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多摩テックの跡地はどうなった?気になる現在や明治大学との問題も徹底調査!

多摩テックの跡地はどうなった?気になる現在や明治大学との問題も徹底調査!
投稿日: 2023年2月8日最終更新日: 2023年2月8日

遊園地として大木の人が訪れていた多摩テック。閉演後の跡地は明治大学が買収したと発表されましたが、現在はどのような状態になっているのでしょうか。今回は多摩テックがどういった場所だったかだけでなく、その跡地が現在どんな状況にあるかについても紹介します。

多摩テックの跡地はどうなっている?裁判の真相とは見出し

Photo byJillWellington

多摩テックはかつて東京都日野市に存在した遊園地です。温泉などレジャー施設が充実しており、過去には約200万人もの人が訪れた人気アミューズメントパークでした。しかし徐々に客足は減っていき、最終的には来園者の減少を理由に惜しまれながらも閉園した経緯を持ちます。

跡地になった後も、明治大学の買収されるなど多摩テックに関する話題は尽きませんでした。そんな多摩テックは現在、どのような状況になっているのでしょうか。それを知る前に、まずは多摩テックの基本情報から紹介していきましょう。

多摩テックはどんな場所だったの?見出し

Photo by44833

多摩テックは遊園地として有名なスポットだったこともあり、跡地にはまだ解体されていない施設が残っています。

また、その人気は根強くSNSでは思い出を振り返りながら、閉園を惜しむ声が2023年現在も見受けられます。それでは多摩テックはどんな施設だったのか、改めて振り返ってみましょう。

過去は200万人もの人が訪れた遊園地

Photo byharutmovsisyan

多摩テックはかつて東京都日野市に開園した遊園地です。同時期には埼玉県に「朝霞テック」や奈良県に「生駒テック」など名前が似ているアミューズメント施設が多く存在していました。

多摩テックがあった場所が多摩丘陵の丘陵地ということもあり、たぬきなど動物が生息している自然のなかで、様々なレジャー施設を利用できる点が人々の心を鷲掴みにしました。

フリー写真素材ぱくたそ

そんな多摩テックは当時あった遊園地のなかでも高い人気があり、一時期は200万人も訪れるほど人気テーマパークとして名を馳せました。

そのためSNSでは来場者の思い出話が多く見受けられます。実は開業当時、多摩テックい以外にも日本国内の様々な場所にアミューズメント施設を建設する計画もあったそうです。

経営は鈴鹿サーキット

Photo by yoco**

大人気テーマパークだった多摩テックは開園当初、本田技研工業系列の株式会社モータースポーツランドとして経営していましたが、以降は繰り返し商号の変更が行われます。

そして1987年に株式会社鈴鹿サーキットランドへ変更され、後に本社を三重県の鈴鹿市へ移転します。2006年に本田技研工業の完全子会社となったり、株式会社ツインリンクもてぎと合併を経て、最終的に多摩テックの経営会社は株式会社モビリティランドという名前になりました。

開園当初はバイクのオートゲレンデだった

Photo byUp-Free

遊園地として知られている多摩テックですが、当初はモータースポーツセンターとしてオープンしました。そのため、利用者の多くはオートゲレンデを利用するバイク乗りの人々でした。

オープンしたばかりの多摩テックの初代所長に就任したのは、ロードレース世界選手権のレースで日本人として初めて優勝を飾った高橋国光選手でした。

その経緯もあってか、遊園地へと方向転換した多摩テックは、モータースポーツをイメージしたアトラクションが数多くありました。そして鈴鹿サーキットが開業してからは「モートピア」という愛称が生まれるほど、多摩テックは利用者から愛されていた遊園地だったと言います。

遊園地になった後は温泉施設もできた

Photo bypen_ash

充実したアトラクションで利用者を楽しませていた多摩テックは、敷地内に温泉施設も建設されました。実は敷地内にあるキャンプ場の掘削工事の際に源泉が見つかったために、オープンに踏み切ったそうです。

この温泉施設は「クア・ガーデン」という名前でオープンし、温泉だけでなくフィットネススタジオやプールなど様々な施設が併設されていました。そのため、大人から子供まで幅広い世代が足を運んだスポットだったそうです。

来園者の減少のため閉園

フリー写真素材ぱくたそ

その広大な敷地を活かしたアトラクションやレジャー施設によって多くの人々が集まっていた多摩テックでしたが、2000年ごろになると来園者が減少し始めます。その頃にはディズニーランドなど有名なレジャーランドが次々に誕生し、その煽りを受けたのが原因と言われています。

問題を解決するために多摩テックではアトラクションのリニューアルなどが行われましたが、その努力も空しく2009年に閉園となりました。閉演直前には、別れを惜しんだファンが多く足を運んだそうです。

住所 東京都日野市程久保5丁目22-11
電話番号 -

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多摩テックの跡地利用について見出し

Photo bymatthiasboeckel

閉園後には廃墟となってしまった多摩テックですが、その土地を再利用するために動き出した組織がありました。しかし、様々な問題が浮上した結果、計画は頓挫依してしまいます。その結果、多摩テック跡地は廃墟同然のまま放置された状態が続いています。

