太平洋戦争の激戦地!硫黄島への観光
小笠原諸島に属する硫黄島は東京からおおよそ1200kmの南方にある火山島です。周囲は広い海に囲まれた硫黄島は自然と融合したその美しさから観光スポットの一つとなっています。その環境から現在一般人の島内への立ち入りはできませんが、観光船クルーズで島の外観を見学することができます。硫黄島の観光や行き方を紹介していきます。
太平洋戦争における日本の戦況
アメリカとイギリスへの開戦布告以降おおそよ3年9カ月にも及ぶ長期間にわたるいわゆる太平洋戦争において、日本本土は最終的に2つの原子爆弾を落とされ壊滅的な打撃をうけました。その後結果的に敗戦国となってしまうのですが、なぜ資源が乏しい日本はこれほどの大国を相手に勝ち目のない戦争に踏み切ることになったのでしょうか。
1937年当時、大日本帝国は日中戦争の真っただ中にあり、アジア圏への領土拡大をめざしていました。しかし当時から石油輸入を依存していたアメリカは日本の中国からの撤退を条件に石油輸出凍結を迫ってきたのです。しかし日本は形成的に不利なその提言を受け入れることなく強硬姿勢を示す真珠湾攻撃をおこなっていくのです。
奇襲攻撃となった真珠湾攻撃の成功から数か月は戦局を優位に進めていた日本ですが、ミッドウェー海戦においてアメリカの圧倒的な軍事力を前に主力艦隊や多くの兵士を失う大打撃を受けた敗北以降は徐々にアメリカの進撃により、これまでの占領地はもちろんのこと日本本土における空襲により最終的に敗戦国となってしまいます。
太平洋戦争当時の硫黄島の状況
太平洋戦争において日本とアメリカ双方において最も激戦となった硫黄島での戦いでは、その激戦から両軍共に数多くの戦死者や重傷者がでました。1944年すでにグァム島を攻略したアメリカ軍は日本本土への足掛かりとしていくつかの日本の拠点の候補の中から翌年1945年日本への本土侵攻の拠点として硫黄島へ侵攻することになったのです。
アメリカ軍の硫黄島への侵攻に対抗すべく日本軍は栗林忠道陸軍大将を筆頭に陸海軍の総勢約20000名の兵士を率いて迎え撃ちます。対してアメリカ軍は約60000名以上もの兵力であり、戦力における差は歴然であることから日本軍は一日でも日本国内への侵攻を遅らせることを念頭に持久戦へとつなげる戦いでもありました。
日本軍は硫黄島の自然を利用し島内に坑道を建設、硫黄島を要塞化することでアメリカ軍の攻撃に対抗していきます。しかし日本軍の被害は徐々に拡大し、本土からの食料や弾薬の補給もなく、飢餓や病気が蔓延する劣悪な環境が重なり最終的に上陸から約1か月の死闘はアメリカ軍が硫黄島を制圧する形で幕を閉じることになりました。
小笠原諸島における硫黄島の現在の状況
世界遺産にも登録されている小笠原諸島は日本本土から約1000㎞南の海上に位置し大小30以上もの島々で構成されています。それぞれの島では今もなお手つかずの大自然と亜熱帯の暖かい気候、澄み切った美しい海に囲まれ、代表的な父島、母島を始めとして、年間を通じて温暖であり多くの観光客が訪れる人気スポットになっています。
硫黄島は小笠原諸島の一つ火山島として加えられ観光スポットにもなっています。かつて戦争が繰り広げられた硫黄島は火山ガスによる硫黄の匂いと地熱の高さが特徴であり、現在島内においては海上及び航空自衛隊の航空基地や戦火の歴史を伝えるモニュメント等があり、戦争の悲惨さを感じ取ることができる島となっています。
父が硫黄島で撮影
— 大日本帝国海軍連合艦隊旗艦戦艦大和 (@kaigunyamato) October 18, 2017
当時のM4シャーマンがそのままに放置されてます pic.twitter.com/j2cwEmXNrN
硫黄島は現在において観光目的等での一般人の立ち入りは禁止されています。島内の至る所には今もなお戦争の爪痕が見受けられ日本軍が最後まで抵抗した要塞と化した坑道や至る箇所に設けられたトーチカは勿論のこと、激戦を物語る縦断の痕跡や戦争当時に使用されていた戦車や砲台、銃火器がそのままの形で残されています。
硫黄島の名所1:硫黄島航空基地
太平洋戦争の終結後1968年にアメリカの占領下にあった硫黄島は日本へ返還されることになり、その後約2年の歳月を経て造られた航空基地であり基本的には海上自衛隊の管理のもとに現在においても運営されています。全長2650mの滑走路を所有し補給活動や不測の事態等のあらゆる有事に対応するべく利用されています。
硫黄島航空基地では海上自衛隊の他にも陸上自衛隊やアメリカの海軍における輸送機の離着陸としての利用もされています。主に小笠原諸島における緊急の出動や物資の輸送や、近海での演習の際にも同基地を活用しています。また民間の飛行機に関しても緊急の場合に限り滑走路を使用することが可能となっています。
【硫黄島飛行場】
— 滑走路 (@runway_bot) October 8, 2017
(硫黄島航空基地)
07/25(2,650×60)
IATA:IWO ICAO:RJAW#tokyopic.twitter.com/2yaf5qSuk4
