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巌流島の観光スポットやアクセスは?見どころや歴史なども紹介

巌流島の観光スポットやアクセスは?見どころや歴史なども紹介
投稿日: 2018年4月6日最終更新日: 2020年10月8日

巌流島は、下関市彦島江の浦東岸250mの位置にある無人島です。この巌流島の歴史的逸話として残っているのが、宮本武蔵と佐々木小次郎の戦いです。巌流島には、その逸話にちなんだ記念碑や彫像などが建てられており、歴史に想いを馳せる観光名所となっています。

巌流島は伝説の逸話が残る歴史ある島見出し

Photo by Tomoharu Mogami

本州と九州を挟む関門海峡に浮かぶ小さな島、通称巌流島と呼ばれる島には、江戸時代初期の剣豪といわれた宮本武蔵と伝説の剣客佐々木小次郎との戦いにまつわる歴史的逸話が残されており、フィクションとしても、映画や歌舞伎、小説などで有名です。ここでは、そんな巌流島の歴史的魅力と見どころ、また周辺を含めた観光スポットを併せて紹介します。

戦いの場となった巌流島の由来見出し

Photo by monkist

巌流島は、正式に船島といい、下関彦島の東岸から250m離れたところにある歴史ある見どころ満載の無人島です。巌流島という名の歴史的由来は、宮本武蔵と佐々木小次郎の戦いの話にありました。宮本武蔵の養子であった宮本伊織が、武蔵の死後9年目に建立した小倉の顕彰碑「小倉碑文」によると、小次郎の名前は、巌流という名で書かれています。

そしてその巌流は、武蔵との戦いに敗れてしまいます。この小倉碑文には、小次郎の名前は巌流としか書かれておらず、佐々木という姓が登場するのは、武蔵の死後130年余り経った1776年に、熊本藩細川家の筆頭家老、松井家の二天一流兵法師範の豊田景英が著した宮本武蔵の伝記「二天記」が初めてで、それ以後佐々木小次郎の名で広まります。

Photo by Tomoharu Mogami

武蔵との戦いに敗れた巌流、佐々木小次郎を慕う弟子達によって、彼の冥福を祈るため、この船島に墓が作られました。それ以来ここを「巌流島」と呼ぶようになったとされています。その後、この巌流島の少し奥まった所にアクセスすると、明治43年に建立された佐々木巌流之碑がひっそりと佇んでおり、歴史的な見どころのひとつとなっています。

伝説となっている巌流島の戦いとは見出し

1612年慶長17年4月13日に、長門の国「船島」、現在の巌流島で、宮本武蔵と佐々木小次郎の戦いが行われました。当時、諸国を武者修行した後、小倉藩の細川家に剣術師範として道場を開いていた佐々木小次郎の元へ、諸国を武者修行中だった宮本武蔵から、細川家の家来を通して試合の申込みがあり、場所として指定されたのが船島、巌流島でした。

Photo by Tomoharu Mogami

戦いは辰の刻、午前8時でしたが、武蔵が伝馬船に乗って現れたのは、巳の刻、午前10時。待たされたことに怒った小次郎は、波打ち際で武蔵を迎え打ち、鞘を投げ捨て刃渡り三尺はあろうかという刀を抜きました。一瞬、飛び上がった武蔵が振り下ろした木刀が小次郎の頭を打ち砕き、小次郎はその場に倒れました。こうして戦いは武蔵の勝利で終わります。

この武蔵と小次郎の戦いについては、諸説あって、特に武蔵が時間に遅れたというのは、武蔵の死後130年も経過して書かれたもので、それ以前には遅れたことは一切書かれていなかったり、武蔵が書いた五輪書には、この巌流島の戦いそのものが書いてないため、その後の他の者による創作だったというものまであり、真実は歴史の中に隠れています。

クルーズ船で渡れる巌流島見出し

Photo by Tomoharu Mogami

巌流島へのアクセスは、下関の唐戸と門司港にある関門汽船が運航する連絡船を使ってアクセスすることができます。下関からは、下関グランドホテル横にある下関唐戸1号桟橋から、門司港からは、マリンゲートもじにある門司港桟橋からそれぞれアクセスすることができます。毎日12便、所要時間は10分で関門海峡を遊覧してアクセスします。

Photo by eitarov

クルーズ船の所要時間は、10分ほどですが、実際は巌流島までは10分もかからない距離です。そのためわざわざ関門海峡をぐるりと周遊して巌流島へアクセスします。時折、海峡を渡る大型タンカーや豪華客船などが見え、海鳥の鳴き声を聞き潮風を肌で感じながら、門司港と下関の街並みを間近に見ることができる見どころのひとつとなっています。

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関門海峡観光は観光船がおすすめ!人気のグルメ、料金情報が盛りだくさん! | 旅行ガイドTravelNote[トラベルノート]
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決闘の記念碑がある巌流島見出し

