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京都の「御土居」とは?ブラタモリでも取り上げられた注目の史跡を紹介!

京都の「御土居」とは?ブラタモリでも取り上げられた注目の史跡を紹介!
投稿日: 2017年10月31日最終更新日: 2020年10月8日

豊臣秀吉は京都を土で作った御土居で囲みました。その御土居は今でもその一部が残っており、テレビ番組などで取り上げられたことで注目されるようになりました。そこで御土居とはどういうものか、またどこに行けば見ることができるのか、調べてみました。

「御土居」を知ろう見出し

京都は古い歴史が今に息づく街ですが、平安時代の十二単や寝殿造、室町時代の寺社などがよく知られています。その京都が、ヨーロッパの城郭都市のように囲まれていたことがあるって知っていますか? それを今に伝える御土居について、歴史的意味や見どころなどについて紹介します。

「御土居」とは見出し

御土居というのはその字のごとく、土で作られた囲みのことです。世界史などで、ヨーロッパの都市が城郭で囲まれていた、という話を聞いたことがあるかもしれませんが、京都も城郭都市だった時代がありました。豊臣秀吉の時代、京都は「御土居」と呼ばれる土塁によって、街を取り囲まれていたのです。

「御土居」の歴史見出し

御土居は豊臣秀吉が行った京都改造事業の一つで、1591年に作られました。秀吉の時代に書かれた図面などはないのですが、現在のこる遺構や江戸時代の絵図を利用することで、ほぼその場所があきらかになっています。

御土居によって囲まれたスペースは南北約8.5キロ、東西約3.5キロの縦長になっており、秀吉はこの中を洛中、外側を洛外と呼ぶことにしたと言われます。御土居の全長は約22.5キロにもなりました。洛中と洛外をつなぐ道の部分は出入口として開けられていました。

しかし、豊臣秀吉が亡くなり、豊臣政権が崩壊し、江戸時代になると、道路を分断した御土居の部分は壊されて出入口が設けられるようになりました。さらに街がひろがったり、1670年に寛文新堤ができたりすると、御土居の役割がなくなり、寺社や公家に払い下げられて取り壊されていきました。

さらに明治になり、それまで幕府によって管理されていたところも民間に払い下げられると、御土居の部分は畑などに転用されるようになり、さらに市街地の拡大に伴い、御土居は破壊されました。1930年、その破壊をとめるために8か所が、ついで1965年に1か所が史跡に指定され、現在に至ります。

「御土居」を作った理由見出し

ではなぜ、御土居は作られたのでしょうか。豊臣秀吉がそのことについて語った書状や文献などは現存していないので、推測の域を出ませんが、いくつかの説があります。それを紹介します。

防御

最初にヨーロッパの歴史に出てくる城郭都市の話をしましたが、京都の場合も城郭都市のように防御のために御土居を築いたという説があります。日本の場合、街の周りを囲むということはあまりありませんが、城の周りに堀があったり、自然の川や土塁などで城下町を囲んだりなどが行われたところもあります。これを惣構と言います。

豊臣秀吉が御土居を築こうと考えたころの京都は、応仁の乱で荒廃しており、上京と下京にわかれ、さらにそれぞれに惣構が作られていました。秀吉はこれを破壊し、大きくかこむ御土居を築くことで、京都の街を拡大しようとしたというのです。

ただ、この御土居には竹が植えられていたため、視界が遮られている上、上を移動するのは難しい、また出入口の部分も侵入者がいたときにそれを防ぐようなものがない、など、防御の面から見ると不十分な点もあると言われます。

堤防

御土居の東側の部分は鴨川に沿って北へ長く伸びています。それは鴨川が氾濫した場合、京都の市街地に水が流れ込んでしまうためでした。ですから、それを防ぐために御土居が築かれたと考えられています。

洛中の範囲

これは『拾遺都名所図会』に『室町殿日記』から引用、紹介されている説ですが、「洛中の境」がはっきりしないことに気づいた豊臣秀吉が、都の境界を末代まで定めようと考えて御土居を作ったというものです。前述した通り、当時は京都が荒廃していたので、復興する範囲を確定する意味があったのではないかと言われています。

御土居と七口見出し

ところで、御土居の説明のところで、洛中と洛外を分ける出入口が作られたと書きましたが、この出入口のことを「口」と言います。もともと口はあったのですが、御土居が作られた時に出入口部分を「口」と表現したことで、一般に広まったと言われます。

