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吉野ヶ里遺跡へ行こう!アクセス方法は?気になる歴史を徹底調査!

吉野ヶ里遺跡へ行こう!アクセス方法は?気になる歴史を徹底調査!

吉野ヶ里遺跡は弥生時代最大級の環濠集落遺跡として歴史の教科書にも載るほどの場所です。現在は歴史公園として整備され、多くの遺構が復元されています。そこで吉野ヶ里遺跡へのアクセスや歴史的意義、見どころなどにについて調べてみました。

吉野ヶ里遺跡を知っていますか?見出し

青森県の三内丸山遺跡が縄文時代の代表的な遺跡なら、弥生時代の代表的な遺跡として有名なのが吉野ヶ里遺跡です。日本最大の環濠集落跡が出たということで、現在では歴史の教科書にも載っている吉野ヶ里遺跡について、その歴史や人気の秘密を紹介します。

吉野ヶ里遺跡はどこにある?見出し

吉野ヶ里遺跡は佐賀県神埼郡吉野ヶ里町、神埼市にまたがっています。佐賀県の東部にあって、福岡県との県境となっている脊振山地の南麓に広がる吉野ヶ里丘陵に位置しています。1990年に国の特別史跡となり、現在は国営吉野ヶ里歴史公園という形で整備され、人気の観光スポットとなっています。

吉野ヶ里遺跡へのアクセス見出し

JR利用

吉野ヶ里遺跡へのアクセスですが、JR、バス、車の3つのアクセス方法があります。まずJRですが、最寄り駅が2つあります。1つはそのものずばり「吉野ヶ里公園駅」。もともと「三田川駅」だったのですが、吉野ヶ里遺跡の発掘が進んだことで、観光スポットとして人気が高まったことから、1993年にこの名前になりました。

吉野ヶ里公園駅はもともとは普通列車のみが停まる駅でしたが、現在1往復だけですが特急列車の「みどり・ハウステンボス」も停車します。この駅から吉野ヶ里遺跡東口までは約700メートルです。九州新幹線を利用する場合は新鳥栖駅で在来線乗り換えになりますが、こちらの駅のほうが近いです。

一方、佐賀駅から行くならば、吉野ヶ里公園駅よりも神埼駅の方が一つ手前になります。こちらは普通列車のみ停車です。神埼駅からは吉野ヶ里遺跡西口まで約600メートルとなります。なお、この駅は弥生時代の高床式倉庫をイメージした形となっています。

バス利用

バスでアクセスする場合は2つのアクセス方法があります。1つは路線バスを使う方法で、西鉄久留米駅、JR久留米駅と佐賀駅を結ぶ西鉄バス40系統に乗ります。最寄りのバス停は「田手・吉野ヶ里歴史公園南」となります。ここから300メートルほど行くと公園の入り口に着きます。

もう1つは高速バスを使う方法です。福岡国際空港から佐賀第二庁舎まで行く高速バスが一日1往復あるのですが、このバスが吉野ヶ里遺跡の近くを通ります。バス停は「吉野ヶ里歴史公園前」です。飛行機を使って行く予定で、時間が合うならば、このアクセスもおすすめです。

車利用

車でのアクセスについては、佐賀、熊本方面からは国道を利用、福岡方面からは長崎自動車道を利用します。最寄りICは東脊振ICで、ここから吉野ヶ里遺跡までは約5分と至近です。なお、福岡国際空港からは高速道路利用で約1時間、有明佐賀空港からは約40分見ておくといいでしょう。

吉野ヶ里遺跡の発見見出し

そもそも吉野ヶ里遺跡の場所からは、昭和に入ったころから弥生式土器や甕棺墓などが出土しており、研究の機運もありました。1970年代になり、農地や果樹園などを作るためにこの地を掘ったところ、広い範囲に甕棺が出土するようになり、さらに高校の移転改築の候補地となった時には、遺物が出ていることから計画が白紙になったこともあります。