Photo by awayukin

巌流島へアクセスすると桟橋に大きなアーチがあり、そこをくぐって島へ上陸します。あまりにも周辺から近いので陸続きの半島のようにも見えますが、紛れもない海峡にぽっかりと浮かぶ島です。地形的には太古の時代に下関にある彦島半島と陸続きだったのでは、と推測される位置関係です。遊泳は禁止されていますが、陸からわずか250mの距離です。

巌流島の船着場に降りて最初に出会うモニュメントが巌流島文学碑です。画家である古館充臣氏が描いた宮本武蔵と佐々木小次郎のイラストと、村上元三作「佐々木小次郎」の一説が刻まれた船の形をした石碑です。ここから周辺の海峡を眺めることができ、「武蔵・小次郎像」「佐々木巌流之碑」「伝馬船」とともに巌流島での歴史的見どころのひとつです。

Photo by Tomoharu Mogami

巌流島は、明治期以降何度か埋め立てが行われ、決闘が行われたとされる当時からすると、3倍から6倍になっているといわれます。周囲が1.6kmほどで、現在は、下関市が3分の1、民間企業が3分の2を所有しており、その下関市所有の部分が、人工海浜や散策道路、多目的広場などの公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれています。

巌流島の全景を空から空撮した4Kドローンでの個人による撮影の動画です。2018年1月6日にYoutube上に公開されています。上空から見ると、宮本武蔵と佐々木小次郎の銅像の位置関係がよく分かります。またこの巌流島自体が本州の下関からすぐにアクセスできるところに、本当に橋が架けられそうなわずかな距離にあるのがよく分かります。

無敵の剣豪といわれた宮本武蔵とは見出し

Photo by MShades

今日多くの書物や映画、漫画やゲームに至るまで伝説の剣豪、天下無双の剣の達人として有名な宮本武蔵とは、一体どういう人だったのでしょうか。宮本武蔵を知る手掛かりとなる文献としては、武蔵自身が60歳の時から書き始めたとされる「五輪書」、武蔵の養子宮本伊織が武蔵の死後9年目に記した「小倉碑文」などがあり彼の生涯が推定できます。

武蔵が書いた「五輪書」によると、13歳で初めて新当流の有馬喜兵衛と決闘、16歳で但馬国の秋山という兵法者と、以来29歳までに60回余りの勝負を行い、すべてに勝利したと書かれています。本人が書いたのは事実ですが、それを裏付ける歴史的史実はなく真偽のほどは不明です。しかし、吉川英治作「宮本武蔵」をはじめ多くの作品の題材となっています。

その後、大坂の陣で徳川方に参陣したり、島原の乱へ参陣したりした後、1640年寛永17年に熊本藩主細川忠利に客分として招かれ、この頃余暇に製作した「芦雁図」「枯木鳴鵙図」「布袋観闘鶏図」などの画や黒漆塗の「鞍」、寺尾家に伝来していた素銅製の「海鼠透鐔」などの工芸の作品が今に伝えられ、いずれも文化財として残されています。

熊本市近郊にある金峰山には、武蔵が1640年の寛永20年から五輪書の執筆を始めたとされる岩戸、霊巌洞という洞窟があり見どころのひとつです。ここで武蔵は、自身の生涯について、剣術の奥義についてのまとめである「五輪書」を書き上げ、また、亡くなる数日前には「自誓書」とも称される「独行道」とともに兵法の弟子、寺尾孫之允に与えています。

悲運の剣客佐々木小次郎とは見出し

Photo by y_katsuuu

佐々木小次郎は、安土桃山時代から江戸時代初期の剣客とされていますが、実際には出生年、場所を含め諸説あり不明な点が多く謎に包まれています。武者修行のため諸国を遍歴し、秘剣「燕返し」は、福井にある一乗滝で会得したとされ、その後岩流と呼ばれる流派を創り、小倉藩の細川家の剣術師範になったというのが一般的通説になっています。

巌流島での戦いが1617年、そして熊本藩の豊田景英が編纂した「二天記」は、1776年に書かれていますから約150年後に書かれたものですが、それによると、佐々木小次郎は、越前国宇坂庄浄教寺村、現在の福井市浄教寺町に生まれたとされています。秘剣「燕返し」は一乗滝で会得したとされますが、150年も後に書かれたもので真偽は定かではありません。

巌流島周辺の観光スポットその1:海峡夢タワー見出し

Photo by HIRAOKA,Yasunobu

下関にある高さ153mの海峡夢タワーでは、一番上にある展望台から関門海峡が一望でき、遠くに瀬戸内海、九州の連山そして日本海の響灘まで見渡せ、関門観光での見どころのひとつです。またすぐ近くには、巌流島をはじめ海峡を行き交う大型船や漁船などを眺めることができます。入場料は大人600円、小人300円、時間は9時半から21時半までです。

