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宝戒寺の御朱印や見どころをご紹介!萩と梅が美しいお寺としても有名!

宝戒寺の御朱印や見どころをご紹介!萩と梅が美しいお寺としても有名!
投稿日: 2017年11月24日最終更新日: 2020年10月8日

かつて鎌倉幕府として栄えた鎌倉市の「宝戒寺」は、早春には梅の花が、夏から秋にかけて萩の花が美しい寺院として有名です。「宝戒寺」は鎌倉幕府と共に繁栄して滅亡していった北条氏とも深い関わりがあります。「宝戒寺」の沢山の見どころを御朱印の情報と合わせて紹介します。

「萩の寺宝戒寺」美しい萩や梅などの花を見に行こう!見出し

「宝戒寺」は、かつて鎌倉幕府で栄えた鎌倉市にある寺院で、200株の萩や珍しいタイプの梅、その他一年中楽しめる色々な種類の美しい花で有名で、「萩の寺」という別名で呼ばれています。また「宝戒寺」は鎌倉幕府と共に繁栄し滅亡した北条氏と深い繋がりがあります。そんな「宝戒寺」の歴史を学び、そして花を愛でに行きましょう!

「萩の寺宝戒寺」萩の寺と呼ばれる宝戒寺見出し

「宝戒寺」では未だ肌寒い2月下旬から3月下旬頃に黄色の梅の花・ピンクの梅の花・純白の梅の花など色とりどりの美しい可憐な梅の花が満開となり訪れる人々を楽しませ、見どころの一つとなっています。本堂前の鎌倉の梅の中でも最高品質と言われる「しだれ梅」や一つの木に白とピンクの梅の花を咲かせる「思いのまま」等が有名です。

別名「萩の寺」とも言われる「宝戒寺」は、その名の通り200株もの白萩が一斉に咲き乱れる事で有名で、訪れる人々の足を止めます。美しい萩が満開になる見どころの時期は7月下旬頃です。萩は、マメ科の落葉低木で秋の七草の一つとなっています。一つ一つの花は小さい萩ですが、200株もの萩が一斉に満開になる様は見ものです。

その他にも「宝戒寺」では、3月中旬から4月中旬頃には香り高い木蓮、3月末から4月初め頃には春の象徴の桜、7月上旬から8月上旬頃には豪華なスイレン、8月中旬から9月中旬頃には美しい彼岸花、11月下旬から12月上旬頃には鮮やかな紅葉、12月下旬から2月下旬頃には色んな種類の椿など沢山の見どころの花を一年中楽しむ事が出来ます。

「萩の寺宝戒寺」宝戒寺の歴史と北条氏見出し

神奈川県鎌倉市にある「宝戒寺」は天台宗の寺院で、山号は金龍山です。「宝戒寺」は鶴岡八幡宮三の鳥居前の東へ向かう金沢街道を右に曲がった突きあたりに建っています。7月下旬頃に見どころとなる美しい200株もの白萩と、3月頃の早春に見どころとなる珍しいタイプの華麗な梅の名所として知られ「萩の寺」とも呼ばれます。

「宝戒寺」が建つこの土地は、古くは北条義時が小町邸を建ててから代々、鎌倉幕府の執権だった北条氏の屋敷があった場所でした。しかしその後、元弘三年の1333年に新田義貞の鎌倉攻めによって滅びた北条一族の霊を慰める為と、国宝的人材の養成修行を目的とした道場として、足利尊氏が後醍醐天皇に命じられて建てた寺院です。

建武2年の1335年に天台座主五代国師円観恵鎮慈威和上により開山された「宝戒寺」がこの北条氏の屋敷があった場所に建つ迄を、鎌倉幕府と共に栄え滅びていった関東一の勢力だった北条一族の歴史と共に追っていきます。当時、関東一帯を支配していた戦国大名の北条氏は小田原城を本拠としていました。