1980年代になり、佐賀県では吉野ヶ里丘陵の南部に工場団地を作る計画を立てます。それに伴って1982年から事前調査が行われることになりました。1986年からの本格調査で、この遺跡が非常に広大であることが判明したことから、工場団地計画は縮小されました。

この結果、この遺跡の認知度があがり、1989年になり、吉野ヶ里遺跡についての報道が大々的に行われるようになったことで、多くの考古学ファンや観光客がこの地を訪れるようになりました。そのため、県はこの遺跡の部分の開発を中止、現在に至ります。1990年に史跡指定、1991年に国の特別史跡指定となり、1992年には国営歴史公園の整備が閣議決定されました。

吉野ヶ里遺跡の歴史見出し

では、なぜこの地に大規模な遺跡ができたのでしょうか。一般的に吉野ヶ里遺跡は弥生時代の遺跡として知られていますが、実際には縄文時代の後期あたりから人が住み始めたと推定されています。

縄文時代の前期は温暖な気候の時期で、縄文海進と言われる海面上昇がありました。そのため有明海が現在よりも内陸まで入っていたと考えられます。そのため吉野ヶ里遺跡のある吉野ヶ里丘陵のすぐそばまで海が入ってきていたうえ、遠浅の干潟があったことから、筑後川などの水運を利用することができ、貝などの食料が豊富に手に入る状況にあったようです。

紀元前4世紀ごろになると、この丘陵に集落が形成され始めます。この集落が大規模な集落に発展していくことになるのですが、その過程で丘陵地帯を囲む環濠集落が作られるようになりました。3世紀ごろには環濠が拡大、強化され、内部が二つに分かれ、最盛期を迎えました。

しかし、古墳時代に入ると、戦乱が治まることで防御施設や高地性集落の必要がなくなったこと、また、海岸線が遠ざかったことで、集落は消滅します。近畿などの他の環濠集落と同様に、吉野ヶ里遺跡も人がいなくなります。丘陵の上は墓地となり、人々は離散して平野部に住むようになるのです。

なお、「吉野ヶ里」という地名があることから、奈良時代以降、この土地には条里制が敷かれていたことがわかっています。またこの地には神埼郡の役所のような役割を持つ施設があったと推測されています。

吉野ヶ里遺跡の歴史的意義見出し

この吉野ヶ里遺跡がなぜこれだけの多くの人の人気を集めるのでしょうか。何といっても吉野ヶ里遺跡の歴史的意義として大きいのは、日本最大級の環濠集落遺跡であるという点、そして弥生時代すべての時期の遺物、遺構が出てきているという点です。

前述したように、吉野ヶ里遺跡のある丘陵には、弥生時代を通じて人が住み、その集落が巨大化していきました。つまり、小さな集落からムラへ、ムラからクニへと変化していく姿がそのままわかるという珍しい特徴があります。

環濠集落そのものは、稲作文化と共に大陸から伝来したものとされていますが、縄文時代の遺跡などにも見られます。しかし吉野ヶ里遺跡には約50ヘクタールにも及ぶ大規模な環濠集落があったことが知られており、しかもピークの時期には外壕と内壕の二重の環濠が作られていました。外側の環濠は深いV字型で、内外には逆茂木や木の柵、土塁などが配置されていて、40ヘクタールにもなる範囲を囲んでいます。

さらにこの内側の郭部分は北内郭、南内郭の二つに分けられ、その中に建物がまとまっていました。環濠の中には物見やぐらも複数置かれています。これらから、敵の侵入を防ぐための威嚇や見張りといった機能があったこともわかりました。

さらに、発掘の際に出てきた甕棺墓の中の人骨には、矢じりが刺さったものや怪我をした形跡があるもの、中には首から上がないものなどがありました。これらはいくさで亡くなった人々のものと推測されます。『魏志倭人伝』の中に出てくる「倭国大乱」の状況を直接示すものと考えられるのです。

吉野ヶ里遺跡は歴史公園に見出し

現在、吉野ヶ里遺跡周辺は、国営吉野ケ里歴史公園として整備が進められています。といっても現在もまだ発掘が進められているため、発掘がすんだところから遺跡を盛土で保存し、その上に復元施設などを建てるという方法で整備が進んでいます。

