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松陰神社は萩の歴史観光スポット!アクセス・御朱印などおすすめ情報を!

松陰神社は萩の歴史観光スポット!アクセス・御朱印などおすすめ情報を!
投稿日: 2017年5月6日最終更新日: 2020年9月6日

山口県萩市にある松陰神社は幕末の偉人・吉田松陰を祀る、萩市の中でも有数の歴史観光スポットです。境内には世界遺産「松下村塾」などの史跡や歴史館、宝物殿などがあり、見所が満載です。そんな松陰神社のおすすめの見所や御朱印、アクセスなどのお役立ち情報をご紹介します。

吉田松陰を祀る萩・松陰神社見出し

山口県萩市にある松陰神社は吉田松陰を祀る神社として明治23年(1890年)に建立されました。境内には2015年に世界遺産に登録された「松下村塾(しょうかそんじゅく)」、「吉田松陰幽囚ノ旧宅」などの松陰ゆかりの史跡の他、歴史館や宝物殿もあり、歴史観光スポットとして有名です。そんな松陰神社についてご紹介します。

「不世出の教育者」吉田松陰とは見出し

吉田松陰は、江戸末期の武士(長州藩士)、思想家、教育者です。明治維新の精神的指導者、倒幕論者として知られ、私塾・松下村塾を主宰し、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文といった優秀な人材を輩出したことから「不世出の教育者」と評されています。

萩城下の東郊、椿東地区の小高い山の斜面に「吉田松陰先生誕生之地」の石碑があります。吉田松陰は天保元年(1890年)、この地で禄高26石の長州藩士・杉百合之助の次男として生まれました。1834年、叔父で山鹿流兵学師範である吉田大助の養子となり、わずか9歳で萩藩校・明倫館の講師となる秀才だっといいます。

松陰神社の見所をご紹介見出し

吉田松陰は歴史ファンの中でも人気が高く、没後150年以上たった現在も松陰を慕って松陰神社を訪れる人があとを絶ちません。2015年には世界遺産の登録やNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の放送の相乗効果もあり、年間80万人以上の観光客がこの地を訪れています。そんな人気の歴史観光スポット・松陰神社の見所をご紹介します。

松陰神社の見所1:薩長土連合密議之處の碑見出し

松陰神社の駐車場の片隅に「薩長土連合密議之處」(さっちょうどれんごうみつぎのところ)と刻まれた石碑があります。1862年、土佐藩の坂本竜馬が久坂玄瑞を訪ねて来萩し、ちょうどその時に薩摩藩の田上藤七が萩に滞在していたことから、図らずものちの日本の歴史を大きく動かす三藩が一堂に会したのです。それを記念して1968年、石碑が建てられました。

松陰神社の見所2:吉田松陰歴史館見出し

松陰神社の鳥居をくぐって参道を少し歩くと、左手に吉田松陰歴史館があります。ここでは、吉田松陰の29年の短くも波乱万丈の生涯を20の場面に分けて紹介しています。吉田松陰について知るなら、まずここに立ち寄るのがおすすめです。

全部で約70体あるという等身大のろう人形は、まるで本物のようなリアルさです。ここ吉田松陰歴史館が日本で初めてのろう人形館とか。松陰の生涯を学びながら、そのろう人形の精巧さも楽しめます。

松陰神社の見所3:明治維新胎動之地の碑見出し

吉田松陰歴史館の手前に「明治維新胎動之地」の碑があります。この碑も薩長土連合密議之處の碑と同様に1968年に「明治維新百年」を記念して建てられました。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文といった、明治維新に多大な貢献をした逸材を多数輩出したこの地は、まさに明治維新胎動の地と言えます。

松陰神社の見所4:花月楼見出し

山口県の指定有形文化財に登録されている茶室、花月楼。1776年に萩藩の七代藩主・毛利重就公が防府市にある別邸内に造った木造桟瓦葺入母屋造の本格的な茶室で、1959年、松陰神社の境内に移築されました。

江戸時代中期に考案された花月式の茶会を催すことができるように設計された茶室を「花月楼形式」と呼び、花月楼の名の由来ともなっています。重就公の茶道への造詣の深さがうかがえる正式な座敷構えの格式高い茶室で、情緒豊かな雰囲気に包まれています。是非立ち寄っていただきたい、おすすめのスポットです。

