清水観音堂はご利益たくさん
東京には有名な神社仏閣が多くあり、御朱印巡りなど楽しんでいる方も多いのではないでしょうか。その中で、東京なのにまるで京都の清水寺のような建物が見えるお寺があります。どうしてこのお寺は清水寺そっくりなのでしょうか。そんな清水観音堂の見どころやご利益、お守りや御朱印情報などについて紹介します。
清水観音堂とは
「清水観音堂」は、その名前の通り「お堂」です。清水観音堂というお寺が単独であるのではなくて、有名な上野の東叡山寛永寺にあるお堂を清水観音堂というのです。ですから寛永寺に出掛けると、そこで清水観音堂を見ることができます。
上野の寛永寺は1625年に徳川幕府二代将軍の徳川秀忠により寄進された上野の山に創建されましたが、戊辰戦争などによりその多くは焼失し、現在は再建されたものとなっています。しかし清水観音堂はそれらを逃れ、上野の山にある現存する建物の中で創建年代がはっきりしている唯一の建物なのです。
それを維持するために、1996年に保存修復が竣工し、作られた時代の面影が再現されており、国の重要文化財にもなっています。
清水観音堂と寛永寺
ところで、この東叡山寛永寺というのはどういうお寺なのでしょうか。寛永寺は徳川幕府の初代家康から三代家光にわたる三代の将軍が帰依した天海により建てられたものです。
天海は天台宗の僧侶で、前半生ははっきりしないものの、家康の参謀として朝廷との交渉役などを行ったほか、江戸の都市計画にも関係したと言われるなど、「黒衣の宰相」という異名まである人物です。
寛永寺が作られた場所は江戸城の東北にあたります。東北の方角は艮といい、「鬼門」として知られていました。そこで天海は、その鬼門を守護する寺院として寛永寺を作ったと言われます。
家光はこの地を江戸の天台宗の拠点となる大寺院にしたいと考える天海の意を汲み、1622年、この地にあった大名の下屋敷を収公して寺地を作り、寄進をします。当初の寛永寺は現在の上野公園のほぼ全域だったと言われます。
また本来、徳川家の菩提寺は芝の増上寺だったのですが、家光はこの天海に大いに帰依します。そして葬儀を寛永寺で行うよう遺言し、その後は増上寺とともに寛永寺も菩提寺として扱われるようになりました。そして徳川将軍の墓所が置かれるようになったのです。
東叡山という山号は「東の比叡山」、寛永寺の名前は創建された1625年が寛永2年であったことからつけられたと言われます。
清水観音堂の由緒
それでは、清水観音堂そのものについての由緒を紹介します。今述べたように、清水観音堂は上野寛永寺の堂宇の一つなのですが、寛永寺と一緒にできたのではありません。少し遅れて作られています。
清水観音堂は1631年、寛永寺を作った天海により創建されました。時期としては寛永寺より6年ほど後ということになります。天海は先ほど述べたように、江戸城の鬼門を守るために寛永寺を作ったのですが、これは東叡山という名前がしめすように、京都における比叡山の役割を果たすものとしたのです。
そのため天海は、寛永寺を創建した後に比叡山や京都の有名寺院になぞらえて多くの堂宇を作っていきます。清水観音堂もその一つだったのです。
清水観音堂は最初、現在の上野公園の中にある「擂鉢山」の場所に作られました。しかし元禄時代の始めになり、現在の噴水広場がある場所に寛永寺の総本堂となる「根本中堂」が建設されることが決まったことから、1694年、現在の場所に移築されます。
しかもその後、寛永寺は戊辰戦争の際の上野戦争(1868年)の戦場となり、主要な堂宇はすべて焼失してしまいます。この時に焼け残ったのは清水観音堂、五重塔など一部にとどまりました。
しかもその後、明治維新になると、寛永寺の境内は没収され、いったんは廃止状態にまで追い込まれます。現在の寛永寺の本堂は、もともとは子院の大慈院があった場所です。
このように、現在の寛永寺の建物はほとんどが上野戦争で焼失していることもあって、寛永寺の建物ではっきり建立時期がわかるもののなかで、最も古い建物なのは実は清水観音堂なのです。
清水観音堂は1631年に作られた建物がそのまま現在まで残り、さらに観音堂であることからここ自体が江戸三十三箇所観音霊場の第6番札所になっており、多くの方が参拝に訪れています。
清水観音堂の仏像
それでは、上野の清水観音堂の仏像について紹介します。寛永寺の本尊は薬師如来ですが、清水観音堂には千手観世音菩薩が祀られています。千手観音なので「観音堂」なのです。
この千手観世音菩薩は、平安時代の比叡山の高僧である源信(恵心僧都)の作と伝えられています。なぜ江戸時代に作られたお寺に、平安時代の、しかも比叡山の僧侶が作った仏像が安置されているのでしょうか。
