るい未来と無血によって王の専制政治を打ち破った新しい時代の到来を表し、黒はイギリスによる植民地支配と専制君主によって抑圧されていた暗黒の時代の終焉、並びに敵の敗北をそれぞれ表しています。

三色旗の中央には金色のサラディンの鷲が描かれています。このサラディンの鷲がデザインされる1984年以前には、イスラム教の開祖・ムハンマドの出身部族を表すクライシュ族の鷹が描かれていました。

国旗の特徴

国旗の特徴である赤、白、黒の3色旗は、第一次世界大戦時に、オスマントルコに対するアラブの反乱で使われた反乱旗と同じカラーです。この3色は中近東やアフリカ大陸を中心としたアラブの多くの国々で使用されていることから、汎アラブ色と呼ばれています。アラブの国々はどの国もそれぞれの壮絶な戦いの歴史を持っています。

サラディンの鷲ってなに?

サラディンの鷲は、12世紀のアユーブ朝初代スルタン・サラディンを象徴しています。サラディンはシリアのクルド族であるアイユーブの出身で、エジプトとシリアを支配し、1187年にはイェルサレム王国を破り、更に第3次十字軍から聖地エルサレムを奪還した英雄です。

数々の戦勝と功績を残したサラディンは、カイロの王室から宮殿に召し出され、勝利王の称号と宰相にふさわしい金糸で縫われたターバンや、金を彫り込み真珠で飾った鞍などの貴重品を授かりました。このことからサラディンの鷲は金色で描かれているものと思われます。

エジプトの国旗の由来や意味

エジプトでは、オスマン帝国時代の16世紀初頭の旗は中央に3つの黄色の三日月が描かれた赤旗でした。1793年にはデザインが変わり、八角星と三日月がデザインされた緑の旗に替わり、1805年まで使われてきました。

1805年のムハンマド・アリ朝の時代になると、エジプトは事実上の独立国家となり、国旗は中央に白の三日月と3個の五角星がデザインされた赤旗に変更されました。3個の星はアフリカ、アジア、ヨーロッパでの勝利を表しています。

1882年にイギリスの保護領となったエジプトは、また国旗の変更を行い、左端に白い3個の五角星と三日月が描かれた赤旗に替りました。この3個の五角星と三日月はエジプト、スーダン、リビアの主権を意味しています。

1922年にイギリスがエジプトの独立を認めた際には、エジプトの国旗は中央に三日月と五角星が描かれた緑の国旗に替りました。これは、エジプトに住む人々の宗教であるイスラム教、ユダヤ教、キリスト教を表しています。

エジプト国旗の由来

エジプトでは、このように16世紀から何百年にも渡って政権や連合体などが変わる度に、国の意志を表す国旗に変更されてきました。いわばエジプトの国旗は、その時代の姿と国民の強い意志を端的に物語るシンボル的な存在となっており、国旗それぞれの由来があります。

1952年にクーデターによる共和制が生まれた後、エジプトは赤、白、黒の三色旗を使用するよになります。ナセルがアラブの指導者の地位を固めつつあった頃、彼は汎アラブ主義に基づき、シリアとの統一国家の建国を宣言し、その折、アラブ連合共和国の新しい国旗が作られました。その時の緑の2つの星はエジプトとシリアを意味しています。

そして1972年にはエジプトはシリア、リビアとともに、リビアのカダフィが提唱したアラブ共和国連邦に加入し、3か国で同じ旗が作られました。その時の旗が「クライシュゾ族の鷹」があしらわれた旗です。

1977年にアラブ共和国連邦は解体しますが、エジプトはこの旗を1984年まで使い続けました。そして1984年には、新たに「サラディンの鷲」が描かれた国旗が作られ、国旗の赤色は、アラブ共和国連邦の明るい赤からアラブ連合共和国が使っていた暗い赤に変更されました。

国旗にまつわるエピソード・風習

エジプトでは、国旗に対する強い思い入れや意志があり、それが国旗の風習やエピソードにも現われています。エジプトでは、国の記念日は勿論のこと、イスラムの週末である金曜日や祝日には必ずどの家も国旗を掲げる習慣があります。それだけ、エジプト人の国旗に対する気持ちが強いことを表しています。

エピソード

現在のエジプト国旗は革命で流された暗い血や抑圧の歴史そして未来への希望を表していますが、エジプトでは1993年に、日本でも人気のあったNHKの連続ドラマ「おしん」が放送されました。放送された年は、エジプトがイスラエルと戦った第4次中東戦争によって疲弊した後、たたみかけるように起こったエジプト地震の翌年でした。

何度も困難や不運に見舞われながらも立ち上がるおしんの姿に、エジプト人たちは大変勇気をもらったそうです。この番組はエジプトでも大変な評判を呼びました。

そして、「おしん」の姿に憧れたあるエジプト人男性が日本の女性と結婚すべく、来日したというエピソードまであるそうです。

風習は?

