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長篠城の観光ポイントは?見どころやアクセスに保存館もご紹介!

長篠城の観光ポイントは?見どころやアクセスに保存館もご紹介!
投稿日: 2017年11月15日最終更新日: 2020年10月8日

武田氏と織田信長の運命を決めた長篠の戦の舞台となった長篠城。この城は日本100名城のひとつとして全国的に有名です。安土城と共に戦国時代のロマンを楽しめる場所として知られています。今回は長篠城の見どころやアクセスなど様々な観光情報を説明します。

長篠の戦が行われた長篠城見出し

戦国史に残る長篠の戦いが行われたことで有名な長篠城。この城は防衛目的で築かれており、いかにも戦国時代という感じがします。長篠の戦いでは激戦地となり、鉄砲が初めて使用されました。長篠城には一体どんなロマンが眠っているのでしょうか?今回はその長篠城の歴史・アクセス・史跡含む観光情報を紹介します。

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愛知県新城市は愛知県東部の東三河に位置する自然溢れる市です。今回はこの新城市でおすすめの観光スポットをたくさんご紹介します。観光の定番の温泉はもちろんグルメや子供と遊べるスポットも合わせてご紹介します。これで新城市の魅力をたっぷり知っていただけるでしょう。

長篠城とは何か?見出し

長篠城とは戦国時代に今の愛知県の新城市に存在していた城跡のことを言います。この城は日本100名城として日本中に知れ渡っています。二つの川や断崖絶壁に囲まれた城でもあり、当時は難攻不落の城として謳われていました。ここには本丸を始め、二の丸、野牛曲輪など様々な建物から成り立っていました。今は跡しか残っていないですが、歴史のロマンを体感するにはうってつけの場所です。

長篠の戦いについてもおさらい見出し

初めて鉄砲が使われたとされている戦

日本の教科書に載るほど有名な長篠の戦いは、日本史上初めて鉄砲が使われた大事件とも言われています。織田軍は騎馬隊を率いる武田軍に対し、鉄砲を使って大勝利を収めました。戦国時代では鉄砲は非常に高かったため、鉄砲を使う戦国武将はいませんでした。しかし、最近では三段撃ちの記録が全く見つかっていないため、鉄砲は使われなかった説も浮上しています。

信長が天下人として台頭するきっかけの一つに

長篠の戦いに勝利したの信長は徐々に天下人としての道を歩み始めます。もう武田信玄や上杉謙信のような天敵に怯えることはないでしょう。逆に武田軍は当時無敵と謳われてきた騎馬隊が敗北し、司令官の大半を失いました。これがきっかけで衰退への一歩を辿ります。もし、長篠の戦いで織田軍が敗北していたら、歴史が違う方向に変わっていたかもしれません。

これだけは覚えておきたい長篠城にまつわる歴史見出し

今川氏の拠点として建設された

長篠城は戦国時代の真っ只中の1508年に菅沼元成という武将によって築城されました。元成は当時今の静岡県で勢力を誇っていた今川氏に服従していました。築城後は主君が今川氏、徳川家康、武田氏ところころ変わることになります。その背景には武田氏や徳川家康、今川氏による激しい勢力争いがあったかも知れません。

長篠の戦いでは激戦地になった

長篠城が歴史上に注目されるようになったのは長篠の戦いが起きてからです。戦いの直前には家康が占領しており、城主は家康の支配下の奥平信平でした。戦いに備えて城が拡張されました。1575年の5月に武田信玄の息子である武田勝頼が1万の兵を率いて、長篠城に包囲網を形成したことがきっかけで、長篠の戦いの火蓋が切って落とされます。長篠の戦いにはこのような背景があるのです。

長篠の戦い以後の長篠城

長篠の戦い以後の長篠城は激しく損壊しました。戦いの翌年に奥平信昌が新たに新城城に拠点を移動させたために、使われなくなりました。それ以降は歴史の表舞台から長らく忘れ去られてしまいます。長篠城にあった建物も長い時の果てに朽ち果ててしまいました。しかし、1929年に国の史跡になり、城全体の保存活動が進められています。

