マリの世界遺産であるトンブクトゥ
マリには数多くの世界遺産がありますが、その中でも黄金の都市として有名なのがトンブクトゥです。この世界遺産は中世イスラームの文化の地の一つとして栄えていたところでした。しかし、今では気候変動や情勢の悪化にさらされ、破壊の危機が迫っています。そういうわけで今回はトンブクトゥの危うし状況とその観光スポットについて紹介します。
黄金の都市と呼ばれたトンブクトゥ
センター前日に言うことじゃないけど、トンブクトゥのモスクって登りたくなる形してるよね。明日出ること祈ってます。 pic.twitter.com/cEGyR9Aa69
— しみ-しみ (@goriride) January 15, 2016
トンブクトゥとは西アフリカの古い街並みで、ニジェール川の流域に位置しています。ここは中世に存在したソンガイ王国やマリ王国の時代に都として栄えました。全盛期の時代は黄金の都市と呼ばれるほど当時の人々が憧れていました。今も都市遺跡に多く残るモスクはその繁栄の遺産と言ってもいいでしょう。どこかナウシカのペジテに出てきそうですが、その親しみやすい建築も魅力的です。
世界遺産に登録された経緯
トンブクトゥは1988年に世界遺産に登録されました。その登録の理由としては建築、文化において活発な交流があったことを示していることと、建築技術を駆使して造られたモスクがあるということです。ちなみにトンブクトゥはジェンネと共にマリ最初の世界遺産です。トンブクトゥの街はそれだけ歴史的価値があるということでしょう。
トンブクトゥの歴史
古来からの学問都市
【マリ】伝説の都市トンブクトゥマリ中部、サハラ砂漠南端に位置するトンブクトゥは、日干しレンガの建造物が建ち並ぶ街だ。13世紀に金や岩塩の交易で繁栄。「黄金の都」と呼ばれた。16世紀前半には、西アフリカ最大のイスラム都市となる。 pic.twitter.com/upqH8oJwGJ
— まか不思議 (@mokypinekyj) May 8, 2017
トンブクトゥは古くからイスラーム交易で北アフリカと西アフリカの中継基地でした。もちろん、イスラームの学問もここに集結しています。アフリカ僻地で最も古い大学もこのトンブクトゥにできました。まさにアフリカの知識の泉と言ってもいいでしょう。ここでは法律や天文、歴史など様々な分野が研究されていたと言われています。
黄金の都市と呼ばれたきっかけ
トンブクトゥが全盛期であった頃はヨーロッパの人々の憧れの的でした。なぜ黄金の都市と呼ばれたかと言うと、当時の王がトンブクトゥの地域で3キログラムの金をばらまいていたからです。その意図は自分の権力の強さを知らしめるためだったと言われています。なんだかロマンがわきそうな話ですね。それくらい当時のトンブクトゥは黄金の都市として栄えていたわけです。
16世紀から始まったトンブクトゥの衰退
交易都市として長らく繁栄したトンブクトゥも16世紀の大航海時代が来るとともに衰退の道を辿っていきます。ヨーロッパ人がトンブクトゥを通らないルートを確保したからです。その衰退は1590年のマリ王国の滅亡から見て取れます。その余波はトンブクトゥにも押し寄せ、ムーア人の侵略によって多くの知識人が命を奪われました。今はかつての黄金の都市の面影はありません。
気候変動によるトンブクトゥの危機
トンブクトゥの気候はサハラ砂漠の近くにあるので、もちろん砂漠気候です。1年に降る降水量は夏以外すべて10ミリ以下で全く雨が降らないに等しいでしょう。しかも、5月の平均気温が34度とかなり暑いです。エジプトのようにサハラ砂漠らしい気候ですね。全盛期の気候も今のように雨が降らず、キャラバンたちのオアシスとして機能していたかもしれません。
最近は気候の乾燥化が進み、トンブクトゥも砂に埋もれてしまう運命にさらされてしまいます。もしかしたら、トンブクトゥも近い将来消滅してしまうかもしれません。そのため、砂漠化対策が徹底的に取られています。トンブクトゥの貧困が進んでいるのもこのためかも知れません。サハラ砂漠の乾燥化はもはや人類の手では止められないところまで来ています。
武装勢力による破壊も危機の一つ
イスラム過激派武装勢力がトンブクトゥの入口に立てた看板。
— 平塚 徹 (@locutorscriptor) January 29, 2013
「イスラム法施行の入口にようこそ」とアラビア語とフランス語で書かれている。 pic.twitter.com/TCmYlO1S
近年のイスラーム武装勢力による破壊もトンブクトゥの存続に関わる問題です。2012年に起きた武装勢力の襲撃事件では聖廟が破壊されてしまいました。彼らはマリ一帯を支配下に置いていた「アンサール・ディーン」と呼ばれている組織です。それだけではなく、シディヤヤのモスクの数百年間開けてこられなかった扉も彼らによって破壊されているのです。
しかし、その武装勢力も2016年に国際刑事裁判所によって破壊のツケを支払うことになりました。裁かれたのは「アンサール・ディーン」の元指導者です。支配下の住民はベールの強制着用などガチガチに強制されていましたが、このような破壊行為は断じて許せることではありません。ひとまずトンブクトゥは昔より少し平和になっています。
トンブクトゥの治安はどうなのか?
