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長宗我部信親は元親の嫡男!墓は大分に?戸次川の戦い・幼名を探る旅!

長宗我部信親は元親の嫡男!墓は大分に?戸次川の戦い・幼名を探る旅!
投稿日: 2017年2月28日最終更新日: 2020年10月7日

戦国時代の四国の覇者として有名な長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の嫡男である長宗我部信親(ちょうそかべのぶちか)。美男子であり、才気も備えていた長宗我部信親の墓の場所から、墓以外にある史跡、彼が戦死した「戸次川の戦い」や彼の幼名を探る旅をご紹介します。

長宗我部信親を探る旅へ-どんな人?お墓はどこに?-見出し

土佐の長宗我部信親(ちょうそかべのぶちか)という歴史上の人物ご存知でしょうか。有名な方なのでご存知の方も多いと思います。信親は、戦国時代に活躍した才気あふれる人物であり、大将になる器もあり、織田信長が信親のことを養子にすることを考えたことがあるほどの人物とされています。また、四国統一をしたことで有名な土佐国の戦国大名であった長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の嫡男でもあります。さらに、『土佐物語』では、身長は「背の高さ六尺一寸(約184cm)」、容貌は「色白く柔和にして」「詞すくなく礼儀ありて厳ならず」と記されており、才色兼備の美少年であったことがわかります。今回はそんな魅力あふれる人物である長宗我部元親にゆかりある高知県の土佐や大分県の観光場所、お墓などの史跡をご紹介していきたいと思います。

長宗我部信親ってどんな人?見出し

さて、長宗我部信親にゆかりある観光地やお墓などの史跡の紹介の前に信親について簡単に説明させていただきたいと思います。人物について知識をつけておくことで、観光地に出向いたときにより一層楽しくなりますよ。信親の幼名や、土佐国の戦国大名であり四国統一を成し遂げた長宗我部元親の嫡男であること、信親が戦死した戸次川の戦いなどについてをご紹介していきます。

長宗我部信親の幼名は見出し

長宗我部信親は幼少の頃から聡明であったといわれています。そのため、父である長宗我部元親からも将来を期待されていました。幼名は「千雄丸」であり、信親の祖父の国親の幼名と同じであるそうです。弟の盛親も幼名が同じであったともいわれています。そして、幼名を名乗っていた信親は、1575年に元親が織田信長と親しい関係を結ぼうとしたとき、信長を烏帽子親(えぼしおや)として信長の「信」を与えられ、「信親」を名乗ることになったとされています。土佐の元親がわざわざ織田信長に頼むことは珍しいことで、そこからも信親がどれだけ元親に期待されていたかがうかがえます。ちなみに上の画像は幼名の名付け親である長宗我部元親の像「初陣の像」です。

長宗我部信親が戦死した戸次川(べつきがわ)の戦い見出し

長宗我部信親は戸次川(べつきがわ)の戦いにおいて戦死しています。戸次川の戦いとはどういった戦だったのでしょうか。紹介していきたいと思います。戸次川の戦いは豊臣秀吉率いる九州征伐の最中に、島津勢と長宗我部元親・信親、仙石秀久、大友義統、十河存保率いる豊臣勢の間で行われた戦いです。信長はその戸次川の戦いで鈴木大膳に打たれ、22歳という若さで命が立たれました。父親である長宗我部元親は信親のことを寵愛していたため、信親の死にとても悲しみに暮れたといわれています。

秦神社ー戸次川の戦いにおける戦没者のお墓ー

戸次川の戦いにゆかりのある神社に秦神社があります。この神社の主祭神は長宗我部元親と長宗我部信親であるといわれています。長宗我部氏は元来、秦始皇帝を祖とするとされています。この神社には信親を含む戸次川の戦いにおける戦没者の墓、盛親の慰霊碑があるそうです。下は秦神社の動画です。秦神社の外観を具体的にどのような場所か知りたい方はぜひご視聴ください。

住所:高知県高知市長浜857-1 TEL:088-841-2464(若宮八幡宮)

長宗我部元親の嫡男として見出し

長宗我部信親は長宗我部元親の嫡男です。元親は四国統一を果たしたことで有名な土佐国の戦国大名です。しかし、四国統一を果たした同じ年に、織田信長、豊臣秀吉に四国を没収され土佐一国のみ残されたとされています。その後、九州征伐に従軍し、戸次川の戦いで嫡男である信親を失っています。それと同時に元親の覇気も失われたとされており、信親に対する想いや将来に対する期待が大きかったことがわかります。それだけ信親が才気、将来性のある人物であることもわかりますね。元親は1599年に伏見屋敷で死去しています。

長宗我部元親を探る旅へ見出し

嫡男である長宗我部信親を寵愛していた長宗我部元親に対して興味がわいた方も多いのではないでしょうか。元親は四国統一を成し遂げたことで有名な人物。現在にもゆかりある史跡がたくさん残っています。信親の前に元親にゆかりある観光場所もご紹介していきたいと思います。

