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レーニン廟見学のポイント!遺体防腐処理とは?モスクワの赤の広場へ!

レーニン廟見学のポイント!遺体防腐処理とは?モスクワの赤の広場へ!
投稿日: 2017年8月23日最終更新日: 2020年10月7日

ロシア連邦はモスクワ市内、赤の広場にはかの有名な旧ロシアの宮殿クレムリンがあります。では、その城壁前にある、レーニン廟のことはご存知ですか?ロシアにとってなくてはならない、とまで言えるかもしれないレーニン廟。その秘密を紹介します。

モスクワ市内のまるでピラミッド!それがレーニン廟見出し

ロシア連邦の首都モスクワ。その赤の広場に建つ褐色のピラミッドのような建造物が今回紹介したいレーニン廟です。赤の広場といえば旧ロシア宮殿クレムリン。でもレーニン廟って何だろう。そんな方にもロシア旅行の見どころの一つとして、レーニン廟のことを紹介したいと思います。

レーニン廟とはいうけれど見出し

廟というからには誰が眠っているのか。名前にもあるレーニンさんなのか。そう、知らない人は疑問でしょう。まずは見どころの一つとして、レーニン廟になくてはならない近代ロシアの父、レーニンについて紹介していきましょう。

レーニン廟の主

レーニン廟に眠るのは、史上初の社会主義国家であるソビエト連邦およびソ連共産党の初代指導者「ウラジーミル・イリイチ・レーニン」です。ロシアの革命家であり政治家。また、優れた演説家としてしている方も多いと思います。帝政ロシア内の革命勢力をまとめ上げ、ロシア革命において主導的な役割を果たしました。

現在ではロシア革命の父、とも呼ばれるレーニンですが1924年に死去。死去したその年、ソ連共産党の幹部は、指導者を埋葬せず、遺体に防腐処理を施し、公開することを決定します。その防腐処理の方法ですが、旧ソ連が開発したものと言われ、レーニン廟付属研究院によるものとされています。

レーニンの死因見出し

近代ロシアの偉人レーニンですが、戦争と革命の激務によるストレスを原因に次第に健康を害していき、1924年1月21日に死去しました。直接の死因は公式には大脳のアテローム性動脈硬化症に伴う脳梗塞とされてます。梅毒によるもの、という説もありますが死後翌日の病理解剖の結果でも、動脈硬化症の可能性が高いとされています。

家系的なものだった?

じつは、父イリヤ、姉アンナ、弟ドミトリーはいずれも脳出血により死去していることから、レーニンの動脈硬化は遺伝的要素が強いと考えられていたりもします。レーニンの場合は遺伝的要因に加えて、革命家としてのストレスがそれに拍車をかけたとも言われますね。

防腐処理ののちレーニン廟に見出し

レーニンの遺体は、死後ほどなく保存処理され、モスクワのレーニン廟に現在も永久展示されています。その遺体保存手段については長らく不明のままで、あまりの保存状態のために「剥製である」という説や「蝋人形ではないか」という説も囁かれていたようです。

レーニン廟で秘められていた処置方法

ところがソ連崩壊後、1930年代から1950年代にレーニンの遺体管理に携わった経験のある科学者イリヤ・ズバルスキーが自身の著作で保存方法を公表しました。実際には臓器等を摘出の上、ホルムアルデヒド溶液を主な成分とする「バルサム液」という防腐剤を浸透させることで遺体の状態を保っているようです。

手入れは必要

もちろん、最初に処置をするだけで遺体の状態を保てるわけもありません。1年半に1回の割合で遺体をバルサム液漬けにするメンテナンスをすることで現在まで遺体を保存している、という事のようです。これがレーニン廟の役割でもあるのでしょう。こういった背景も見どころの一つですね。

レーニン廟は遺体保存だけじゃない見出し

ここまでを見てくると遺体保存だけがレーニン廟の役割に思えますがそうではありません。ここからのことを知っておくと旅行に行くと更に楽しくレーニン廟の見学ができるかもしれません。

保存方法過去と今

近年レーニン廟でのレーニンの遺体の保存処置は、実は公開されています。それは、30年代から関わった科学者イリヤ・ズバルスキーの公表とは少し違うようなので、こちらも見ていきましょう。

驚異のエンバーミング!

エンバーミングとは、遺体の各部をプラスチックやほかの物質と取り換えて、防腐処理をすることをさします。レーニンの場合、血液、体液、内臓は取り除かれ、眉毛、口髭、顎鬚はそのまま。パラフィン、グリセリン、カロチンでできた物質を使って、皮膚のほとんどが取り換えられているようです。

エンバーミングの後、遺体はレーニン廟で定期的に行われる精密検査に加えて、2年毎にグリセリンと酢酸カリウムの風呂に30日間浸されます。こうすることで遺体が何世紀もこのままの状態で保たれるといいます。

今も続けられるレーニン廟の研究

イリヤ・ズバルスキーの公表と現代の保存方法が違うのは。今なおレーニン廟で続けられる研究の成果によるものです。最盛期には200人もの科学者が研究に携わっており、その成果は遺体の保存に留まらず医療の分野にも応用されています。