「萩の寺宝戒寺」鎌倉幕府の実権をめぐる源氏三代と北条氏見出し

壇ノ浦の戦いで平家が滅亡してから、源頼朝を征夷大将軍にするつもりの無かった白河天皇が崩御した為、1192年7月12日に鎌倉幕府を立ち上げた源頼朝は、日本で初の武家政権を誕生させ初の征夷大将軍になりました。また、北条時政が補佐役につき、源頼朝の正室の北条政子の支え等がありながら鎌倉幕府は始まり時は過ぎていきます。

1199年、武家政権確立を目指していた当時53歳だった源頼朝は、落馬が原因で将軍就任わずか7年でこの世を去りました。その後、まだ18歳だった北条政子との子、長男の源頼家が跡継ぎとして征夷大将軍になりますが、幕府の人間は未だ若い源頼家に政務を任せる事を不安に思い「十三人の合議制」という政治体制を形成しました。

北政時政と源頼家の死

「十三人の合議制」とは、未だ若かった源頼家に代わり有力御家人が政務と裁判を執り行うという物で、北条氏がこの体制の中心にいました。野望を持つ北条時政と義時父子は実権を握る為、他の有力御家人を排除していきました。1203年、北条時政は重病にかかった当時22歳の源頼家を、ある目的を持って伊豆の修善寺に幽閉しました。

源頼家の幽閉により、代わりに弟の源実朝が12歳で征夷大将軍に付く事になります。翌年の1204年7月18日、伊豆・修善寺にて元気になった源頼家は北政時政などの陰謀により刺客に襲われ壮絶な死に様でこの世を去ります。北条時政は源頼家の母である北条政子の父であり身内ですが、北条氏と比企氏の権力争いの為に源頼家殺害を実行しました。

北条時政の追放と源実朝

北条時政は、未だ若かった征夷大将軍・源実朝を補佐しながら執権と呼ばれる地位に登り詰め政治の実権を握りました。1205年、北条時政は娘婿の平賀朝雅を将軍にしようと考え、平賀朝雅と対立する畠山重忠の命を奪い源実朝の将軍の地位を奪おうと企みました。北条時政の息子の義時と源実朝の母の北条政子は北条時政の計画に反発しました。

父の陰謀に気付いた源実朝の母の北条政子は有力御家人と手を組み、命が狙われている源実朝を弟・北条義時のもとに隠し、北条義時と共に北条時政を伊豆に追放して平賀朝雅を抹殺しました。その後、北条氏権力の確立の為、二代執権として北条義時と北条政子が実権を握り、源実朝は朝廷から与えられる官位を大切にし右大臣に登り詰めます。

源実朝の死と北条氏の実権

源実朝は1218年に晴れて右大臣になります。しかし1219年1月27日、右大臣となる実朝の祝賀が鶴岡八幡宮で行われた際、太刀持ちをしていた北条義時が、突然体調不良となり源実朝の側近・源仲章がその代行を務めました。しかし鶴岡八幡宮を統括する別当・公暁が急に飛び出して来て源実朝の首を取り源仲章を殺害し行方を暗ませました。

鎌倉幕府は朝廷と対抗する勢力だった為、朝廷に近づきすぎた源実朝は鎌倉幕府の敵と見なされ北条義時などを含めた鎌倉幕府関係者の陰謀で28歳という若さで最後を迎える事になり、鎌倉幕府が始まって30年、わずか三代にて源政権は北条氏の身内同士の欲望と企みにより滅ぼされ、北条氏が代々、鎌倉幕府の実権を握っていく事になるのです。

「萩の寺宝戒寺」新田義貞の鎌倉攻めと北条氏の最期見出し

1221年の「承久の乱」以降、鎌倉幕府は「京都・六波羅探題」を使い京都の朝廷を監視していました。しかし、元弘三年の1333年5月7日「京都・六波羅探題」は後醍醐天皇の勅命を受けた足利高氏により滅ぼされました。足利高氏は元は幕府側の人間であり幕府にとって大きな打撃になりました。同じ頃、関東でも同じ様な動きがありました。