長宗我部元親を探る旅①長宗我部元親の墓見出し

元親にゆかりある観光場所の一つ目は「長宗我部元親のお墓」。元親のお墓は高知県にあります。高知県指定の史跡としても認められている場所です。長宗我部元親のお墓に行って、元親の一生を考えてみてはいかがでしょうか。上の画像は実際のお墓を撮影されています。

長宗我部元親の墓

下の動画では長宗我部信親の墓周辺が撮影されています。 具体的にどんな場所か知りたい方はぜひご視聴ください。

下の画像も、元親のお墓の画像となっています。立派な外観ですね。

所在地:高知市長浜天甫寺山 TEL:088-832-7277(高知市教育委員会民権・文化財課)

長宗我部元親を探る旅②初陣の像見出し

長宗我部元親のお墓がある高知県には、「長宗我部元親初陣の像」もあります。地元の「一両具足会」が中心となり、没後400年記念に1999年に建立された像です。堂々たる立ち姿の銅像からは当時の元親の勇ましさが感じられます。22歳の時に初陣を迎えた元親が、合戦に挑む前日の夜に、若宮八幡宮に陣取った姿、堂々と前に伸ばされた左手で足元に広がる四国をつかみとろうとしている姿を表現しています。勇ましい元親の銅像を高知へでむき、みてみてはいかがでしょうか。上の画像は、「長宗我部祭り」というお祭りの際の時の様子です。「長宗我部祭り」については、「長宗我部元親を探る旅④長宗我部祭り」でご紹介します。

所在地:高知県高知市長浜6600(若宮八幡宮外苑) TEL:088-841-2464 (若宮八幡宮)

長宗我部元親を探る旅③愛馬の塚-「内記黒」の墓見出し

まだまだあります、元親ゆかりの観光場所。次にご紹介するのは高知県にある元親の「愛馬の塚」。秀吉から拝領した馬「内記黒」の墓であるといわれています。上の画像は愛馬の塚です。石の風貌からも長い年月の間、存在することが伝わってきますね。

所在地:高知県高知市長浜5083

長宗我部元親を探る旅④長宗我部祭り見出し

「長宗我部まつり」では元親初陣の地「長浜」を舞台に、勇壮な武者行列や鉄砲隊の演武などがおこなわれます。地域のグルメ屋台も軒を並べるので心もおなかも満たされること間違いなしです。

長宗我部信親を探る旅へ見出し

それではいよいよ、長宗我部信親を探る旅をご紹介していきたいと思います。大分県や高知県にある信親にゆかりある観光地をいくつか順にご紹介します。上の画像は歌川芳虎『加藤清正長宗我部信親一騎討之図』です。

長宗我部信親を探る旅①長宗我部信親墓所見出し

長宗我部信親の父である長宗我部元親が家臣に命令し、薩摩郡に埋葬されていた信親の遺体をもらい受け浦戸の天甫寺に葬り、塔を建て供養していたそうです。そして、長宗我部氏が滅亡したのち雪蹊寺に移されてこの、高知県にある長宗我部信親墓所に至ったとされています。

上や下の動画は長宗我部元親の墓周辺が撮影されています。具体的にどのような場所か知りたい方はぜひご視聴ください。

どこか落ち着きのある雰囲気がありますね。 趣ある風情の中で信親の一生に思いめぐらせるのもいいかもしれません。

所在地:大分県大分市上戸次4799-3

長宗我部信親を探る旅②長宗我部信親の鎧塚ー鎧のお墓ー見出し

長宗我部信親の鎧塚は大分県大分市にあります。戸次川の戦いの際に使用されていた鎧が埋められた場所と言われています。信親の最後の戦いで着用していた鎧が埋められていると思うと、考えさせられるものがありますね。ぜひ、鎧塚で信親の雄姿の想像を巡らせてみてはいかがでしょうか。

所在地:大分県大分市上戸次4799-3

長宗我部信親を探る旅③戸次川古戦場跡見出し

信親が戦死した戦いである戸次川の戦いが行われた跡地とされています。大分県大分市にあります。信親が勇敢に戦った土地と同じ土地にたってみてはいかがでしょうか。何年も前にこの大分の広い土地で激戦が繰り広げられていたと思うと胸が揺さぶられること間違いなしです。

上の動画は戸次川古戦場跡周辺がされています。具体的にどのような場所か知りたい方はぜひご視聴ください。この広い大分の台地で、戸次川の戦いが繰り広げられていました。下の動画では上から見た戸次川古戦場遺跡が確認できます。ぜひご視聴ください。

所在地:大分県大分市中戸次 中戸次

さあ、出発しましょう!まずは、お墓から?見出し

いかがでしたでしょうか。長宗我部信親の幼名やお墓の場所、長宗我部信親の最後の戦いである戸次川の戦いについて少しでもわかり興味を抱いて頂ければ幸いです。今回はお墓をはじめとする長宗我部信親、元親の観光場所を紹介しました。少しでも興味がわいた方はぜひいってみてください。また、いったからこその長宗我部一族の魅力に気付けるかもしれませんよ!

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投稿日: 2017年2月28日最終更新日: 2020年10月7日

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