実はこの仏像は、京都の清水寺の義乗院というお寺(現在は廃絶)の春海上人から天海に奉納され、遷座したものであり、現在は秘仏として、ふだんは見ることができません。御開帳が行われるのは毎年1回、2月の「初午法楽」の日と決まっています。
この仏像は「平家物語」の中に登場してくる仏像でもあります。主馬判官平盛久(しゅめのほうがんたいらのもりひさ)という人物にまつわる伝説です。
盛久は千手観音を清水寺に奉納し、祈祷を続けていました。しかし源平の合戦で敗れ、鎌倉由比ガ浜で斬首となります。その瞬間、刀が折れて、盛久の命が助かるのです。さらに源頼朝の妻北条政子の夢に清水寺の高僧が現れて、盛久の助命を願いました。あわてて頼朝は盛久を助けることにしたのです。
盛久は喜び、お礼に清水寺に参詣すると、なんと斬首されそうになった瞬間に仏像が倒れたという話を聞き、この仏像に助けられたことを知り、感涙にむせんだと言います。
この不思議な事件(奇瑞)が起こったのは、午の年・午の日・午の刻だったので、この秘仏の公開が2月の「初午法楽」の時と決まったのでした。
なお、この話に関しては、鎌倉の長谷に行くと「主馬盛久の頚座」があり、そこにこの奇瑞が起こったことが記されているので、鎌倉に行く機会があれば見てみるとよいでしょう。
清水観音堂の見どころは?
それでは次に、清水観音堂の見どころについていくつか紹介していきましょう。今述べた仏像は秘仏なので、見ることができる日は限られますが、この他にも清水観音堂そのものの見どころというのもいくつかあります。中には清水観音堂が作られたことにも関係する見どころもあるのです。
清水観音堂の舞台は何かに似ている
さて、清水観音堂に行ってみると、なにやら舞台のようなものが作られていることに気づきます。お寺で舞台といえば京都の「清水の舞台」を思い浮かべる人がほとんどではないでしょうか。実は清水観音堂はあの清水寺をイメージして作られた建物なのです。
先ほど、上野の寛永寺は天海が江戸城の鬼門に作った、京都における比叡山の役割を持たせたと述べましたが、天海は上野を京都に見立てて堂宇を作ったと言われています。そのため、寛永寺の中には多くの京都や比叡山にまつわるものが作られました。
たとえば現在の「下谷」は当時「坂本」という地名でした。坂本は比叡山の麓に現在もある地名です。寛永寺の本堂は「根本中堂」で、これも比叡山と同じです。さらに不忍池は琵琶湖に見立てられ、竹生島にあった弁財天が勧請されて、「不忍池弁天堂」が作られました。
この中にある清水観音堂は、その名の通り清水寺をイメージして作られています。先ほど述べたように、清水観音堂は最初擂鉢山に作られましたが、その擂鉢山に清水寺と同じ「懸造」という建築方法を使い作られました。そのためいわゆる「舞台」がある形となっているのです。
また先ほど述べた千手観音も、清水寺の仏像を遷座して安置しており、その点でも京都の清水寺を強く意識し、上野に京の名所を作り上げることを意識し作った見どころと言えるでしょう。
なお、天海が関係した徳川将軍家の菩提所とは言うものの、江戸時代から庶民の観光の場所として人気のあった場所でもありました。
清水観音堂の月の松
清水観音堂が庶民に親しまれた場所であることを示すのが、「月の松」です。ちょうど清水観音堂の舞台に上がると正面に見える松の木はくるりと円形になっており、まさに「月」のような形になっています。
この月の松ですが、江戸時代の有名な浮世絵師歌川広重の「名所江戸百景」に登場します。「上野清水堂不忍ノ池」では不忍池と月の松、そして清水観音堂の舞台にいる人々が不忍池を見ている姿が描かれています。
また「上野山内月のまつ」では、円形の月の松から見える不忍池と、建物の姿が描かれており、位置関係からして清水観音堂の舞台から月の松ごしに不忍池を見ていることがわかります。
もちろん、自然の松がこのように円形になったというわけではどうやらないようで、江戸時代の植木職人の技術により作り上げられたものと言われています。しかし残念なことに、この広重が描いた月の松は明治時代初期に台風に遭い、失われてしまいました。
そこで浮世絵に書かれた景観を復活させるために2012年、この月の松が復元されます。こちらも現代の造園技術を駆使しており、なにかあった時のために控えの小松がそばに植えられているそうです。
浮世絵に描かれた景色が今でも体験できる見どころはそう多くはないでしょう。江戸の情緒を体験できる見どころとして、現在でも人気のスポットとなっているのです。
清水観音堂には珍しい桜がある