新田義貞も元は幕府側の人間でしたが、鎌倉幕府から高い税金と大量の兵糧米を納めるよう要求され続け、そんな中、後醍醐天皇の勅命を受けて「鎌倉攻め」を決断します。足利氏が北条氏に御家人の中では優遇されていたのに対し新田氏は冷遇され、足利氏より家格が上だった新田氏は落ちぶれてしまったという長年の一族の怨念もありました。

新田義貞の軍勢は鎌倉へ迫り幕府方の軍勢と衝突しますが、幕府方の守りは予想以上に固く、新田義貞の軍勢は計画を変えて海岸伝いに鎌倉を攻めようと稲村ヶ崎の北・聖福寺に本陣を移します。そこで新田義貞は竜神に道を開くよう頼み宝剣を海に投げると、潮が引き砂浜が現れ幕府方の軍船は引き潮と共に遥か沖の方に押いやられました。

「太平記」に記された竜神の有名な話ですが、実際は潮が引くのを待って鎌倉攻めを実行しました。幕府方の軍勢と衝突しながら北条氏の邸宅へ近付こうと鎌倉に突入します。その時、北条高時や北条門下の人々は邸宅を出て北条氏の菩提寺・東勝寺に逃げ込みました。新田義貞の鎌倉攻めにより、鎌倉市内は火の海と化しました。

鎌倉幕府と北条一族の最期を悟った北条高時や北条門下の人々は、最期は北条一族の名に恥じない最期を遂げる決意をし、主君・北条高時の死を見届けると、北条門下の人々は建物に火を付けて次々と自害していきました。元弘三年の1333年5月22日、新田義貞の鎌倉攻めにより、こうして鎌倉幕府と北条氏の栄光は幕を閉じました。

「萩の寺宝戒寺」北条執権邸旧蹟の石碑見出し

「宝戒寺」の門をくぐってすぐ左手に建つ「北条執権邸旧蹟の石碑」から、ここが、かつて全国の武士を動かし鎌倉幕府の実権を握っていた執権・北条氏の邸宅があった場所だと分かります。鎌倉幕府の頃は、幕府の御所や御家人の邸宅のような建物は鶴岡八幡宮の東側にありました。北条氏の邸宅も当時「小町亭」と呼ばれこの地にありました。

「萩の寺宝戒寺」沢山の見どころの本堂見出し

本堂内には、国の重要文化財で鎌倉二十四地蔵の1つ「木造地蔵菩薩坐像」や鎌倉・江の島七福神の1つで病魔退散・財宝富貴の福神「毘沙門天像」。本尊脇侍の「木造梵天・帝釈天立像」や、鎌倉三十三観音の1つ「准胝観世音像」などがあります。本堂内は撮影禁止、土足禁止となっています。

本尊の「木造地蔵菩薩坐像」は1365年の貞治4年、仏師憲円により作られ「子育経読地蔵大菩薩」とも呼ばれ、地蔵像としては珍しい坐像で見どころの1つとなってます。「子育経読地蔵尊」という別名は、宝戒寺の門前で子供が生まれそうになった時に子供を取り上げる手伝いをしてくれたお坊さんが地蔵の化身だったという話から来ています。

「萩の寺宝戒寺」工芸技術者の守り神・聖徳太子堂見出し

聖徳太子が祀ってある「聖徳太子堂」は、鎌倉では「宝戒寺」のみで、見どころの一つとなっています。聖徳太子は仏教を深く信仰していて仏教の保護に取り組み、工芸技術者の育成にも力を注いできた事から、今でも工芸や建築にかかわる職人の間では守り神として崇拝されています。毎年、1月22日に聖徳太子講が厳かに執り行われます。

「萩の寺宝戒寺」日本最古の木造聖天・大聖歓喜天堂見出し

「大聖歓喜天堂」には、高さ150センチを超す人体に象の頭がのった双身像の歓喜天像があり、国の重要文化財に指定されています。歓喜天像は鎌倉独特の土に漆を混ぜて貼り付けた土紋装飾がある日本最古の木造聖天です。歓喜天は、十一面観音の化身である牙の折れた象頭の女神と、魔物である毘那夜迦王の二人で一つの神様で未公開です。

