西郷隆盛の銅像に関する疑問を解決していこう
西郷隆盛は幕末に活躍した人物です。当時職業は今ほどカッチリと定められたものではなかったため、武士や軍人、政治家や革命家と呼ばれることもあります。上野の銅像はアクセスもよいため、観光にもおすすめの気軽に立ち寄れる場所と言えます。
偉大な大人物と評される一方で、歴史に詳しい人からは評価の難しい人物と言われることもあります。上野には西郷隆盛の銅像がありますが、こちらもなぜ彼の出身の鹿児島ではなく上野に建てたのでしょうか。謎の多い西郷隆盛の銅像とその歴史についてまとめました。
そもそも西郷隆盛とはどんな人物?
上野にある銅像に触れる前に、そもそも西郷隆盛とはどんな人物であったかについて簡単におさらいしてみましょう。金門の変や戊辰戦争、江戸無血開城や西南戦争など西郷隆盛が深く関係している事件や戦争は多くあります。
歴史の教科書では主に薩長同盟や大政奉還、王政復古の大号令がメインとして扱われています。「そんなことも勉強したなぁ」と何となく覚えている人も多いのではないでしょうか。
幼少の頃、13歳のときに子供同士のケンカの仲裁に入ってケガして以降、刀を握れなくなったと言われています。そういわれてみると、確かに西郷隆盛には武士よりも政治家の印象が強くあります。
NKKの大河ドラマの主人公になった人
西郷隆盛本人を主人公にした大河ドラマ、「西郷どん」で扱われる通り、知名度も抜群です。実在の西郷隆盛に倣い、勇気と実行力があるリーダーとしてみんなを引っ張っていく姿が立派に描かれました。
大河ドラマとして扱われる都合上、どうしても主人公を華々しく見せる演出は必要です。そのため個人を描く大河ドラマでは脚色も問題になっています。西郷隆盛の西郷どんの決断のよさや、島津久光が必要以上に悪者として描かれているととらえる人もいるようです。
西郷隆盛という人物は、精神的に不安定だったともいわれています。リーダーシップを発揮する雄々しい一面だけでなく、人としてリアルに悩む姿も大河ドラマでの見どころと言えそうです。上野公園にアクセスした際も、彼をより深く近くに感じられるでしょう。
なぜ銅像ができたのか?それなりの功績があったから
西郷隆盛は鹿児島出身ですが、上野に有名な銅像が置かれています。そのため「上野に来たら西郷どんを見なきゃ!」と感じる人もいます。出身である鹿児島以外にも銅像が建つというのは、生きている間に数々の功績を積み上げた人でなければ成し遂げられません。
幕末の時代に波乱の人生を送った西郷隆盛は、最後は戦争の中で自決してしまいます。幕末の動乱を生き抜いた英傑に相応しい悲哀にまみれた最後とも言われています。
西南戦争は西郷隆盛率いる士族と明治政府の間で起こった内戦です。日本で起きた内戦は西南戦争が最後なので、西郷隆盛は現代までの日本で起きた最後の内戦のリーダーでもあります。
西郷隆盛の銅像は別人!?
西郷隆盛の銅像は別人をモデルにつくられたのではないか、という話も耳にすることがあります。なぜか全く写真が残っていないことや、有名な肖像画もイメージで描かれたものであることから別人説も未だ根強く残っているのが現状です。
西郷隆盛の銅像に関してはいくつかのエピソードがあります。銅像としてつくられるほど、世間の人々から認められた後にも、西郷隆盛にはいくつかハッキリとは分からない謎が残されているのも当時の歴史の面白さに貢献しているのかもしれません。
気になる妻・糸さんの発言「うちの人はこげんなお人ではなかった」の真実
西郷隆盛の銅像を見たとき当時妻であった糸さんは取り乱してしまったと言われています。彼女の取り乱しようとそのセリフから、西郷隆盛の銅像は全く本人に似ていない再現具合だったのではないかと予測されていました。
後述する写真の件や親戚の話などから、顔も全く別人だったと考えている人もいました。現在では徐々に事実が明らかになっており糸さんが取り乱した理由は「西郷隆盛はこんなラフな格好で人前に出る男ではなかった」というものだと考えられています。
顔が似ていない、人相が変わっているというよりも「なぜこんな格好で銅像のデザインに踏み切ってしまったのか」という悲しさと怒りの感情の方が深かったと思われます。なぜこの格好になったのかは、西郷隆盛の晩年の評判にも関わっています。
当初は陸軍大将の正装を着た立像で計画されていた!