今述べたように、寛永寺は将軍家の菩提所でありながら、庶民が楽しめる観光スポットとしても江戸時代から人気でした。それは天海が庶民が広くお参りできる場所にしようと考えたことにもあります。そのため天海は上野の山を有名な奈良の吉野に見たて、多くの桜を植えて観光を楽しめる場所にもしました。
先ほど、月の松が浮世絵に描かれていると述べましたが、そのことを示す浮世絵も残っています。先ほどの「上野清水堂不忍ノ池」にも桜が描かれていますが、渓斎英泉という浮世絵師が描いた「東都花暦 上野清水之桜」にもあります。
こちらでは一面に咲き誇る桜(山桜)とそれに包まれるように描かれる清水観音堂の舞台、そこに次々と上がっていく人々の姿が美しく描かれています。江戸庶民にとってもこの地は見どころの一つだったのです。
清水観音堂の桜ということで特におすすめしたい見どころが「秋色桜」です。秋色という名前ですが、秋に咲くわけではありません。「秋色」というのは人の名前です。
江戸時代、当時13歳だった菓子屋の娘がここに花見に訪れました。娘は「井戸はたの 桜あぶなし 酒の酔い」という一句をしたため、桜の枝に吊るして帰ります。それを見た当時の住職輪王寺宮はその句をとても気に入りほめたというのです。
この娘は後に宝井其角という俳人の門下に入り、菊后亭秋色と号する俳人となりました。そのことから桜は「秋色桜」と名づけられたのです。現在のものは9代目に当たると言われます。
清水観音堂とともに寛永寺の見どころも
せっかくですから、清水観音堂とともに上野の寛永寺の見どころもさっと見ておきましょう。先ほど述べたように、上野寛永寺は京都を見立てて作ったものが多くあります。そのあたりの見どころもおすすめです。
先ほど月の松から見えた不忍池の弁天堂は琵琶湖の竹生島にある宝厳寺から弁財天を勧請して作られたものです。実はこの不忍池の弁天堂がある島は人工島で、江戸時代に作られ、最初は船でご利益を願う人々が参拝していました。現在は橋で渡ることができます。
また、清水観音堂からは時鐘堂や上野大仏も近く、行きやすい見どころです。時鐘堂の鐘は1787年に作られたもので、こちらも古いです。上野大仏は顔だけが残り、大仏山パゴダの近くに安置されています。
清水観音堂のご利益
次は気になる清水観音堂のご利益です。江戸時代から多くの庶民が参詣したのは、見どころが多かったこともありますが、やはりご利益が期待できる場であったからと言っていいでしょう。
先ほど、清水観音堂の御本尊である千手観音について紹介しました。千手観音は名前の通りたくさんの手を持っていて、この手であらゆる生きとし生けるものに慈悲の手を差し伸べると言われます。そのため困ったことがある方を救ってくれるご利益があるといわれています。
また、先ほどは触れていないのですが、脇侍の観音は「子育て観音」と言われます。子育てと呼ばれることでわかるように、子授け、安産、子育てのご利益があると言われ、江戸時代から多くの信仰を集めていました。
こちらに参拝し、子授けのご利益が得られた方は、このご利益のお礼として人形を奉納することになっています。また、子どもが遊んで壊れてしまった人形があれば、こちらも子育てのご利益のお礼として奉納することになっているそうです。
そのため、この近くには人形供養塔があり、これらの人形を供養し、子どもたちのお守りとして優しく美しく健やかに育つご利益があるよう祈念されているそうです。
清水観音堂のお守り
次は清水観音堂で授与されているお守りです。清水観音堂には今紹介した子育てなどのご利益の他にもいろいろなご利益があり、それに伴いさまざまなお守りが授与されています。しかもかわいらしいお守りが多く、女性にも人気となっています。
子育てのご利益ということで挙げられる「健やか子どもお守り」は、単なるお守り袋のタイプではなく、子どもの顔がついています。フードをかぶった子どものような形のお守りで、赤を基調としたものと青を基調としたものの二種類があります。子どもが健やかに育つご利益が期待できます。
また「夢守り」というお守りは、ちりめんで作られた着物のような形のお守りです。枕の下に置いて眠るとよい夢が見られるということで、よい夢ですっきりと目覚めたいというご利益が期待できそうです。
「香りの袋えんむすび」はその名の通り縁結びのご利益が期待できるお守りですが、お守りというよりは匂い袋のような形をしています。中には天然香料が使用されていて、長く香りを楽しむこともできるお守りです。