巌流島周辺の観光スポットその2:関門橋見出し

Photo by rail02000

本州と九州を結ぶ全長1068mの吊り橋関門橋は、中国自動車道と九州自動車道を繋ぐ高速道路で、正式には関門自動車道となってます。橋の両岸に行くと関門海峡を見下ろすことのできる火の山パーキングと和布刈パーキングにアクセスでき、威風堂々とした関門橋の威容とともに風光明媚な観光名所として、九州山口観光の見どころのひとつとなっています。

巌流島周辺の観光スポットその3:門司港レトロ見出し

Photo by kaidouminato

九州最北端にある門司港には、大正時代初期の洋風建築物が立ち並ぶ門司港レトロ地区があり、情緒溢れる街なみが広がっています。中心部の船着場周辺は、ブルーウィングと呼ばれる羽根橋をはじめ、土産物屋やオルゴール館、船上レストランなどウォーターフロントとして観光開発された見どころ満載のエリアがあり散策しながら楽しめます。

Photo by wonderstory

門司港にある門司港駅は、1914年大正3年の1月に建築された木造2階建ての駅舎で、ネオルネッサンス様式と呼ばれる左右対称の外観デザインが特徴的な大正ロマンを彷彿とさせる建物です。駅構内には、戦前から使用されている洗面所、手水鉢、上水道などの歴史的資産があり、1988年には駅舎としては全国で初めて国の重要文化財に指定されています。

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巌流島周辺の観光スポットその4:唐戸市場見出し

Photo by Tomoharu Mogami

唐戸市場は、関門の台所として、地方卸売市場としては全国的にも珍しい販売形態を行う市場です。特に下関はふぐの市場として有名で、他にもタイやハマチなど獲れ立て新鮮な魚介類が並んでいます。また青果や海産物などもあり週末や夕方には多くの買い物客で賑わいます。またお隣には海響館という見どころある水族館もあり観光客も多く訪れます。

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巌流島の戦いにちなんだ2つの銘菓見出し

Photo by HIRAOKA,Yasunobu

巌流焼は、下関市にある老舗和菓子屋、巌流本舗が出している地元下関の名物和菓子です。小豆餡を主流とする一般的などら焼きに対して、オリジナリティを加えようとインゲン豆の白あんの粒餡で作られているのが大きな特徴です。下関名物として古くから人気の和菓子で、由来となった佐々木小次郎の慰霊祭でも、神前に供えられるようになっています。

Photo by HIRAOKA,Yasunobu

武蔵を待ちわびる小次郎の気持ちを代弁するかのような巌流本舗の和菓子、その名もずばり「おそいぞ武蔵」という名の和菓子です。黒あんをはさんだどら焼きで、焼印に武蔵考案の「武蔵鍔(むさしつば)」を採用しているのが大きなポイントです。白あんの巌流焼に対して黒あんの誕生が遅くなりお待たせしましたという意味も込められています。

巌流島の戦いが書かれた小説見出し

宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の戦いを一躍有名にしたのが、1937年に新聞紙上で連載された吉川英治作「宮本武蔵」の小説です。この中で武蔵が遅れた話や幼少の頃のたけぞうという名前などは、この小説の中の全くの創作であり、あまりにもこの小説が話題になり過ぎたため真実の歴史を誤解されている点が多々あります。事実は小説よりも奇なりです。

決闘の聖地とされる巌流島見出し

その後、巌流島は決闘の聖地として、様々な決闘が行われました。有名なものとしては、1987年10月4日に新日本プロレスが企画したアントニオ猪木とマサ斉藤とのプロレス試合です。無観客、時間無制限、ノールールで行われ、2時間が経過し両者ふらふらになりながらも2時間5分14秒、猪木の裸絞めによるTKO勝利で幕を閉じました。

毎年、4月13日前後の日曜日に開催される巌流島リレーマラソンは、2018年も4月15日に開催され6回目となり、年々盛り上がりを見せています。1チーム4人以上10人以内で1周約1.5kmのコースを計28周リレーしてチームで完走するフルマラソンです。参加チームはチーム武蔵とチーム小次郎に分かれ、平均タイムで勝利チームを競い合います。

歴史的ロマンを感じる巌流島へ見出し

Photo by mrhayata

本州の最南端、九州の最北端、そのどちらからもアクセスできる巌流島は、関門海峡に浮かび下関と門司港周辺の観光名所とともに見どころが満載の小さな島です。関門エリアへ訪れた際には、ぜひ一度、決闘の聖地ともいわれるここ巌流島で、宮本武蔵と佐々木小次郎の伝説の戦いに思いを馳せながら、ロマン溢れる歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

投稿日: 2018年4月6日最終更新日: 2020年10月8日

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