荘厳なレーニン廟見出し

モスクワ、赤の広場のレーニン廟。中に収められ祀られているのはロシア随一の偉人レーニンです。その建物は主にふさわしい荘厳なものです。さて、次はレーニン廟そのものの見どころを紹介していきましょう。

最初は木造だった

レーニン廟は完成当時は木造でした。レーニンの死後、全国から弔問に訪れる人民のため、赤の広場に建築家アレクセイ・シューセフの設計により、木造の遺体安置所がごく短期間のうちに建造されました。その期間なんとわずか三日です。

現在のレーニン廟と同じ石造の廟がモスクワのクレムリンの城壁前、英雄墓地を挟んだ所に恒常的な施設として建設、完成されたのは1930年のことです。構造は、ジェセル王の階段ピラミッドや大キュロスの墓のような古代の霊廟からのいくつかの要素が参考にされているようです。

レーニン以外にも祀られていた

レーニン廟だからと、歴史上レーニンのみが入っていたわけではありません。1953年にヨシフ・スターリンが死去すると、その遺体も保存処理が施されレーニンと並んで安置されてました。しかしスターリンの遺体は1961年に、お隣の英雄墓地に埋葬されています。ひっそりと個人を偲びながらなら、見どころとして旅行しても罰はあたらないかもしれませんよ。

石造りも年月には勝てず

2012年12月末には、著しく老朽化が進んだレーニン廟は本格的な改修を行うことが決定されました。工事は2013年4月まで改修工事が行われました。もちろん、現在ではモスクワに旅行に行けば、赤の広場でその姿を見ることができます。

入り口には衛兵がいた見出し

レーニン廟の入り口には皇居の様に衛兵が立っていた時期がありました。そして、クレムリンの鐘の音に合わせて1時間毎に交代をしていた様です。しかし、今では何度旅行に行こうが赤の広場にその姿を見ることはできません。1993年の秋に、レーニン廟の入り口には立たなくなりました。見どころとして、少し残念に思います。

たびたび撤去案がでることも見出し

ソビエト連邦の解体後、何度もレーニン廟は撤去案が持ち上がっているが、その都度多くの反対に合い、撤去されないまま現在にいたっています。2011年1月にロシアの政権与党である統一ロシアがレーニン廟撤去の賛否投票を行えるサイトを立ち上げたりもしました。

今年2017年の春にも、ロシアではレーニンの埋葬法案が提出されたりもしています。法案の発案理由は、政治的ではない、とのことですが、ひょっとすればこれから先ロシア旅行に行ってもレーニン廟が見られない日も来るかもしれません。

ソビエト連邦の権力とレーニン廟見出し

ソ連時代、赤の広場で行われる国家的行事に際しては、ソビエト連邦共産党・政府の首脳はレーニン廟のひな壇から観閲し、演説を行うのが慣例となっていました。レーニンが抱かせる強いロシアのイメージにあやかってのことでしょう。

そして、この時にレーニン廟に並ぶ指導者の顔ぶれや序列は、西側諸国のジャーナリスト・研究者にとって、ソ連指導部の動向を知る手がかりの一つであったようです。ちなみにこれを、クリムリノロジーとよんだそうです。

麗しい赤の広場見出し

旅行に行けばレーニン廟よりもまず足を踏み入れることになる、赤の広場についても少しだけ紹介しましょう。こちらだけでも見どころがたくさんですので、旅行のさいにはぜひおすすめです。

以外に古い

1493年、モスクワ大公国の統治者イヴァン3世が、自らの居城であるクレムリンの前の市街地を広場として整理させたのが起源とされています。「赤の広場(クラスナヤ広場)」と名付けられたのは、広場が整備された17世紀後半のことでした。

ここで言う「赤」は、ソビエト連邦の社会主義に起因するものではなく、元々ロシア語では「美しい」という意味もあり、広場の名前は本来「美しい広場」というものであったそうです。広場は北西から南東に長く、面積はなんと73000㎡もの広さがあるようです。

広さに違わぬたくさんの見どころ

南西側にはガガーリンやスターリン、片山潜などが眠るクレムリンの城壁とその中の大統領官邸。その城壁に接してレーニン廟が。北東側にはグム百貨店。北西端には国立歴史博物館とヴァスクレセンスキー門。南東端には葱坊主の屋根の聖ワシリイ大聖堂と処刑場・布告台だったロブノエ・メストと赤の広場だけでも見どころはたくさんです。

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歴史を築いた偉大な人物の眠る場所レーニン廟見出し

レーニン廟について纏めてみましたがいかがでしたか?レーニンなんて共産主義の独裁者、なんて意見もあるかもしれませんが、それとは別にその遺体の保存技術や建物は素晴らしいものです。ロシアに旅行することがあれば、難しいことは考えずに見学に行くのもいいかもしれませんよ・

投稿日: 2017年8月23日最終更新日: 2020年10月7日

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