長篠城観光で歴史を学べるおすすめ博物館見出し

「長篠城趾史跡保存館」

この資料館は名前の通り、長篠の戦いや長篠城に関する資料展示を行っているおすすめ観光スポットです。主に展示されているのは、長篠城にまつわる遺品や文献、武器など。強右衛門磔の絵など見どころある資料もここに展示されています。周りに長篠城に関連している史跡もたくさん残されているので、保存館と合わせて行くのがおすすめでしょう。

長篠城趾史跡保存館では展示物を見るだけではなく、実際に長篠城関連の書籍を買ったりすることができます。販売している書籍は「鳳来寺の今昔」と「ガイド長篠の戦い」など様々。戦いの基本的な情報や信玄の墓のような関連知識を獲得できます。展示とは違う意味で長篠城について学習できるので、もっと長篠城を知りたい人にはおすすめです。

「設楽原歴史資料館」

設楽原歴史資料館は長篠城趾史跡保存館とともに、長篠の戦いに関する資料を展示している観光スポット。ここは「設楽原の戦い」など数々のコーナーが設置されています。特に「設楽原布陣図」や「種子島銃」などの展示物はおすすめです。また、日米修好通商条約調印に貢献した偉人の展示コーナーもあります。長篠城からちょっと離れていますが、長篠の戦いを学習できるところとして有名です。

料金について

長篠城址史跡保存館の料金は一般で210円、設楽原歴史資料館は300円です。つまり長篠城址史跡保存館の方が90円安い計算となります。もし二館とも行きたい場合は、両館共通券を買いましょう。両館共通券なら一般で400円と安いのが見どころ。券をそれぞれ買うよりも110円抑えられますから、結構お得ですね。長篠城観光ではぜひ二館行った方がおすすめでしょう。

長篠城観光で見どころのあるおすすめ史跡1「鳥居強右衛門磔の跡」見出し

長篠城の対岸にある史跡

ここは長篠の戦いの時に活躍した鳥居強右衛門という足軽が磔になり処刑された史跡スポット。長篠城から豊川を超えたところにあります。アクセスが徒歩5分と結構近いので、そんなに体力を使わなくともたどり着けます。墓の近くにある掲示板には鳥居強右衛門の偉業を学ぶことができます。そういう意味では、長篠の戦いを理解するには欠かせないスポットでしょう。

歴史に名を残した強右衛門の偉業

強右衛門の偉業は何よりも長篠の戦いを織田・家康軍に優勢にさせたこと。戦開始時の長篠城は1万5の千武田軍に囲まれ、四面楚歌状態でした。この絶体絶命の状況の中、決死の覚悟で家康・信長のいる岡崎城へと向かいます。強右衛門は長篠城に向かう際に武田軍に捕らわれて処刑されましたが、それでも長篠城に向かって援軍が来たと叫びました。その奮闘が長篠城をピンチから救ったのです。

鳥居強右衛門とはどんな人物か?

長篠城の四面楚歌状態を打破し、織田軍側の勝利に貢献した鳥居強右衛門ですが、彼の生まれは足軽であるため、詳しい経歴はほとんど分かっていません。少なくても判明しているのは奥平氏の部下であることくらいです。強右衛門に限らず身分の低いものは歴史の表舞台にほとんど出ていません。もし長篠の戦いの功績がなかったら、無名のまま人生を終えていたのでしょう。

彼の子孫はどうなったのか?