松陰神社の見所5:吉田松陰歌碑見出し

花月楼を出て、参道に戻ると吉田松陰の歌碑があります。「親おもふ こころにまさる親こころ けふの音つれ 何ときくらん 寅二郎」と刻まれています。これは1859年、安政の大獄で江戸の獄中にあった松陰が萩の父と叔父、兄に宛てた手紙の中に書かれており、「永訣の歌」とも呼ばれています。歌碑の字は松陰の直筆の手紙の字を写して刻まれました。歴史の哀しさを感じる歌碑です。

松陰神社の見所6:宝物殿 至誠館見出し

吉田松陰が安政の大獄により江戸で処刑されてから150年目の節目、2009年にオープンした宝物殿至誠館。松陰の遺墨や遺品を展示している他、ここでしか手に入らない「至誠館グッズ」の販売コーナーもあり、松陰ファンにはおすすめのご当地グッズばかりです。

松陰神社の見所7:松下村塾見出し

2015年7月に「明治日本の産業革命遺産」のひとつとして世界遺産に登録された松下村塾。萩市に数ある史跡の中でも屈指の歴史観光スポットです。1842年、吉田松陰の叔父である玉木文之進が開いたのが始まりで、当時からこの場所にあり、建物も幕末に建てられたものがそのまま残っています。幼い松陰もここで学び、1857年、27歳でこの塾を主宰することになりました。

当時、藩校・明倫館は武士の子しか入れませんでしたが、松下村塾はどんな身分の子も受け入れ、費用も無料という私塾でした。最初は右側の元からあった8畳の小屋を改築して、講義をしていましたが、翌年には塾生が増加したため、左側の10畳半の部屋を増築し、講義室としました。

増築した10畳半の講義室です。ここで松陰は儒学、兵学、史学など広範な学問を教えていました。一方的に講義をするのではなく、塾生たちと意見をかわすなど、個を伸ばす教育をしていました。また松陰は海防の観点から、工学教育の重要性をいち早く唱え、工学の教育施設を設立し、自力で産業近代化の実現を図ろうと説きました。その教えが後年、日本の近代化、産業化に大きく貢献した人材を育てたのです。

講義室の一角に松下村塾の塾生たちの肖像が展示されています。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋など歴史上有名なそうそうたる人物たちです。松陰は個々の才能を見抜く眼も持ち、それぞれの力を伸ばしていきました。塾内で高杉、久坂は「識の高杉、才の久坂」と呼ばれていました。松陰が松下村塾で教えたのはわずか2年ですが、塾生たちに大きな影響を与え、まさに「不世出の教育者」と言えます。

松陰神社の見所8:孝行竹見出し

手前にある石碑は1926年、昭和天皇が皇太子時代に松陰神社を行啓された記念碑です。その後方に見えるのが、孝行竹と呼ばれる竹の木です。この竹の特徴が「親」竹の周りにだけ「子」竹が育つことから、「親を守る子」という意味で孝行竹と名付けられています。この一角だけが周りとはまた違った風情を持ち、おすすめの撮影スポットです。

松陰神社の見所9:吉田松陰幽囚ノ旧宅見出し

松下村塾の隣に2015年にユネスコ世界遺産に登録された吉田松陰幽囚(ゆうしゅう)ノ旧宅があります。ここは、元からこの地にあった松陰の実家、杉家の旧宅です。伊豆下田から密航しようとして失敗、奉行所に自首した松陰は江戸の牢から萩の野山獄に収監され、1855年12月にここ杉家宅の3畳半の一室に幽囚の身となります。

好学な家柄の杉家。松陰はこの住宅の中にある幽囚室で謹慎して、読書や著述に励んでいました。そのうち、家族や親せき、近隣の子弟たちを集めて、孟子などの講義を始めます。これがのちの松下村塾での指導の原点になったのでしょう。

松陰神社の見所10:松陰神社 本社見出し

境内の一番奥に本社があります。1890年の創建当時は、杉家による吉田松陰の私祠でしたが、伊藤博文らの働きかけで1907年、県の社格としての神社創設が許可されました。御神体として、松陰愛用の赤間硯と父叔兄と門下生たちに宛てた遺書「留魂録」(りゅうこんろく)が納められています。秀才だった松陰を祀っていることから、学問の神様として信仰が厚い神社です。