公園の内部は大きく3つのゾーンと、レストランや売店のある入り口ゾーンに分けられています。「環濠集落ゾーン」は遺構の復元のほか発掘などを見学できるゾーン、「古代の原ゾーン」ではレクリエーションが行われるほか、古代米の水田などを見ることができます。「古代の森ゾーン」は2013年にオープンしたゾーンで、当時の植生が再現されています。

吉野ヶ里遺跡の見どころ見出し

遺跡

吉野ヶ里遺跡に観光にくるという方に一番人気なのがこのゾーンです。現在吉野ヶ里遺跡内には物見やぐら、高床式倉庫、竪穴住居などが98棟復元されています。しかもその場所は遺跡が出た真上。つまり弥生時代の人々が見ていたのと同じ景色が目の前に広がっているのです。

まずは南内郭へ。ここは支配者層が住んでいたエリアとされており、12メートルの高さの物見やぐらに登ることができます。まずはここに登って全体像を見てみましょう。観光客にも考古学ファンにも人気です。

次に北内郭に行きます。こちらは祭祀が行われていたエリアとされています。ここの祭祀の結果は吉野ヶ里周辺の地域にも関係があり、田植えや稲刈り、市の日取りなども決められていたと推測されています。ここにある高床住居には祭祀をつかさどる人が住み、ふだんは姿を見せなかったと言われます。

北墳丘墓は、吉野ヶ里の歴代の王が埋葬されている場所と考えられています。この丘そのものが人工的に造られた丘であり、中からはガラス製の管玉や銅剣などが一緒に出てきました。ガラスの管玉は中国の原料で作られていることがわかっており、貴重な品だと言われます。

なお、遺跡からは多数の遺物が出ており、1998年には九州で初めて銅鐸が発掘されました。また、銅剣に関しては、一般的なものと違い、全体が青銅でできている珍しいタイプです。これらは展示室で見ることができるのでぜひ間近で見てみましょう。

体験

吉野ヶ里遺跡を観光したら参加したいのが体験イベントです。勾玉づくりや火おこし体験などは毎日できますし、土日限定では鏡や銅鐸などを製作するプログラムも用意されており、人気があります。

中でも人気の体験イベントは宿泊体験です。これは古代衣裳である貫頭衣を着て古代米の田植えや稲刈りをし、火おこしをして弥生式土器でご飯を炊いて食べるというもの。勿論食器は竹で作ったもの、泊るのは竪穴式住居の中なのです。じっくり観光したいという方には人気のイベントです。

これらのイベント一覧は公式サイトから確認できますが、毎週のようにさまざまなイベントが行われますので、それらに参加して弥生人になりきるのもいいでしょう。事前申し込みが必要なものもありますので、参加してみたいイベントがあったら、早めに確認しておくといいです。

邪馬台国と吉野ヶ里遺跡見出し

物見やぐらや集落を巡る城柵、これらは『魏志倭人伝』という古い歴史書に出てくる、邪馬台国の卑弥呼が住む集落に似ています。そのため、この遺跡が出てきたときには、この地が邪馬台国に関連するのではという意見も出されました。

歴史ファンの方ならば、邪馬台国には畿内説と九州説があることをご存知でしょう。もちろん、この点に関してまだ結論が出たわけではなく、北九州にいくつかあった「クニ」の一つではないかという意見もあります。これからの発掘によって何かヒントが出てくるのか注目です。

吉野ヶ里遺跡で弥生時代を知る見出し

吉野ヶ里遺跡は弥生時代の遺跡としてはとても有名で、たくさんの観光客が訪れる場所となりました。歴史が好きな方はもちろん、あまり詳しくないという方でも存分に楽しむことができる場所です。ぜひ九州に観光に行くならば、吉野ヶ里遺跡で弥生人体験をしてみてください。

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投稿日: 2017年9月15日最終更新日: 2020年10月7日

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