確かに言われてみると、幕末や明治を代表する偉人の肖像画や写真はほとんどが正装です。勝海舟や木戸孝允、島津久光や徳川慶喜なども正装の姿が残っている中、西郷隆盛だけはラフな浴衣姿のイメージがあります。
銅像も浴衣姿の肖像画に合わせてつくられており、糸さんが嘆いたのは「西郷隆盛はだらしない男だと思われているのではないか」という気持ちが理由だと考えられています。
当初、西郷隆盛の銅像は陸軍大将の正装を着用した姿が採用されようとしていました。しかし当時はまだ西郷隆盛本人の名誉が回復して間もなかったこと、陸軍大将として扱うことに難色を示す人を懸念したこともあってあの姿に落ち着きました。
薩摩犬のサイズもビッグサイズに!
西郷隆盛の銅像は犬を連れていることでも有名です。本人も薩摩犬を飼っていましたが、銅像になってよりビッグサイズになったようです。西郷隆盛が犬を買い出した理由は肥満解消が目的でした。
西郷隆盛が飼っていた犬の名前は「ツン」という鹿児島原産のメスの犬だったと言われています。上野公園の薩摩犬の銅像はオスであるため、実はツンではないのではないかと憶測されています。
なぜ西郷隆盛の見た目はいつも曖昧?
西郷隆盛の銅像の話が出ると同時に、その肖像についての話が出ることもあります。有名なのは「教科書にも使われている西郷隆盛は実は本人ではない」というものです。恰幅がよく、根性がありそうな西郷隆盛のイメージですがあの肖像は想像で描かれています。
西郷隆盛は写真嫌いで有名で、明治政府から写真の提出を打診されたときも断っています。肖像画制作は親類に、西郷隆盛の顔の造形を聞きながら試行錯誤しながらつくられたもののため、別人といわれることが多いようです。
西郷隆盛の造形が分からないことは銅像を建てる際にも問題になったようです。「写真が出回ることで暗殺を恐れていたから」「西洋文化が嫌いだったから」など多数の憶測が飛んでいますが、銅像も本人ではないのかと考えるとちょっと複雑な気分になります。
名前が曖昧なのも銅像設立の問題に
また、西郷隆盛の名前がよく変わったこともなぜ顔が分からないかの原因の1つとなっています。昔の人は人生の節目に名前を変えることが普通でした。西郷隆盛も例に漏れず、多数の名前を使い時には刺客を恐れて偽名も使っていたことが分かっています。
西郷隆盛の本当の名前は西郷隆永(たかなが)ですが、位階授与の際に親類が西郷隆永の名前を聞かれた際になぜか隆永の親の名前である西郷「隆盛」と答えてしまったというエピソードが有名です。これによって公式の記録が西郷隆盛として残ってしまっています。
そのため、西郷隆盛で当時の写真を探そうとしても親の隆盛なのか隆永のことを指しているのか分からない状況となっていたことが分かっています。隆永本人は父親の名前で呼ばれても特に気にすることなく、位階を授与されてそのまま終了しています。
西郷隆盛の銅像はどうして上野にあるの?
西郷隆盛の一生の最後は自決という悲しいものでしたが、明治天皇は戦中でも西郷を死に追いやる意思は全くなかったと言われています。むしろ西郷隆盛は明治天皇に気に入られていたため、西郷の死は明治天皇にも深い悲しみを与えました。
これが西郷隆盛の銅像が建てられる理由になります。逆賊として追われたこともある西郷隆盛ですが、恩赦を受けると共に名誉回復を受けます。正三位という階位を送られ、同時に銅像が建てられることとなりました。
鹿児島県出身なのに上野に銅像がある理由とは
西郷隆盛の最後がどうであったのか詳しくは後述しますが、その死は多くの人に悲しみを与えたことも事実です。恩赦を受け、名誉回復された後は西郷隆盛を「幕末の英雄」としてたたえる人も多くおり、それから更に時間はかかりますが無事に銅像が建つこととなります。
「生きている間は死ぬまでツラい思いをしたのに、死後の研究で評価が180度変わる」という人物は歴史上に多くいます。画家のゴッホなどもそうですが、生きている間は彼らの人生を高く評価する人は今ほど多くはありませんでした。
戦争に関係があるの?
鹿児島出身の西郷隆盛の銅像がなぜ上野という場所にあるかですが、これは西郷隆盛も加わった上野戦争での西郷隆盛の活躍に縁があった場所だからと言われています。
西郷隆盛属する新政府軍に旧幕府軍が江戸城を明け渡したことで、彰義隊と呼ばれる部隊を上野につくりました。この彰義隊と新政府軍の間に起こったのが上野戦争です。結果的に彰義隊は壊滅状態に陥りました。
江戸城の開城が1868年3月から4月にかけておこなわれ、上野戦争は同年の7月に起きています。関東での戦争に続く戦争というのは私たち現代人にはピンと来ないことですが、西郷隆盛はここでも奮闘していたことが分かります。
西郷隆盛の銅像についての基本情報
西郷隆盛の銅像が置かれている場所とアクセスについてです。西郷隆盛の銅像の持つインパクトから有名ですが、場所は東京都台東区の上野公園内です。銅像を見れる時間帯は上野公園がオープンしている時間帯となっています。
上野公園自体は5時から23時が利用可能時間となっており、それ以外の時間は立入禁止です。西郷隆盛の銅像が見たいという人は5時から23時までの間にアクセスすることをおすすめします。
上野公園にアクセスするのに1番近いのはJR上野駅の公園改札です。3Fに出口があるため、公園改札口から出れば上野公園は目の前なので徒歩1分ほどでアクセスできます。電車の多くは2Fの不忍口の方に着きますが、3Fの公園口から出た方が早いです。
銅像が設置されている場所は?