松陰神社の御神体である松陰の遺書「留魂録」の冒頭には「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちめとも 留め置きまし大和魂」と記されていたそうです。安政の大獄で29歳で刑死した松陰ですが、その歌の通り、松陰の思想、志は深く教え子たちや後世の人々の胸に留め置かれ、今なお地元の人々や歴史ファンたちに「松陰先生」と呼ばれ慕われています。

松陰神社の見所11:末社・松門神社見出し

現在の本社竣工に伴い、旧社殿を移築して建てられた松門神社。御祭神は松陰の門下生52柱と遺書「留魂録」を処刑直前に松陰から託された沼崎吉五郎を合わせた53柱からなっています。「留魂録」は全16章で構成され、松陰は死の直前2日間をこの遺書を著するために費やし、門下生へ最後の教訓を書き綴っています。「留魂録」は門下生の間でまわし読みされ、志士たちの明治維新への行動力の源泉になったと言われています。

松陰から遺書「留魂録」を託された沼崎吉五郎は、江戸の牢名主で松陰の人格と見識に心服していたといいます。のちに三宅島遠島になった際も「留魂録」をふんどしの中に入れて、17年間守り抜いたそうで、その功績をもって2015年に御祭神に加わったという歴史があります。最期まで門下生たちに教えを説いた松陰は死後も門下生と沼崎のような人物と共に祀られ安堵していることでしょう。

松陰神社の見所12:勧学堂見出し

本社の南側にある勧学堂には、吉田松陰の分霊が祀られています。元は品川神社と言われ、品川弥二郎の生誕地にあり、品川弥二郎命が祀られていたものを松陰神社境内に移築されました。この時、品川弥二郎命は松門神社に合祀され、お堂は勧学堂と名付けられました。1857年に松陰が松下村塾を主宰した11月5日を記念して、毎年勧学堂祭が行われます。ひっそりとした情緒のあるお堂です。

松陰神社の御朱印情報見出し

神社やお寺に参拝し、その思い出に御朱印をいただくと、とてもありがたい気持ちになれます。近年「御朱印ガール」という言葉ができるほど、御朱印を集める女性が急増中で、御朱印帳のデザインや御朱印にもこだわりがあるとか。また松陰神社の御朱印は幕末のカリスマ・吉田松陰を祀る神社だけあって、歴史ファンからも注目されています。そんな松陰神社の人気の御朱印情報をご紹介します。

松陰神社の御朱印帳①見出し

松陰神社で販売されているオリジナルの御朱印帳は2種類あり、そのひとつが豪華な刺繍入りのもの。表紙は松陰神社の鳥居、裏側には松下村塾と松陰の永訣の歌「親思ふ こころにまさる親こころ けふの音つれ 何ときくらん」が藍色の美しい布に刺繍されています。女性におすすめの御朱印帳です。

松陰神社の御朱印帳②見出し

2015年より販売されている、木製の珍しい御朱印帳です。表紙には、吉田松陰の肖像画が印刷されていて、松陰ファンなら是非とも手に入れたいおすすめの御朱印帳です。上記の刺繍デザインの御朱印帳とともに、境内の授与所でお求めいただけます。

松陰神社の御朱印見出し

「至誠」と二文字が人気の松陰神社の御朱印。これは「至誠にして動かざるものは 未だこれ有らざるなり」という松陰の言葉をとったものです。意味は「誠を尽くせば、人の心は必ず動く」という松陰らしい言葉。ひらがなで書かれた「はぎ」という文字が趣きを感じさせる御朱印です。

観光客に大好評の松陰神社のおみくじ見出し

松陰神社の少々変わった2種類のおみくじは、観光客やSNSでも話題になっています。思わず持ち帰りたくなる松陰神社オリジナルのおみくじは旅の思い出におすすめです。

松陰神社のおみくじ1:松陰先生御教訓入おみくじ見出し

松陰神社本社の左右の端にそれぞれポストのようなおみくじの自動販売機があります。これは、松陰先生御教訓入りおみくじの販売機。松陰ファンにはたまらないおみくじです。また「凶を引かれた方は授与所までお申し出ください。ささやかですが、おしるしを用意しております」という優しい配慮の貼り紙がしてあり、これも松陰先生のご配慮だろうかと、思わず考えてしまいます。