エジプトでは、金曜日、祝日、人民会議の開催日他、内務大臣が旗を掲げるように定めたすべての日に、政府の関係する建物には国旗が掲げられます。また、税関や国境検問所では、毎日国旗が掲げられており、国外にあるエジプト大使館や領事館では、祝日や国家の記念日、エジプト大統領の訪問時にはエジプト国旗が掲げられます。

エジプト国旗が誕生した背景

エジプトは1517年以降、オスマントルコの支配下にありましたが、1805年にオスマン帝国のムハンマド・アリ王朝の成立に伴い、エジプトはオスマン帝国からの事実上の独立を実現しました。その後、第一次世界大戦が勃発し、オスマン帝国はイギリスに敗北し、エジプトはイギリスの保護領となります。

1922年にエジプトが独立し、1952年にはクーデターによる共和制に移行します。そして、1972年にエジプト・アラブ共和国が誕生し、1984年に新国旗が作られ現在に至っています。

エジプト国旗の深い歴史

世界四代文明の一つであるエジプトは5000年も前から栄えてきました。エジプトの繁栄はナイル川の恩恵に預かるところが大きかったのですが、やがて他国の進入を許すようになります。巨大ローマ帝国による統治やオスマン帝国による支配、イギリスによる統治など、エジプトの長い歴史は抑圧の歴史と言ってもいいでしょう。

そんなエジプトの一大転機は、1922年、イギリスがエジプトの独立を承認し、エジプト王国ができたことでしょう。その時作られた国旗が、その後のエジプトの数々の由来を持つ国旗のルーツとなっています。
 

その後の国旗の変遷及び意味や由来については前述したとおりですが、現在の国旗は、アラブ統一の理念を表す3色の中に「サラディンの鷲」がデザインされたものとなっています。

観光では要注意!

日本ではエジプトに対するロマンや憧れが強く、エジプトへ観光する人も多いようですが、エジプトを観光する場合に注意すべきことがあります。それは、エジプト人が抱く国旗への思いは日本人の想像をはるかに上回っているということです。エジプト観光の際には、特にエジプト国旗を侮辱するような発言をすることのないよう、注意が必要です。

国旗を侮辱することは犯罪

エジプトでは、エジプト国旗や他国の国旗、シンボルも含め、その国を象徴するものを侮辱することは罪となり、国家に対する軽蔑と受け取られ、刑罰が科せられることがあります。実際にその罪を犯して罰せられた例もあるそうです。それだけエジプトの人々は国旗に対して多大な敬意を払っています。

エジプト国民は国旗に誇りをもっている!

エジプトでは、国旗に対する思い入れが日本人には想像もできないほど強いものがあります。それは、エジプトが過去に味わってきた様々な辛酸やできごとのすさまじさと、未来に対する希望や願望が入り交じった強い気持ちと意志の表れでもあります。国旗はエジプトの人々にとって自分の強い意志であり誇りなのです。

敬礼のポーズも決まってる!

エジプト人が国旗に対して敬礼をする時は、制服を着用して「気を付け」の姿勢で直立し、手と腕は体の横につけています。

国旗に対する思い入れの強いエジプト人ならではの風習ですが、過去に起きた様々な争いと抑圧の歴史を考えれば、国旗の持つ意味や由来がそれだけ大きいことを納得することができます。私たちはこのことを軽視したり笑ったりしないよう注意を払う必要があります。

エジプトの国旗の豆知識

エジプト革命は、1952年に種々の不満が募りその結果起きた革命ですが、その主翼を担ったのが、軍の秘密組織・自由将校団と言われています。そして、1953年に王制が廃止され共和制へと移行し、エジプト共和国が成立した時に作られた3色の国旗は、別名、エジプト革命の旗と呼ばれています。

鷲の下のリボンにはなんて書いてあるの?

現在のエジプトの国旗は、種々の変遷の歴史の後に作られた赤、白、黒の三色が並び、その真ん中に金色の「サラディンの鷲」がデザインされており、この鷲の下にはリボンがあります。そのリボンには1971年に改められた「エジプト・アラブ共和国」の国名が記されています。

中東の国旗が似ている理由

前述のとおり、エジプトの国旗には汎アラブ色と呼ばれる赤、白、黒の3つののカラーが用いられています。この3色は他の多くのアラブ諸国でも用いられており、緑が加えられたりしている国もあります。

アラブ諸国は同盟を結ぶなど、政治的にも経済的にも国同士が結託しながら自分たちの国を守ってきた歴史があり、同一の国旗を使った国もあり、同じ志を持つ国同士ということもあって汎アラブ色が好まれ、国旗も似たものになっています。

エジプト観光の豆知識

エジプト観光は日本人の憧れの一つです。多くの日本人が数千年前に作られたピラミッドを一目見たいと思っています。では、日本人はそんなエジプトについてどれほど知っているかというと甚だ疑問です。

エジプトは人口が7000万人弱で、首都はカイロです。カイロ以外にも地中海に面したアレクサンドリアや古い神殿のあるルクソール、アブシンデル宮殿のあるアスワンなどが有名な都市で、すべてナイル川沿いにあります。

主要言語はアラビア語ですが、ホテルなどでは英語が通じます。通貨はエジプトポンドです。エジプトの面積は100万平米と日本の約2.6倍ですが、大部分は人の住んでいない砂漠となります。カイロには、ツタンカーメンなどが保管されるカイロ博物館があります。

観光の際は要注意!エジプトの国旗には敬意を払おう

エジプトを観光する日本人客は治安の良し悪しによって増えたり減ったりする傾向にありますが、日本人のピラミッドやスフィンクスのあるエジプトに対する憧れは昔から強いものがあります。ここではそんなエジプトの国旗について、観光や歴史、国旗の持つ意味や由来などの情報を取り入れながら説明してみました。

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この記事のライター
南真州