三内丸山遺跡へ行こう!アクセス方法も紹介!縄文時代の歴史を探る!

2017年9月5日 (2020年6月11日最終更新)

青森県にある三内丸山遺跡は、縄文時代のイメージを大きく変えた遺跡として知られています。さまざまな遺物や遺構は、縄文時代の高い技術や進んだ生活ぶりを今に伝えます。そこで三内丸山遺跡へのアクセスや見どころ、歴史的価値などを調べてみました。

目次

  1. 縄文時代の大集落三内丸山遺跡
  2. 三内丸山遺跡はどこにある?
  3. 三内丸山遺跡へのアクセス
  4. 三内丸山遺跡はいつの遺跡?
  5. 三内丸山遺跡の立地場所
  6. 三内丸山遺跡発見の契機
  7. 縄文時代のイメージを変えた三内丸山遺跡
  8. 三内丸山遺跡の見どころ
  9. 三内丸山遺跡の周辺観光スポット
  10. 三内丸山遺跡で縄文時代に思いを

縄文時代の大集落三内丸山遺跡

20986682 1001518286658010 3514498659448258560 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
dust_croon

歴史の授業などで、縄文時代について習ったことがあると思いますが、どんなイメージですか?狩猟や採集などをしながら、あちこちを転々として生活している、毛皮を身に着けた縄文人をイメージすることが多いのではないでしょうか。しかし、このイメージを大きく変えた遺跡が、青森県にあるのです。

三内丸山遺跡はどこにある?

縄文時代のイメージを大きく変えた遺跡、それがご紹介する三内丸山遺跡です。この遺跡の場所は青森県青森市三内にあります。青森県の西部にあり、1992年から行われた調査で大規模な集落跡が発掘されました。たくさんの見どころがあり、2000年に国の特別史跡に指定され、現在もたくさんの考古学ファンが訪れています。

三内丸山遺跡へのアクセス

三内丸山遺跡のある場所は、東北新幹線の新青森駅、およびJR青森駅が最寄り駅となります。アクセスについてですが、新青森駅からはあおもりシャトルdeルートバス「ねぶたん号」というバスが出ていますし、青森駅からは三内丸山遺跡線のバスが出ています。どちらも終点「三内丸山遺跡前」バス停で下車することになります。

11236390 836575616415938 2067911094 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
ichigomilk4141

なお、「ねぶたん号」は三内丸山遺跡から新青森駅、青森駅を通り、市内の観光施設などを中心に回るバスです。1日乗車券などもあり、路線バスを使うよりもオトク。もし青森市内観光をする予定があるのなら、ねぶたん号を利用していろいろな観光スポットにアクセスすることをおすすめします。

21227714 333790067070240 4222468651770445824 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
ma1115at

なお、三内丸山遺跡そのものは新青森駅に近いのですが、歩くとそれなりに距離があります。もしタクシーなどを利用してアクセスするならば、新青森駅から10分程度、青森駅からは20分程度見ておくといいでしょう。

18013491 395119517547980 6545026269245865984 n.jpg? nc ht=scontent nrt1 1.cdninstagram
nadeshikoruby4openheart

車でアクセスする場合、最寄りICは東北自動車道の青森ICになります。ここからは車で5分程度と近いです。大きな遺跡なので、場所は問題なくわかるでしょう。また飛行機を使う場合は青森空港から車で30分程度かかります。どのアクセスとも比較的わかりやすく、行くのにはそれほど大変ではないでしょう。

三内丸山遺跡はいつの遺跡?

三内丸山遺跡は最初に書きましたが、縄文時代の遺跡です。縄文時代前期中頃から中期末の遺跡で、今から約5500年前から4000年前の遺跡です。つまり、この場所には約1500年にわたって人々が住み続けていたということになるのです。

三内丸山遺跡の立地場所

21373736 354869558280858 6353664658502582272 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
asahi_photography

三内丸山遺跡は標高約20メートルの、八甲田山から続くゆるやかな丘陵の先端にあります。遺跡の範囲は約40ヘクタールという広い範囲に及びます。当時は現在よりも平均で気温が2度くらい高く、少し暖かい気候だったことから、海が現在よりも内陸に入り込んでいたと言われています。