おみくじの中身を見ると、名前の通り松陰の教訓が書かれています。松陰が生涯に詠んだ詩句や教訓、「留魂録」からの出典もあるようです。「凶」が出た時のおしるしも拝見したいものです。

松陰神社のおみくじ2:傘みくじ見出し

社務所で販売している傘みくじ。「傘を開くと運が開く」という言葉にかけて作られたものです。小さくてカラフルな傘みくじは、大吉なら「快晴」、吉は「曇」など書かれており、思わず記念に持って帰りたくなる可愛いおみくじです。

傘みくじ専用の結び所がありますが、その量の多さから、木の枝に結ぶ観光客が多いようです。松陰神社のところどころで見られる、傘みくじが結ばれた光景は七夕かざりのように美しく、おすすめの撮影スポットです。

松陰神社への車でのアクセス見出し

車でのアクセスは、中国自動車道・十文字ICから小郡萩道路に入り、絵堂ICで国道409号線を経由。県道32号線を通り国道262号線を萩方面へ進み「警察署前」交差点を右折、直進して700mほど進み「維新ロード」交差点を左折すると「松陰神社前」交差点に着きます。交差点の右手に松陰神社があります。

松陰神社への公共交通機関でのアクセス見出し

注目の人気観光スポット、萩・松陰神社へは、多くの歴史ファンや幕末の志士たちが恋愛アプリなどでキャラクター化されて女性の間で大人気になっていることから、日本全国から観光客が訪れています。さまざまな公共機関でのアクセス方法やお得な情報をご紹介します。

松陰神社へのアクセス1:飛行機見出し

飛行機でのアクセスは、各都市の空港から山口宇部空港または萩石見空港へ。羽田空港からなら、どちらも1時間45分ほどでアクセスできます。空港からはタクシーで、山口宇部空港からは約1時間20分、萩石見空港からは約1時間10分で松陰神社に着きます。タクシーは前日までに予約が必要ですので、ご注意ください。

松陰神社へのアクセス2:鉄道見出し

新幹線でのアクセスは、山陽新幹線・新山口駅で下車します。新山口駅からは、ノンストップの中国JRバス「スーパーはぎ号」ですと1時間で萩・明倫センターに、防長交通バス「特急はぎ号」は約70分で東萩駅に着きます。それぞれの降車場からは、萩循環まぁーるバスの東回りコース「松陰先生」に乗車し、松陰神社前で下車します。

在来線でのアクセスはJR山陽本線・東萩駅で下車、萩循環まぁーるバス「松陰先生」で松陰神社前で下車します。上記写真は、臨時快速列車「幕末ISHIN号」でJR美弥線・厚狭駅から長門市駅を経由してJR山陽本線・東萩駅まで、主に土曜、日曜、祝祭日に特別運行しています。幕末志士たちのラッピング列車で、幕末歴史ファンにおすすめの列車です。

松陰神社へのアクセス3:高速バス見出し

東京、大阪からは夜行高速バスが運行しています。朝早く萩に到着するので、一日たっぷりと観光を楽しみたい方におすすめです。東京駅八重洲口からは防長交通バス「萩エクスプレス」、大阪東梅田からは近鉄バス「カルスト号」が運行しており、それぞれ萩バスセンターに到着します。萩バスセンターからは前述の萩循環まぁーるバス「松陰先生」で松陰神社前で下車します。

萩観光におすすめ!萩循環まぁーるバス見出し

赤いボディが可愛い、萩循環まぁーるバス。萩市役所前発着で東回りコース「松陰先生」と西回りコース「晋作くん」の2コースがあります。1回乗車100円で、1日乗り放題券は500円とお得なバスです。それぞれ萩城下町や観光スポットを巡るルートで、萩観光するのにおすすめです。運行は7時から18時までです。

萩には松陰神社以外も歴史スポットが沢山見出し

幕末の偉人・吉田松陰が祀られた松陰神社はいかがでしたか?松陰の近代日本にかけた熱い思いとその生涯にふれてみてください。萩市には、松陰神社の他にも萩城址や萩城下町、松陰の門下生たちゆかりの地など歴史観光スポットがたくさんあります。また2018年は明治維新150年の記念の年で、2014年から「やまぐち幕末ISHIN祭」が始まり、山口県全域でさまざまなイベントを開催していますよ。

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投稿日: 2017年5月6日最終更新日: 2020年9月6日

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