トンブクトゥの治安は一言でいうとまだまだ不安定な状態です。武装勢力による占領はフランス軍の主導で終わりましたが、これで完全に平和になったわけではありません。特に地元の人々がお土産を強制的に売りつける行為が問題となっています。これからトンブクトゥに行くときは、治安にも気を付けながら観光しましょう。
インフラが整っていないトンブクトゥ
トンブクトゥ https://t.co/tM5Cx7w1wx #アフリカ #マリ #世界文化遺産 pic.twitter.com/xshIy6CvX4
— 世界遺産オンラインガイド (@WorldHeritage00) January 25, 2016
世界遺産であるトンブクトゥは本来なら、ホテルなど観光資源が生かされていてもおかしくありません。しかし現実は厳しく未だに貧しいままです。しかも、水や水道と言った基本的なインフラでさえ整っていません。せっかく世界遺産があるのにかなりもったいない状況です。トンブクトゥが近い将来観光資源として活かせれば様子は変わるかもしれません。
保存したいトンブクトゥの文化遺産
トンブクトゥはかつて学園都市だったこともあり、知識人が残した書物が保存されています。その大半は16世紀以降の混乱によって失われてしまいました。しかし、わずかながらデジタルで見れる物もあります。ほとんどの書物が個人の所有物ですが、博物館に展示できるほど価値があるものばかりです。最近では大学などの教育機関に寄贈されています。
トンブクトゥで有名な観光地のまとめ
ジンガリベリ・モスク
トンブクトゥのシンボルで、粘土とワラでできたモスクです。どこかロッククライミングしたくなってくるような感じがしますが、これも立派な宗教施設です。トンブクトゥのモスクの中でも最古とされている一つで、多くのイスラム教徒が礼拝しに来ます。有名モスクなので一般人でも立ち入ることができますが、奥の方へは一部の人々しか入れません。
サンコーレ・モスク
サンコーレ・モスクはジンガルベル・モスクと同様、トンブクトゥの中で重要な役目を担っている建築物です。全盛期には2万人ほどの学生が集まっていたと言われています。2万人のハブ大学ですから今でいう東洋大学や日本大学のようなものです。ある意味、知恵の頂点と言ってもいいでしょう。16世紀以降は衰退してしまいますが、今では学園としての修復を果たしています。
トンブクトゥの姉妹都市ジェンネ
大モスクがランドマーク
西アフリカ・マリのジェンネ旧市街。泥でできたモスクです。アフリカ、また行きたい…… pic.twitter.com/oFBHYsJIgS
— katamachi (@katamachi) February 24, 2017
トンブクトゥに似た都市でジェンネという地があります。この旧市街はトンブクトゥ同様1988年に世界遺産に登録されており、サハラ交易の一角として栄えました。特に泥のモスクと言われる建物は高さが20メートルで、街のランドマークとして知られています。巨大建造物にして珍しく泥で造られていますから、観光で第一に見たいところです。
100年以内に消滅すると言われている都市
ユネスコ、マリのジェンネ旧市街など危機遺産に https://t.co/9px2dyeFvn pic.twitter.com/TVNt0h02ZN
— ネネネオ (@mokoneneneo) July 14, 2016
ジェンネもトンブクトゥ同様、砂漠化によって消滅の危機に立たされています。元々ジェンネの建物は泥で造られているので、ひび割れが出ています。何とか維持はされていますが、コンクリートほど耐久性はありません。あの泥のモスクでさえも老朽化による倒壊は免れないでしょう。このような事情の為、トンブクトゥに行ったらセットでジェンネにも観光するのがおすすめです。
日本からトンブクトゥへの行き方
まずはパリで飛行機を乗り換えよう
トンブクトゥに行きたいなら、必ずフランス航空を利用しましょう。日本から行くときはパリでいったん乗り換えて、マリの首都パマコに行きましょう。また、ドバイから経由する手もあります。コートジボワールのように日本からの直行便はないので心に書き留めてください。エジプトから電車で行くのは襲われる可能性があるので、飛行機を使いましょう。
観光拠点にはモプティがおすすめ!
首都パマコに着いたら、トンブクトゥ観光の出発点であるモプティに行きましょう。モプティは人口が10万程度に満たない小さな都市で、未だにインフラも整っていません。しかし、ニジェール川とバニ川の合流地点にあるので、ヴェネツィアのような都市です。今はトンブクトゥへの空路が途絶えているので、トンブクトゥに行くために欠かせないところになるでしょう。
今のうちにトンブクトゥに行こう
ここまでトンブクトゥの状況と観光情報を紹介してきました。この世界遺産は幾度か危機遺産に指定されているほど、気候の変化による砂漠化など様々な危機にさらされているのです。もしかしたら、100年以内に完全に消滅してしまうかもしれません。トンブクトゥに一度行きたい人は早めに行くことをおすすめします。