硫黄島航空基地の利用に関して在留する自衛隊員の目的としては、太平洋戦争当時に残されたままになっている不発弾の処理もおこなっています。硫黄島は火山島であるのと同時に不発弾があることも一般人が立ち入り禁止であることが伺いしれます。また硫黄島を拠点とした太平洋の気象観測も航空基地において自衛隊員が実施しています。
硫黄島の名所2:硫黄島旧島民平和祈念墓地公園
硫黄島でのアメリカ軍との戦いにおいて、もともとこの島で暮らしていた民間人は疎開を余儀なくされ現在まで特別の場合を除き島へは帰郷することができません。戦争において当時にあった墓地も無残な形となってしまった為に、硫黄島にて戦死した数多くの兵士と共に追悼の意味をこめて墓標やモニュメントとしてあらためて設置されました。
硫黄島の名所3:摺鉢山
硫黄島の南にある火山である摺鉢山は戦争当時は日本軍の硫黄島における要塞であり、この山を拠点として地中に坑道を設け鉄壁の守備を築き上げアメリカ軍を迎え撃った場所になります。アメリカ軍の艦隊砲撃によって山の一部は崩壊していますが、当時からもアメリカ軍を迎え撃つ為山から島全体を見渡せる場所として摺鉢山を利用しました。
摺鉢山では坑道の他にもいくつものトーチカが見受けられ現在においてもその様子を伺うことができます。また日本ばかりでなくアメリカの戦争当時を振り返る墓標やモニュメントがいくつも設置されており、硫黄島で亡くなった多くの犠牲者への追悼の意が込められています。
摺鉢山を望む日本の代表的な追悼のモニュメントとして「鎮魂の丘」が建設されました。平和への祈りが刻まれた石碑や追悼式典でも利用される戦没者への祭壇や参列できるスペースが設けられています。硫黄島を見渡せる丘にあり当時の過酷な状況をあらためて考えさせられる場所でもあります。
硫黄島の名所4:翁浜
かつて硫黄島での戦いにおいて、アメリカ軍がこの海岸を利用して上陸しました。艦隊による一斉の砲撃の後、約60000人のアメリカ軍兵士が海岸を埋め尽くした場所になります。現在においては自然のままの美しい海岸となっていますが、当時の兵士が殺到する光景を思い浮かべる場所になります。
硫黄島の名所5:監獄岩
硫黄島。手前は監獄岩(関) pic.twitter.com/mmf8TkhyvB
— 朝日新聞航空部 (@asahi_aviation) May 30, 2013
硫黄島の東側に位置した無人島の監獄島。硫黄島本島からも十分に見渡せる距離にあり、戦争以前の島民が暮らしていた時代には近海にクジラが出没し漁船で往来していた無人島で、名の由来通り監獄として利用したようです。アメリカの統治下では通信施設も設置されたようですが、現在においては無人島として景観の一部となっています。
硫黄島の名所6:カツオドリの飛来
カツオドリ・アカアシカツオドリ
— しん (@JavanPondHeron) September 16, 2017
今回の硫黄島クルーズは秋という事でカツオドリ類の幼鳥を見る事を目標としてました。カツオドリは色々なところで見られ、アカアシカツオは北硫黄島周辺で数個体見ることができました。真っ白な成鳥はもちろん綺麗ですがこの羽衣は個人的にかなりグッときますね笑 pic.twitter.com/4gNKgyW2S7
硫黄島を含む小笠原諸島周辺は亜熱帯気候となっており、熱帯や亜熱帯の海洋で生息するカツオドリの飛来を観測することができます。中でも希少品種であるアカアシカツオドリの生息が観測されており、絶滅危惧種に挙げられるほどその生態系の調査が進められています。硫黄島周辺でもカツオドリの飛来する姿をみることができます。
硫黄島の行き方は船上クルーズのツアーを利用しよう
硫黄島への民間人立ち入りは禁止されていますが、周辺海域から硫黄島を眺めることは可能となっています。小笠原諸島の海域を運行する民間船として小笠原海運の「おがさわら丸」に乗船しての海上クルーズを楽しむことができます。船での外周を見学することになりますが硫黄島の雄大な自然に触れることができる機会となります。
今年も硫黄島クルーズが催行されるらしい。 pic.twitter.com/OMJ6rCOf67
— タロー (@taro_doudesyo) April 10, 2015
硫黄島への行き方として一般的な「おがさわら丸」は東京発の定期船であり小笠原諸島専門の観光会社によって硫黄島を含む小笠原諸島をめぐるツアーが用意されています。硫黄島に関してはあくまでも船上からの見物のみとなりますが、他の島もあわせて巡るツアーですで宿泊や多くの海の幸等グルメも堪能できるツアーとなっています。
硫黄島への行き方の別の方法としては、他の旅行会社による豪華客船による船上ツアーでの行き方があります。横浜港や名古屋発での小笠原諸島を巡るツアーとなっていて、硫黄島への巡航もルートになっています。船内は豪華な仕様になっているので十分にくつろげる硫黄島への行き方としてはおすすめです。
北硫黄島への観光
