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敦賀城跡のアクセス方法は?城主の大谷吉継ゆかりのスポットも紹介!

敦賀市の中心部に、かつて栄えた敦賀城。大谷吉継の居城として有名なこの城は、今は何の面影も残していません。しかし、今日の記事を読むと、敦賀は歴史的に重要な出来事があった町だと分かるでしょう。埋もれた敦賀城のことを中心に、敦賀の歴史トピックスをまとめてみました。

敦賀市のこと知ってますか?見出し

福井県南西部、若狭湾の東端に位置する敦賀市は、人口6万5千の小都市です。原子力発電所が多く、昆布の加工町としても知られています。古くから、琵琶湖を挟んで畿内や瀬戸内海と北陸を繋げる交通の要衝とされ、敦賀港とともに発展した町です。今日は、この町に埋もれた敦賀城にまつわる話題とおすすめの歴史スポットをお伝えします。

敦賀城跡へのアクセス見出し

東京・大阪から敦賀へ電車でのアクセスは、東京駅→新幹線「ひかり」→米原駅→特急「しらさぎ」→敦賀駅。大阪駅→特急「サンダーバード」→敦賀駅となります。敦賀駅からはタクシーで駿河城跡へ移動するのが無難です。車でのアクセスは、北陸道敦賀ICを降りて国道8号線を進み、県道22号線を通るルートになります。

敦賀の町の歴史的特徴は?見出し

敦賀湾奥部にある敦賀は、天然の良港として古くから栄えました。国内の各地域と中国大陸とのアクセスを可能にする交易スポットとして栄えたんですね。ですから、敦賀は昔から戦いも多い土地柄でしたが、特に南北朝時代と織豊時代に有名な戦いがあった所なんです。その舞台の1つとなったのが金ヶ崎城と呼ばれる城跡でした。

2つの敦賀城見出し

金ヶ崎城は別名敦賀城と呼ばれますが、今からこの記事で取り上げる敦賀城とは違う城なので注意してください。この城は、源平合戦の時、平通盛が築いたのが最初で、1336年に新田義貞が足利軍と戦った城となりました。また、1570年には、越前朝倉義景討伐に失敗した織田信長の撤退戦で有名になった城跡スポットでもあります。

敦賀城の歴史見出し

敦賀城とも言われた金ヶ崎城跡は、敦賀市北東部の小高い山にありますが、平地とのアクセスは容易です。この城は信長が朝倉氏を倒して越前を平定した際に廃城となりました。その後、豊臣秀吉の時代に、そこより南西に下った平地に敦賀城が築城され、海とのアクセスを容易にする城となりました。

秀吉時代の敦賀城

信長の代には、敦賀郡代となった武藤宗右衛門が花城山城に入城しましたが、本能寺の変後、秀吉により領主に抜擢された蜂屋頼隆が、花城山城を廃して敦賀城を築城しました。この敦賀城は、金ヶ崎城跡より1.5㎞ほど南西に下った地に建てられました。おそらく海とのアクセスを良くして交易を盛んにしようとしたのでしょう。

大谷吉継時代の敦賀城

1589年、蜂屋頼隆は九州遠征中に病没したと言われています。彼に替わって敦賀の領主となったのが有名な大谷吉継です。秀吉は、日本海交易の要港で北国の貿易拠点であった敦賀を、有能な家臣である吉継に任せたのです。頼隆が築城した敦賀城は三層天守を持っていましたが、吉継はこれに大改修を加えて水城としました。

水城は海水を堀に引き込んだ城のことで、船が往来できるようにしたものもあります。おそらく、吉継が改修した敦賀城もそうなっていたのではないでしょうか。1600年、大谷吉継は、石田三成の朋友として関ヶ原の戦で西軍に与し、壮絶な討死をしてしまいます。戦後に大谷氏は改易となりました。

江戸時代の敦賀城

大谷氏改易後、敦賀城は吉継の家臣蜂屋将監によって東軍に引き渡されます。その後敦賀は、福井城主結城(松平)秀康によって代官が派遣され、徳川の支配下に入ります。結城秀康は徳川家康の次男ですね。34歳という若さで病没しています。その後敦賀城は、1616年の一国一城令により破却されました。

敦賀城の遺構見出し

敦賀城は今では跡形もありません。結城町の真願寺から南東側の敦賀西小学校辺りまでの、南北500m、東西300mの範囲が城域あろうと言われています。敦賀西小学校の説明掲示板には、「現在の結城町と三島町一丁目にまたがるものであった」と記されています。真願寺と敦賀西小学校が敦賀城跡のスポットだと覚えておきましょう。

敦賀西小学校内と真願寺の前に敦賀城趾の石碑があります。城の遺構としては、真願寺乾門の礎石や、来迎寺表門に移築された敦賀城裏門があります。また、八幡神社の境内には、敦賀城表門の礎石が展示されています。来迎寺の書院には、敦賀城破却時に移されたとされる腰高障子13枚が残っています。

敦賀城域の北西隅に当たる真願寺から東へ延びる赤川は、敦賀城の堀の遺構と言われていて、城域だとされる範囲の南側と東側にも部分的に水路が残っています。実際に地図で確認しながら歩いてみて、水城当時にどのような城であったのか想像してみると面白いですね。この水路はその想像を掻き立てのに役立ちます。

敦賀西小学校の南方にある西蓮寺の西隣に、敦賀城三の丸趾の木柱があります。そこから南の稲荷神社付近には三の丸地蔵尊の祠もあるようです。ですから、西蓮寺から稲荷神社の付近が三の丸だったようです。この辺りを結城町というのは、結城秀康からとった地名のようですね。