21226930 339242179859036 5158964005552783360 n
soreikez

三内丸山遺跡の集落の横には沖館川が流れており、この川が海にそそぐそばの丘陵地に、縄文時代の人々は集落を作っていました。したがって、集落の近くには落葉広葉樹林が広がり、豊かな植物資源をもたらし、海からはいろいろな魚を手に入れることができたのです。

三内丸山遺跡発見の契機

18298772 436252670062429 3512265594281918464 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
osamu.takata

もともと、三内丸山遺跡の場所に遺跡がある、ということは、江戸時代から知られていました。江戸時代に作られた歴史書によると、1623年にこの場所から多くの土偶が出てきたことが記載されていますし、有名な江戸時代の旅行家である菅江真澄が記した紀行文には1796年、古い堰が崩れたところから甕や土偶の破片が出てきたという記事があります。

三内丸山遺跡が本格的に脚光を浴びたのは1992年のことです。この場所に県営野球場を建設する計画が持ち上がり、それに伴って発掘調査が行われました。その結果、大規模な集落跡と見られる遺構が見つかり、さらに1994年になり、直径1メートルにもなる栗の柱が6本出てきたのです。そこで野球場建設は中止となり、この場所を遺跡として保存することになりました。

縄文時代のイメージを変えた三内丸山遺跡

さて、遺跡の発掘が進むにつれて、この三内丸山遺跡が学校の歴史などで学ぶ縄文時代のイメージを変える遺跡であることがわかってきました。どのような遺跡なのか、次に見ていきましょう。

計画的な集落配置

21227397 282157175616712 5751911114375954432 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
nabe_yk

まず、この三内丸山遺跡の集落は、単に人々が集まっていた、というだけではなく、きちんと土地を分けて集落の機能を計画的に配置していたことがわかりました。人々が居住する場所のほか、祭りなどを行うための掘立柱建物、食料などを貯蔵するための貯蔵穴、ゴミを捨てる場所、墓所などが計画的に配置されています。

中でも前述した栗の6本の柱は、六本柱建物の跡とみられます。高さもそうですが、6本の柱の間隔、深さがきちんと統一されていることがわかりました。このことはこの時代に測量の技術があったこと、そしてその間隔が他の遺跡で発掘された単位と共通することから、いわゆる「縄文尺」のようなものが広い範囲で使われていたことを示すとされています。

また、集落にはいわゆる竪穴式住居のほか、長さ32メートル、幅10メートルに及ぶ大型竪穴式住居、さらに掘立柱建物跡などの遺構が出てきました。掘立柱建物は周囲に生活の跡がなく、高床式であったと考えられています。つまりこれは倉庫の跡である可能性が高いのです。

植物の栽培

21107875 591966337859403 8990557819837087744 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
akicoco_chan

歴史の教科書などで学ぶ縄文時代は、最初に書いたように、狩猟や採集などで生活しており、稲作などが始まるのは弥生時代とイメージされています。しかし遺跡から出土した栗のDNAを調べたところ、栽培されたものであることがわかりました。

21041876 139566299985075 4672909024885211136 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
xixi15_

当時のこのあたりには落葉広葉樹林が広がっていましたが、人々は栗やクルミ、トチといった植物の木を残して他の木を伐採し、そのスペースにこれらの植物を育てていたとされています。また、エゴマやヒョウタン、ゴボウ、マメなども出てきていることから、これらも栽培していたことがわかっています。

20902674 2489819834489960 797174805202731008 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
ai_shimizu_

三内丸山遺跡の人々は集落の周辺でさまざまな食料となる植物を育てて、それを食べていたことがわかることで、この遺跡には数百人が居住したのではないかと言われます。またそのほかにムササビやノウサギなどの肉、マダイやブリなどの魚も食べていたことが、ゴミ捨て場の調査からわかりました。

高い技術

21147731 123276864990847 2307743643911323648 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
attoplus

歴史の教科書では、縄文時代の人々は毛皮を着て、土器を使っているというイメージですが、三内丸山遺跡からはさらに高い技術を持っていたことを示すものが発掘され、縄文時代人の持つ技術が再発見されました。

928596 826646014012644 1087564845 n.jpg? nc ht=scontent hkg3 1.cdninstagram
vernacci.a

1つは縄文ポシェットです。これは樹皮を素材として編んで作った小さな袋なのですが、完全な形で発見されたものは日本でこれ一つだけです。これが出てきたことで、縄文時代の人々が蔓などを編んで織物を作る技術があったことがわかりました。