硫黄島から北の海上じ位置する小笠原諸島に含まれる約5㎢の面積を有する北硫黄島。四方海に囲まれた豊かな自然が一杯の島では全体がほぼ断崖で覆われた海岸となっています。明治時代に開墾が始まり、少ないながらも人が暮らしサトウキビの耕作と学校も建設されました。太平洋戦争中には空襲から逃れる疎開先としても利用されています。
かつて北硫黄島には人が住んでいたらしいゾ。最盛期には学校が建てられていたとか。 pic.twitter.com/XHm28WyHgp
— トータルフッキボール (@oranje19982000) January 18, 2017
硫黄島と同様に北硫黄島へも観光における民間人が立ち入ることができません。海上クルーズのツアーにおいての周回コースの一つとして北硫黄島が含まれています。開墾が始まる明治以前の古来における遺跡も発見されるほどの非常に歴史のある島としてもツアーでは人気のスポットとなっています。
南硫黄島への観光
硫黄島から約60㎞ほどの海上に位置する面積3.54㎢の島である南硫黄島。小笠原諸島の火山島として数えられ、北硫黄島よりはるかに人の手が加えられていない自然のままの島となっています。火山島としては小笠原諸島内では最も標高が高くその山頂にはうっすらと霧がかかっているその光景が絶景となっています。
小笠原諸島南硫黄島、10年ぶり調査で希少な固有種を確認 #南硫黄島 - https://t.co/Qix4yFgStB pic.twitter.com/l0n9aYqFiC
— NEWS SALT (@newssalt_com) September 14, 2017
南硫黄島においても島全体が断崖で覆われ砂浜を形成していない為に観光等での上陸をすることは不可能となっています。硫黄島と北硫黄島を合わせた三島クルーズとしてのツアーが観光会社では企画され、船上での自然豊かな南硫黄島を見渡すことができ、その絶景を楽しむツアーとして人気があります。
硫黄島における遺骨取集に行き方
硫黄島にあるすりばち山近くを飛行する海兵隊のCH-53Eスーパースタリオン。 pic.twitter.com/CpcQ1bqefj
— Macogy (@Tony_Bata) August 18, 2014
こんな小さな島に数万の兵隊が。早期遺骨取集が望まれる。
太平洋戦争においては日本国内を含め海外の各地で多くの戦死者を出し、現在に至っても発見されることのない遺骨が数多くあります。硫黄島においても同様であり約20000人からなる戦死者の一部は行方の分からない状態となっています。硫黄島に限らずいずれの戦地においても遺族にとっては遺骨の取集が課題となっています。
硫黄島への遺骨収集には厚生労働省を始めとして遺族会やあらゆる法人が一年を通じて一般公募により募集しています。募集へは各ホームページへのアクセスで問い合わせることができます。硫黄島への行き方としての方法の一つですが、観光目的ではなくあくまでもご遺族のための遺骨収集であることを念頭に置く必要があります。
硫黄島の遺品なども pic.twitter.com/PfX51OJRiG
— 銀髪推進派 (@alpaka) October 19, 2017
硫黄島では遺骨の取集の他に現地ではこれまでに手紙や当時の兵士が使用していたもの等数々の遺品も発見されてきました。遺品の状況から持ち主が判明するものに関しては遺族へ返還されますが、判明しない遺品に関しては保存され情報公開によって遺族への返還を呼びかけています。
硫黄島の諸島事業による行き方と戦没者への追悼
硫黄島への行き方として船上クルーズにおけるツアーや遺骨収集以外の方法として、厚生労働省や法人が企画している日帰りでの訪島事業を在留している自衛隊の協力を得て一年の内に数回実施しています。目的としては戦没者への追悼と元島民による墓参りを主に目的としていまが、限られた滞在時間での活動となっています。
硫黄島への行き方としての訪島事業ですが、その募集においては制約があり一般人の誰でもが参加できるわけではありません。参加条件としては戦没者の血縁関係にある方や血縁者でも初めて参加される方、元島民の方等の限られた方が優先的に選ばれることになります。また旅費等は国の負担となっています。
訪島事業としては戦没者への慰霊式典も開催されています場。こちらも戦没者の血縁者等を対象にした一般参加の募集がされています。また2015年には日本とアメリカとの合同での慰霊祭が開催され、両国にとっても硫黄島での戦没者に対する関心の高さが伺えます。
硫黄島へのツアーを利用して戦争の悲惨さを学びましょう
硫黄島への観光はいかがでしたでしょうか。かつて熾烈を極めた戦争があった場所として現在においては立ち入ることが難しい硫黄島ですが、その島の姿を海上から見るだけでも戦争の悲惨さを思い知ることができるでしょう。海上クルーズによるツアーかボランティア活動を利用して一度硫黄島をご覧になってみてはいかがでしょうか。
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TravelNote編集部