なぜ、多摩テック跡地は廃墟のままになっているのでしょうか。閉演後からどのようなことが起きたのかについて、詳しく紹介していきましょう。

2010年明治大学が買収

フリー写真素材ぱくたそ

閉園し、廃墟となった多摩テックの跡地の買収に名乗り出たのは明治大学でした。当時、明治大学は体育会各部の練習場や合宿所が世田谷区八幡山にありましたが、住宅地に隣接していたため手狭になっていたのを理由に、多摩テックの跡地を再利用しようとしたのです。

2010年に多摩テック跡地の買収が完了すると、2014年を目途に共同事業者となる三菱商事や地元自治体と協議しながら、再利用の計画を進めていくことになります。

明治大学スポーツパーク計画が立案

Photo byFotorech

明治大学は当初、多摩テックの跡地を明治大学スポーツパーク計画として再利用する予定でした。詳細としては、世田谷区八幡山にある体育会系の部活に必要な施設を移転する計画でした。

しかしスポーツ科学部の創設が計画にも含まれており、当初の土地を利用する目的と違うことを理由に、共同経営者だった三菱商事に訴えられてしまいます。

問題が多発し計画は断念

Photo by652234

最終的に、明治大学は多摩テックの跡地を再利用するのを断念することになります。それは三菱商事と裁判沙汰になっただけでなく、再利用するための計画を進めていくうえで、幾つもの問題が生じたためです。では、具体的にどういった問題が起こってしまったのかについて解説します。

人件費が高騰した

明治大学が多摩テック跡地の再利用を断念する原因となった問題の一つ目が、人件費の高騰です。多摩テック跡地の再利用が計画されていた時期は、東日本大震災の復興や2020年に開催予定だった東京オリンピックなどがあり、様々な現場で人手が不足している状態でした。

多摩テックの跡地は残されたアトラクションなどの廃墟を撤去する必要がありました。以上の理由から人件費高騰の煽りを強く受けてしまい当初の予定よりも人件費がかさんでしまい、予算の都合がつかなくなってしまったのです。

絶滅危惧種が発見された

二つ目の問題は、多摩テック跡地内に絶滅危惧種に指定されている生物や植物が発見されたためです。もともと多摩テック跡地はたぬきなどが生息している緑豊かな環境でした。加えて多摩テックが閉園により廃墟化し、動物たちの住処になっていました。

絶滅危惧種に指定されている動物や植物は保護しなければならないため、再利用のための開発が難しくなってしまったのです。

裁判後に緑と共生した土地利用が決定

Photo byBessi

実は多摩テックの跡地を買収した際、代理購入した三菱商事と再利用と目的に関して双方の認識が異なり、裁判が起きています。

争いの結果、たぬきなど生息している動物や緑を共生を最優先とした土地利用が決定されました。それは明治大学が想定していた再利用の目的とズレてしまうため、断念せざるを得なかったのです。

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多摩テックの跡地の現在について見出し

Photo bymimikama

閉園後、明治大学に買収されたものの問題が浮上した結果、再利用が中止となった多摩テック跡地。SNSでは足を運んで写真を投稿する人も見受けられますが、2023年現在はどのような状況になっているのかについて、紹介していきます。

現在は立ち入り禁止

フリー写真素材ぱくたそ

多摩テックの跡地は、再利用の計画が中断したために廃墟と化しています。ただし私有地には変わりないので、敷地内の立ち入りは禁止とされています。周囲は人気のない場所になりますので、興味本位で足を運んだりするのは避けましょう。

跡地にはたぬきなど野生動物が住み着いている

Photo byfudowakira0

廃墟と化した多摩テック跡地は、たぬきなどの動物の住処となっています。様子を見に行った人はたぬきらしき動物が、人の気配を感じて威嚇していたという体験談も寄せられています。たぬきに限らず、多摩テック内には野生化した動物が多くいます。不用意に近づくのはやめましょう。

現在の所有者は三菱商事株式会社

Photo byPublicDomainPictures

明治大学が多摩テック跡地の再利用を断念してから、土地の所有者は三菱商事株式会社になりました。しかし2019年になると、日野市の公認の得て三菱商事株式会社の関連会社である三菱商事都市開発株式会社へ移譲されています。

所有者が転々としており、2023年現時点でも多摩テック跡地の再利用する具体的な計画は決まっていないようです。

多摩テックの跡地は野生動物が住む廃墟になった見出し

Photo byBru-nO

人気の遊園地として多くの人が訪れた多摩テックですが、閉園に伴い現在は廃墟と化しています。一時期は再利用する計画があったものの、あらゆる問題が生じて頓挫してしまいました。

多摩テック跡地の廃墟はたぬきなど野生生物の住処になってしまっているのが現状です。自然と共生しながらどのように再利用されるのか、今後の動きを見守りましょう。

投稿日: 2023年2月8日最終更新日: 2023年2月8日

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