強右衛門の経歴同様あまり知られていない事実ですが、意外にも強右衛門の子孫は繁栄しています。子孫たちは関ヶ原の戦い以後200石の領地をもらう高待遇を受けました。その優遇ぶりは強右衛門の仕える奥平氏も例外でありません。徳川家に厚偶され10万石を領する大名までにのし上がりました。ある意味、強右衛門は多くの人々を幸せにしているヒーローなのです。

長篠城観光で見どころのあるおすすめ史跡2「設楽原古戦場」見出し

この史跡は長篠の戦いで決戦地となった観光スポットで、設楽原歴史資料館に比較的近いところにあります。設楽原は日本で初めて鉄砲が使われた史跡として有名です。さらに信長が戦略の一つとして築いたとされる馬防柵も再現されています。長篠城と共に長篠の戦いについと学習するにはおすすめのスポットです。また、7月には決戦場まつりも行われています。

長篠城観光で見どころのあるおすすめ史跡3「長篠城本丸趾」見出し

この史跡は名前の通り長篠城でかつて本丸があった場所。本丸自体は石碑が建てられているくらいですが、その周りには長篠城を守っていた土塁や空掘が残っています。土塁や空掘はかなり大規模で、長篠城の歴史を今に伝えるものです。1573年に徳川家康が長篠城を奪回して城を修理する際に、造られたと言われています。長篠城の500年の歴史の真髄はここにあるのです。

長篠城観光で見どころのあるおすすめ史跡4「医王寺」見出し

医王寺は長篠の戦いで武田勝頼の陣が置かれていたところ。ここは軍部の会議が開かれるなど武田軍の中枢として機能していました。寺自体は室町時代に生きた僧侶によって建てられたものです。また、勝頼によって切られたアシも残されています。この医王寺で勝頼はどんな思いで信長軍と対峙していたのでしょうか?

長篠城観光で見どころのあるおすすめ史跡5「大通寺」見出し

大通寺は武田家の家臣たちが決戦の前夜に水を交わしたと伝えられている史跡。ここでは、馬場信房や山県昌景などの4人の家臣が決戦最後の別れを惜しみました。実際に水を交わしたところは、のちの時代に「盃井戸」と呼ばれるようになります。彼らは決戦前に何を思ったのでしょうか?大通寺は武田氏家臣の気持ちを計り知るという意味では、長篠城観光でぜひ訪れたいスポットです。

長篠城観光で見どころのあるおすすめ史跡6「逆さ桑」見出し

この史跡は長篠城の東北に位置しており、戦に敗れた武田勝頼とされている落ち武者が立ち寄ったところです。その落ち武者は食事用に箸代わりとして使った桑の枝を逆さにして植えました。その後、逆さになった桑の木が生えたので「逆さ桑」と呼ばれるようになりました。その落ち武者が本当に武田勝頼かどうかは分かりませんが、もし本人だったらドラマになりそうです。

長篠城観光で見どころのあるおすすめ史跡7「不忍の滝」見出し

不忍の滝は長篠城で流れている天然の滝で、戦国時代の長篠城では掘の役目をしていました。水質はそれほど良くないですが、滝という自然の産物を間近で見れるのが見どころ。流れゆく滝は、かなり勢いが激しくかなりのインパクトがあります。滝周辺は結構崩れやすいのでむやみに近づかず、遠くから見える範囲で写真を撮ることがおすすめです。

毎年5月の長篠城では「のぼりまつり」が行われる見出し

長篠城恒例の行事といえば、「のぼりまつり」が有名です。この祭りは簡単に説明すると、長篠の戦いを再現したイベントで、合戦で亡くなった人々の魂を慰めるために行われています。イベントでは、兜や鎧を被った人が見られます。また、物産展など他にも楽しみは盛りだくさんです。戦国好きにはたまらないイベントなので、ぜひ一度足を運んでみて下さい。

長篠城の料金はいくらか?見出し

長篠城に入るための料金は無料です。本丸だろうが、土塁などの大規模な城の痕跡も全てお金なしで入れます。ただ、先ほど述べた通り長篠城の敷地内にある長篠城趾資料保存館は210円とお金が要ります。資料館は基本的に有料なので、そこは把握しましょう。ちなみに営業時間も24時間無制限。行きたい時にだけ自由に散歩することをおすすめします。