この口は「京の七口」と呼ばれ、現在も地名に残っています。代表的なものとしては鞍馬口、大原口、荒神口、粟田口(三条口)、伏見口(五条口)、竹田口があげられます。ただし、御土居にあった「口」は実際には十あったとする説もあり、「七」は実際の数字というよりは「五畿七道」の「七道」につながる道という意味合いだとも言われます。

「御土居」はどこにある?見出し

さて、この御土居ですが、前述したように、京都の街が拡大するのに伴い、破壊されていきました。そのため現在9か所が史跡に指定されました。史跡に指定されたのは京都の沿革を知るためだけではなく、都市の発達を知る上で歴史的に重要なものと位置づけられたためです。

この9か所のほか、大宮交通公園の中や北野中学校などにも御土居が部分的に残っています。それらは史跡に指定されてはいないものの、実際に御土居を見ることができる場所として知られています。また、京都市では御土居跡を見学するためのマップを作成しています。

「御土居」を見る①寺社など見出し

それでは、実際に御土居が見られる場所をいくつか紹介します。まずは寺社で見られる場所を紹介していきましょう。寺社で御土居が残っている場所は多く、織田信長、信忠父子などが葬られている阿弥陀寺、紫式部の住居跡と言われる蘆山寺などでは、その場所がはっきりわかります。

この中で最も有名なのは北野天満宮です。北野天満宮というと、菅原道真を祀り、学問の神様として知られており、さらに北野天満宮の梅や紅葉は、多くの観光客が集まる見どころとして知られています。

この北野天満宮のもみじ苑に御土居があります。北野天満宮の西側、紙屋川に沿った場所に造られているのです。この御土居と約250本の自然林が、秋になると美しい紅葉となり、見どころとなるのです。1965年、この北野天満宮の御土居は史跡指定となりました。北野天満宮の御土居は頂部に見晴らし台があり、土塁を造った際に植えられたというケヤキの木が残ります。

北野天満宮はもみじ苑なので、公開される時期が限られます。具体的には秋の紅葉の時期ですが、4月の半ばから5月いっぱいぐらいまで、青もみじということでの公開も行われます。期間中は宝物殿の公開なども行われており、また茶菓子などもふるまわれるため、御土居と紅葉の見どころをお茶をいただきながら見るということができるのです。

北野天満宮のほか、史跡指定となっている寺社の御土居としては、前述した蘆山寺の御土居もよく残ります。墓地の東側に約50メートルほど残っており、実際に土塁に登って見学することもできます。土塁の上からの景色が見られるのは見どころの一つと言えるでしょう。

また、同じく史跡指定となっている市五郎稲荷神社は、御土居そのものがご神体となっている珍しい神社です。社殿は土塁に接しており、参道部分が堀跡だとされています。これも実際に御土居を体験できる見どころスポットです。

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「御土居」を見る②公園など見出し

御土居は公園の中にも現存しています。大宮交通公園と、そのものずばりの御土居史跡公園が見どころです。大宮交通公園は史跡指定はされていませんが、南側に御土居が残っています。さらに脇には平一稲荷神社があります。ただし、御土居への立ち入りはできません。

御土居歴史公園のほうは佛教大学の北にあります。公園ということで、遊具などが並ぶ姿を想像するかもしれませんが、実際には丘の上にベンチがあるだけです。しかしその丘こそが御土居の上の部分、つまり御土居の土塁の上に上がることができるのです。

実際に上がってみると、その高さを体感できるほど。歴史ファンで御土居の実際の防御能力を感じたいという方にはぴったりの見どころと言えるでしょう。ぜひ実際に御土居の上に上がってみてください。

「御土居」を見る③その他見出し

公園や北野天満宮などの寺社のほかにも御土居が残る部分はあります。その中で見どころとしておすすめなのは、大宮公園の近くにある玄琢下のところです。外からしか見ることはできませんが、史跡指定されている御土居の中でもっとも保存状態がよく、約250メートルにわたって御土居が残っています。

また北区平野鳥居前町、北野天満宮の北にある御土居は、土塁部分に芝が植えられているため史跡指定されている所の中でもっとも形状がわかる上、そこから出土した石仏が祀られています。

御土居は歴史を伝える見出し

御土居は豊臣秀吉からの歴史を今に伝える貴重な史跡です。前述したように、京都市では御土居巡りのためのマップを作成しているので、もし行くならばそれを参考にするとよいでしょう。実際に御土居に上がって、歴史に思いをはせてみませんか。

投稿日: 2017年10月31日最終更新日: 2020年10月8日

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