大谷吉継ってどんな人?見出し

関ケ原の戦前の大谷吉継

幼い頃から羽柴秀吉に仕えていた大谷吉継は、賤ヶ岳の戦いや小田原攻めなどでも活躍し、秀吉の天下統一に大きな功績をあげました。「100万の兵を与えて存分に指揮させて見たい」と秀吉が言ったと伝えられるほどの名将だったようです。

しかし彼は、ハンセン病を患っていたようです。一説には梅毒だったとも言われています。膿で崩れた顔を常に白い布で隠していたことでも有名です。末期になると馬に乗ることもできなくて、4人担ぎの輿に乗って紙の鎧兜を付けて指揮に当たっていたと言います。石田三成とは懇意の仲でした。

茶の湯の席では、吉継が口をつけた湯飲みには誰も口をつけようとしませんでした。膿が茶の中に入っている恐れがあったからです。しかし、石田三成だけは気にせずに茶を飲んだという説話が伝わっています。この出来事以来、石田三成と大谷吉継との友情は熱くなっていったようです。

大谷吉継と関ケ原の戦

ところが吉継は、徳川家康とも親しくしていました。関ヶ原の戦では、親友である石田三成に挙兵を持ちかけられ苦悩します。もちろん、吉継は「無謀な戦だ!」と三成を諫めて説得しますが、三成の熱意に打たれて西軍に参戦しました。もしかすると、自分の死期が近いことを悟っての参戦だったかも知れません。

関ヶ原の戦では、西軍の小早川秀秋が裏切ったことにより、小早川軍の猛攻撃を受けます。それでも、数度にわたって小早川勢を押し戻します。しかし、小早川を追撃しようとした時、西軍脇坂安治らの裏切り行為により包囲攻撃を受けて軍勢が総崩れとなり、吉継はとうとう自害してしまいます。

敦賀城と大谷吉継ゆかりのスポット見出し

八幡神社

敦賀城の欄間や礎石、鬼瓦、大谷吉継が寄進した石灯篭、茶壷など、吉継ゆかりの様々な歴史的遺産が残されています。敦賀城跡を訪れたなら、この寺は大谷吉継ゆかりの地として、ぜひ訪問したいおすすめスポットです。

永賞寺

大谷吉継の供養塔と伝わる層塔があります。吉継が生前より菩提寺としていた曹洞宗の寺院ですから供養塔があってもおかしくないですね。毎年9月には供養祭も行われているようです。ここも、大谷吉継ファンにはぜひ訪れて欲しいおすすめスポットですね。

常宮神社

秀吉が「100万の大軍を指揮させてみたい」と吉継を絶賛したのは、朝鮮の役における吉継の見事な軍監ぶりを見たからでした。この役で吉継が持ち帰った「朝鮮鐘」は国宝になっていて、秀吉の命により、吉継の手で常宮神社に奉納されたと言われています。

みなとつるが山車会館

ここは「敦賀まつり」で使われる山車を展示している会館ですが、入口に吉継の武者人形が飾られています。また、会館オリジナルの吉継グッズも販売されています。大谷吉継ファンにはおすすめの場所ですよ。

敦賀の歴史スポット見出し

加賀にゆかりの歴史的人物は、大谷吉継だけではありません。織田信長、豊臣秀吉、柴田勝家、徳川家康、信長の妹お市の方なども、敦賀の地と関わりを持っています。せっかく敦賀城を訪ねて敦賀に行くのなら、敦賀城以外の敦賀の歴史も知って、隠れた歴史的スポットに行ってみるのをおすすめします。

金ヶ崎城

金ヶ崎城は再登場ですね。朝倉攻めをしていた織田信長は、近江領主で味方だった浅井長政に裏切られ、浅井・朝倉両軍に挟まれて窮地に陥いりました。この時金ヶ崎城に残り殿(しんが り)を買って出たのが秀吉でした。またこの殿で秀吉の危機を救ったのは家康と言われています。この城跡は歴史ファンにおすすめのスポットです。

金崎宮

信長の妹お市は、浅井長政に嫁いでいました。信長が朝倉攻めの折り、お市は、信長が浅井・朝倉両軍に挟まれたことを知らせるため、小豆を入れた袋の両口を紐で結んで陣中に届けたそうです。金ヶ崎城の南にある金崎宮神社は、信長がそのあずき袋を受け取った所です。困難突破の神社としてご利益がある神社で、参拝をおすすめします。

玄蕃尾城(げんばおじょう)

長政が信長に滅ぼされた後、お市は柴田勝家と再婚します。賤ヶ岳の戦で、勝家は敦賀の玄蕃尾城に本陣を構えますが、秀吉軍の前に総崩れになった後は、越前北ノ庄城に逃げました、彼はそこでお市と共に自らの命を絶ちました。玄蕃尾城は山城として最も完成された城と言われていて、その形跡がよく残っているので見学をおすすめします。

歴史を知って城下町を訪ねれば…見出し

いかがでしたでしょうか?敦賀市は小さな地方都市です。今はほとんど形もない敦賀城ですが、城のことを調べると、かつてはかなり栄えていた城下町ではなかったかと想像できます。大谷吉継がつくった城下は、関ケ原の戦で徳川軍の侵入を受けてさぞ混乱したことでしょう。そんな想像を巡らせると、敦賀の町がとても面白く思えてきます。

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投稿日: 2017年4月5日最終更新日: 2020年10月7日

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