15539104 458494870941278 9111627257079660544 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
komatukaoru

もう1つは赤漆塗の木製皿です。漆は東、東南アジアに生息するため、漆を使ったものはこの範囲で作られるのですが、漆は一本の木からとれる量が少ないうえ、精製に技術が必要であることから、技術者がいたことが明らかになりました。木製皿は今から約5500年前の縄文時代前期中ごろのものです。

交易

21372980 683115681885597 7368041414472499200 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
jewelry_yanagi

三内丸山遺跡からは、新潟県糸魚川周辺のヒスイ、岩手県久慈周辺の琥珀、日本海周辺の黒曜石などが見つかりました。これらは舟を使って三内丸山まで運ばれてきたもので、広い範囲の土地との交易が行われていたことを示すものです。

三内丸山遺跡の見どころ

縄文時遊館

20635368 161850964378105 1557907199445958656 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
goyamashiro623

三内丸山遺跡の入り口にあたる施設です。後述するさんまるミュージアムのほか、縄文時代のものづくりを体験できる体験工房、復元模型を展示した模型の間、レストランなどがあります。ここの時遊トンネルを通って遺跡を見に行くことになります。

六本柱建物跡

三内丸山遺跡の象徴として扱われている、まさに三内丸山の一番の見どころです。現在この遺構の出土場所には保存ドームがかぶせられ、そばに建物が復元されています。高さは14.7メートルあり、神殿、物見やぐら、モニュメントなどの説が出ています。

大型竪穴住居跡

前述した大型竪穴住居跡も復元されています。集会所、共同作業所などのほか、冬期間は共同家屋として使われていたとする説もあるとか。竪穴住居跡と大きさを比較して見るのも面白いところです。

竪穴住居跡

20905302 1911102662487416 2573493216342966272 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
tumyfrog

三内丸山遺跡では550棟以上の竪穴住居跡が見つかっていて、そのうちの15棟が復元されています。中に入ることもできるので、歴史の教科書を実際に体験できるいい機会ですね。屋根は茅葺き、樹皮葺き、土葺きの3種類が作られています。

南盛土・北盛土

20838133 1753693214923407 2464277635434283008 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
tm0003

土器や石器、ヒスイの玉などが捨てられていた場所です。約1000年のうちにこのような盛土となったわけで、遺物が層のようになって並ぶ姿を実際に見ることができます。歴史好きの方に特におすすめの見どころです。北盛土の方には壊れた土器が広がる様子が見えます。

環状配石墓(ストーンサークル)

20837556 336358170147676 3387878707120046080 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
naotoishi

三内丸山遺跡にはストーンサークルがあり、南方にある小牧野遺跡のものと石の並べ方が共通していると言われています。周りを石で囲まれているところから、ムラの長の墓ではないかと言われています。きれいに配石された遺構は見どころです。

さんまるミュージアム

21296468 125112801472824 1225139945170010112 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
nabe_yk

建物などの遺構は外に復元展示されていますが、土器や石器などの遺物はここに展示されています。大型の板状土偶やヒスイの大玉、また縄文ポシェットなどは見どころ。歴史を身近に感じることができます。

三内丸山遺跡の周辺観光スポット

青森県立美術館

21433448 117450672288751 8114214500942479360 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
uniuki

三内丸山遺跡の隣にあります。2006年に開館しました。シャガールによるバレエ「アレコ」の背景画3点のほか、青森県出身の奈良美智による『あおもり犬』などが見どころ。三内丸山遺跡を見学するときはぜひ青森県立美術館にも行ってみましょう。

三内丸山遺跡で縄文時代に思いを

21373736 354869558280858 6353664658502582272 n.jpg? nc ht=scontent hkg4 1.cdninstagram
asahi_photography

以上、三内丸山遺跡の見どころやアクセス情報などをご紹介しました。歴史で習った縄文時代のイメージを大きく変えた遺跡として、とても高い価値を持っています。まだまだ発掘は続いているので、これからも新しい発見が出てくるかもしれません。ぜひ、新しい縄文時代の姿を見に行ってみましょう。

関連記事

関連するキーワード

Noimage
この記事のライター
よしぷー

青森県の人気ランキング

TravelNoteの公式SNSをフォロー

公式SNSではおすすめの特集記事やトレンドを発信中!こちらもチェックしよう!

Instagram logoInstagramをフォローLine友達登録する

青森県の新着のまとめ