西郷隆盛の銅像は上野公園にアクセスすることで見ることができますが、実は銅像があるのは上野公園だけではありません。西郷隆盛の生まれ故郷である鹿児島にも銅像は設置されています。
東京に銅像を建てられるほどの人物であれば、生まれ故郷に同じく建っていても不思議ではありません。鹿児島市の鹿児島市立美術館近くに建てられています。同じく鹿児島県霧島市溝辺町の西郷公園にも西郷隆盛の銅像が建てられています。
こちらは「現代を見つめる西郷隆盛像」が正式名称となっている銅像です。東京の上野を含め、こちらの3ヶ所が西郷隆盛の銅像でも有名な場所となります。
有名な薩長同盟で西郷隆盛は何をしたの?
西郷隆盛の銅像についてのアクセスが分かったところで、ここからは西郷隆盛の人物像についてのまとめです。評価が分かれる西郷隆盛という人物ですが、抜群のリーダーシップを発揮していたというのは間違いないと言われています。
大政奉還のきっかけとも言われている薩長同盟は有名です。坂本龍馬の知名度も手伝って歴史的にも重要な出来事と言われていますが、具体的になぜ重要で西郷隆盛は何をしたのでしょうか。
犬猿の仲を修復した
薩摩と長州は元々仲が悪く、同盟など考えられませんでした。長州はかの有名な尊王攘夷を掲げていました。外国人排斥や打倒幕府というあれです。薩摩は幕府に「長州を倒すように」と命を受けていたことも、長州との仲を悪くさせていました。
締結までのプロセスは省きますが、西郷隆盛がかつての敵ともいえる長州とうまく同盟を締結させたことも、歴史上での大きな転換点となっています。ここから討幕という、本来の薩摩が幕府から受けた命とは違う方向に西郷隆盛は舵を取っていきます。
理由としては「西洋化の煽りを受けて弱っていく体制が許せない」というものでした。過激派の長州とのパイプ役になったのが坂本龍馬と中岡慎太郎でした。西郷隆盛に討幕のイメージが強いのはここからきていることが分かります。
大政奉還後も武力行使を進めたがった西郷隆盛
「朝廷に権力を返す」という判断が大政奉還です。朝廷に権力が返されることで西洋化の煽りは収まり、日本独自の歩みを進めていくことが西郷隆盛の目的でした。しかし実情は大政奉還後も幕府が権力を握ったままで、国としての進路を変えることはできませんでした。
せっかく目的を達成したのに、形ばかりの権力譲渡に西郷隆盛は怒りを覚えます。これが有名な戊辰戦争のきっかけです。これに加え、幕府の持っている領地などの資源を西郷隆盛は早く奪いたかったともいわれています。
当時のテロリズムを主導する
武力行使によって名目だけでない、事実上の討幕を成し遂げるために西郷隆盛が主導したのは江戸でのテロ行為です。放火や殺人、強盗などが抵抗できない一般市民をターゲットにして行われました。薩摩御用盗と呼ばれ、これが幕府の怒りに触れます。
これにより西郷隆盛たち率いる新政府軍と幕府軍の戦争に移り、江戸城の無血開城や有名な白虎隊、鳥羽伏見の戦いなど戊辰戦争を発端とした、数々の歴史がつくられました。この一連の流れから、最終的に西郷隆盛は自決に追い込まれてしまいます。
無抵抗の一般市民を襲う卑劣な行為を先導したこともある西郷隆盛ですが、「先に約束を守らなかった幕府が悪い」との意見もあります。「血で血を洗う」という表現がピッタリの最悪の内戦になってしまいました。
西郷隆盛の銅像にはさまざまな秘密が隠されていた!
上野にある西郷隆盛の銅像について、なぜ建てられたか理由や鹿児島の他の場所にも銅像があること、またアクセス情報をまとめました。西郷隆盛の銅像を今まで見たことないという人は、ぜひ1度見に行って当時の活躍に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
上野公園という場所はかなりアクセスもよく、観光ついでにも立ち寄れるため銅像目的でなくてもうれしいスポットとなっています。近くには動物園などもあるため、少し自然に触れてゆっくりしたいという人にもおすすめできること間違いなしです。
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