さらにこのお守りがすごいのは、ついている絵馬には「愛」の字が、さらに米粒がついていてそれには「幸」の文字が書かれているという、とても手の込んだお守りであるという点です。お守りとしても身に着けやすく、いつでも持ち主を「お守り」してくれそうです。
清水観音堂の御朱印情報
次に清水観音堂の御朱印情報についてです。清水観音堂などを参拝し、御朱印をいただくことを楽しんでいる方も多いでしょう。寛永寺でも御朱印はいただけますが、ぜひ清水観音堂の御朱印もいただいてはいかがでしょうか。
清水観音堂では3種類の御朱印の授与が行われています。まず定番の御朱印は、御本尊である「千手観世音」のものです。中央に御朱印、右に先ほどの「江戸三十三箇所観音霊場第六番札所」の御朱印、左下に「東叡山清水観音堂」の御朱印が入ります。寺名は「東叡山清水堂」と揮毫されます。
あとの2つは上野大仏に関わるものです。パゴダ薬師堂の「薬師如来」のもの、上野大仏の「釈迦如来」のものです。こちらも御朱印の書き方のタイプとしては定番のものとほぼ同じです。
また、清水観音堂にはオリジナル御朱印帳があります。清水観音堂の御朱印帳は先ほど紹介した浮世絵「名所江戸百景」に描かれた月の松がデザインされており、青を基調とした全体の景色が描かれたものと、薄いピンクを基調とし桜がちりばめられた松そのものがデザインされたものの2種類となっています。
どちらも浮世絵をもとにしているためデザインも美しく、男性でも女性でも使いやすいデザインの御朱印帳です。ぜひこちらもチェックしてみましょう。
清水観音堂の参詣情報
清水観音堂の参詣情報を確認しておきましょう。清水観音堂がある寛永寺は9時から17時までが開門時間となっています。そのため清水観音堂もこの時間に準じての開門となります。
また、清水観音堂で御朱印をいただきたいという場合は、本堂での授与となります。ですから授与時間はこの9時から17時までということになります。寛永寺そのものが有名寺院でもあるので、時間に余裕を持たせていくことをおすすめします。
清水観音堂へのアクセス1:公共交通機関利用
次に清水観音堂へのアクセスです。清水観音堂は上野公園の中にあるため、公共交通機関でのアクセスが便利です。ただ、寛永寺のなかでも清水観音堂は不忍池に近い方にあるので、JR「上野」駅からアクセスしたほうがすんなりアクセスできて便利です。
上野駅から西郷像を目標にして行くと、そのすぐそばに清水観音堂はあります。清水観音堂から不忍池の橋を渡ると弁天堂、上野動物園方面に行くと五重塔や上野大仏などがあります。他の観光スポットへのアクセスも良好です。
なお、寛永寺の根本中堂はJR「鶯谷」駅からのアクセスが近いです。どちらから参拝するかによりどちらの駅からアクセスするか決めるといいでしょう。
清水観音堂へのアクセス2:車利用
清水観音堂へ車でアクセスしたいという方もいるかもしれません。高速道路の場合は最寄りが「上野料金所」となります。そこから国道4号線に入り、上野駅の公園口側に出てくる形となります。
なお、寛永寺そのものには特に駐車場の用意はないようです。地図によると下町風俗資料館や清水観音堂そばに駐車場はありますが、有料となりますので、車でアクセスした場合にうまく停められるかという問題があります。
ですから、車でアクセスする場合は早めに行くか、もしくは車でのアクセスを避けたほうが無難かもしれせん。アクセスする場所からの便利さなどを考えて、どのアクセス方法を取るか考えてもよいでしょう。
清水観音堂の周辺観光スポット
最後に、清水観音堂と組み合わせたい観光スポットをいくつか紹介します。そもそも清水観音堂は寛永寺の中にあり、寛永寺そのものが見どころが多い場所なので、ここだけゆっくり時間をとって見て歩くのもおすすめです。先ほど紹介した場所の他にも歴代将軍の御霊廟などもあり、見飽きることはないでしょう。
また、清水観音堂がある上野公園そのものが見どころが多い場所でもあります。先ほども述べたように、清水観音堂から上野公園の中に向かうと、上野動物園などがありますし、寛永寺の本堂に行く間には東京国立博物館や国立科学博物館などの有名博物館がたくさん並びます。これらと組み合わせれば1日では回りきれないほどの充実感です。
清水観音堂に行ってみよう
寛永寺にある清水観音堂は、京都の清水寺をイメージして作られていて、江戸時代から多くの庶民が観光を楽しむ場として栄えてきました。月の松など、その清水寺にもないような見どころもありますし、ご利益なども期待できます。ぜひ寛永寺に参拝の折にはこちらの清水観音堂も参拝し、いろいろ楽しんでみてください。
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