必ず覚えておくべき長篠城へのアクセス方法見出し

車でアクセスする場合

長篠城へ車でアクセスする場合なら、新東名高速度の新城インターチェンジに降りましょう。インターチェンジから車5分で長篠城にアクセスできます。もう一つのルートですが、東名高速道路の豊川インターチェンジから降りて車30分で着けます。東京から来るにせよ大阪から来るにせよ、2つのインターチェンジで降りればいいですが、新東名から降りるのがおすすめです。

電車でアクセスする場合

長篠城へは電車でアクセスする場合は、JR長篠城駅に降りましょう。駅からは徒歩8分で長篠城へ着けます。長篠駅からは長篠城は西の方向にありますので、西に進みましょう。また、JR東海道本線の豊川駅方面から進む手もあります。豊川駅からは豊鉄バスの田口行きに乗り、長篠城付近にあるバス停で降ります。つまり、車がなくても長篠城に行けるのです。

長篠城観光で併せて行きたいスポット見出し

新城総合公園

この公園は長篠城から少し離れたところにある広い観光スポット。新城総合公園には、野球場やわんぱく広場、テニスコートなど様々な施設が存在しています。特にわんぱく広場は長篠の戦いをテーマにしたところで、将軍ルートなど個性豊かなコースがいっぱい。忍者気分になりたいならうってつけの場所です。自然豊かな場所でアウトドアを満喫したいなら、新城総合公園がおすすめでしょう。

新城総合公園へ子供と一緒に!楽しいアスレチックや水遊び・イベントも! | 旅行ガイドTravelNote[トラベルノート]のイメージ
新城総合公園へ子供と一緒に!楽しいアスレチックや水遊び・イベントも! | 旅行ガイドTravelNote[トラベルノート]
愛知県で人気の公園の新城総合公園のおすすめ情報をご紹介していきます。新城総合公園は、愛知県で観光でも、地元の人からも人気の公園で、子供の遊べる遊具や施設が充実しているスポットです。子供に人気のアスレチックや、遊具、水遊びが出来るスポットもあります。

旧黄柳橋

この橋は明治時代に建造された歴史スポットで、コンクリートアーチとして知られています。造りもなかなか優れており、地震に耐えるなど安全を前提にした建築が魅力的です。最初は木製だったのですが、大正時代になってからはコンクリートに建て替えられています。長篠城よりも時代が後になっていますが、新城市の歴史の探訪には欠かせない存在です。

鮎滝

長篠城周辺には鮎滝と呼ばれるスポットが存在します。ここでは川から飛び跳ねる鮎を網で掬う漁法が行われています。その漁法は日本には滅多に見られない方法。川で獲った鮎は食べれます。ちなみに夏の季節しかこの漁法を見ることができません。長篠城からは西北に位置します。

中央構造線長篠露頭

中央構造線長篠露頭は日本一長い断層である中央構造線の一部です。構造としては、太平洋側の外帯と日本海側の内帯に分けられています。まさに大地が生み出した産物なのです。そういう意味では長篠観光で珍しい自然スポットでしょう。この観光スポットは長篠城の歴史とはあまり関係ないですが、長篠観光の寄り道としてアクセスするのも悪くはありません。

長篠城で戦国時代の歴史を体感しよう見出し

ここまで長篠城の観光情報を紹介してきました。皆さんは長篠城や長篠の戦いのロマンを楽しめたでしょうか?歴史、史跡、アクセスなど知れば、その楽しみをさらに謳歌できます。かつてここで戦った織田軍や武田軍の凄まじい戦いが想像できます。もし、戦国時代にタイムスリップしたい場合は、一度長篠城観光を楽しむといいです。

投稿日: 2017年11月15日最終更新日: 2020年10月8日

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