「萩の寺宝戒寺」北条氏鎮魂・徳崇大権現堂見出し

「徳崇大権現堂」には、北条氏の最後の権力者であった鎌倉幕府第14代執権・北条高時が祀られています。第15代執権・北条貞顕は政権争いに巻き込まれ短命で終わり、第16代執権・北条守時の時は北条高時が実権を握っていました。1333年5月22日の31歳の時、裏山にある東勝寺で新田義貞に攻められ870名の北条一族と共に自害しました。

毎年、5月22日の鎌倉幕府が滅亡した日には、北条氏鎮魂の為に大般若転読会が行われます。「徳崇大権現堂」に祀られている北条高時像を輿に乗せて本堂に迎え、大般若経を転読します。大般若経は三蔵法師玄奘がインドから持ち帰った経典を翻訳した600巻にも及ぶ物で大般若経転読会が終了次第、北条高時像は「徳崇大権現堂」に戻ります。

「萩の寺宝戒寺」北条氏の慰霊塔・宝筐院塔見出し

「宝筐院塔」は本堂の左手に建っており、1333年に新田義貞に滅ぼされた北条氏と鎌倉合戦、東勝寺戦死者を供養する為の慰霊塔です。「宝筐院塔」には写経や写経石が納められています。北条高時の鎌倉幕府勢と新田義貞の反幕府勢であった新田勢の戦いで最期、新田義貞に攻められ北条高時と北条一族の870人は東勝寺にて自刃しました。

「萩の寺宝戒寺」御朱印について見出し

「宝戒寺」の御朱印には、鎌倉三十三観音霊場第二番「佛母準胝尊」の御朱印、鎌倉・江の島七福神「毘沙門天」の御朱印、弘法大師相模二十一ヶ所霊場第一番「南無大師」の御朱印、鎌倉二十四地蔵尊霊第一番「子育経読地蔵尊」の御朱印の4種類の御朱印があります。どの御朱印も300円です。御朱印は本堂内にある寺務所で頂けます。

「萩の寺宝戒寺」交通アクセス見出し

交通アクセスは、バスでのアクセスの場合は、鎌倉駅発・京急バス5番「金沢八景駅」行き「大学前」下車のアクセスと、鎌倉駅発「鎌倉霊園正門前・太刀洗」行き「大学前」下車のアクセス、鎌倉駅発「ハイランド」行き「大学前」下車でのアクセスの、3つのアクセスがありますが、全て下車後は徒歩約2分です。

他のアクセス方法として、電車でのアクセスの場合が、JR横須賀線「鎌倉駅」東口から徒歩で約13分です。車でのアクセスの場合は、横浜横須賀道路「朝比奈インター」から約20分です。「宝戒寺」には専用駐車場はありませんが、タイムズ鎌倉雪ノ下や、タイムズ鎌倉雪ノ下第3、コインパーク鎌倉小町第2などの有料駐車場が近くにあります。

「萩の寺宝戒寺」基本情報見出し

拝観時間は8時から16時30分です。拝観料金は大人・中学生以上100円、小人・小学生50円です。平成30年より大人・中学生以上200円、小人・小学生100円となります。定休日は無休です。本尊子育延命地蔵様御前での安産・子育て祈願等を希望の方は前もって「宝戒寺」迄問い合わせて下さい。

住所:神奈川県鎌倉市小町3丁目5−22 電話番号:0467-22-5512

「萩の寺宝戒寺」まとめ見出し

「宝戒寺」では別名にもなった一斉に咲き乱れる200株もの美しい萩や珍しい種類の可憐な梅、他にも季節毎に色々な種類の花を楽しむ事が出来ます。そして、かつて鎌倉幕府と共に栄え滅亡の道を辿った北条氏の過去を「宝戒寺」のあちこちに見つける事が出来ます。そんな長い歴史を持つ美しい花に囲まれた「宝戒寺」に行ってみませんか?

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投稿日: 2017年11月24日最終更新日: 2020年10月8日

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