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東大寺・奈良の大仏に会いに行こう!歴史・大仏の大きさ・拝観料などご紹介

東大寺・奈良の大仏に会いに行こう!歴史・大仏の大きさ・拝観料などご紹介
投稿日: 2017年4月23日最終更新日: 2020年10月7日

奈良の大仏についてご紹介します。誰でも知っている奈良・東大寺にある大仏ですが、大きさや生まれたころの状況、その後の歴史、見どころなど知らないことがいっぱいあります。拝観料やアクセスなどもご紹介しますので大仏に会うときの参考にしていただければ幸いです。

奈良の大仏さまに会いたいアナタに!見出し

この記事では奈良の大仏さまに会いに行きたい方のために、お役に立つ情報をご案内します。大仏は東大寺にありますから、東大寺のことも含めて歴史その他、もっと理解が深まり、面白くなるようなことをご紹介します。もちろん拝観料やアクセスもご説明しますからご覧ください。

奈良の大仏さまにディープに会うために!見出し

奈良の大仏さまといえば、多くの方は修学旅行などで一度は拝観していると思われますが、どんな印象を持っておられるでしょうか?とにかく仏様の大きさ、お堂の大きさ、大きなお寺、などに驚いたというのが一般的な印象かもしれません。特に小学生くらいですと、そのくらいの印象で終わっているかもしれませんね。

しかし、大仏や東大寺が生まれた背景や歴史がいろいろありますので、少し理解されてから拝観したら、小さい頃とは違った目で、深く拝観できる、あるいは大仏と再会できるのではないでしょうか。そんなポイントから以下の記事をご紹介します。アクセスも便利ですので、大仏さまに会いに出掛けましょう!

国宝・世界遺産などを肌で感じよう!見出し

仏像などの説明の前に、仏像や建物が文化財としてどう評価されているか確認しておきましょう。まず東大寺には沢山の国宝がありますが、大仏殿も大仏も、さらに大仏殿前の八角燈籠も国宝です。また東大寺は「古都奈良の文化財」の八つの資産の一つとして世界遺産に登録されており、その推薦内容として、大仏殿と大仏も記載されています。

奈良の大仏と東大寺はどの時代に生まれた?見出し

歴史をたどれば、生まれたのは東大寺も大仏も奈良時代のことです。なお、奈良時代というのは、都が基本的に平城宮(現奈良市)に置かれ、長岡京(現京都府)に移るまでの西暦では710年から784年までのことをいいます。この時代は仏教が広まり、国を治めるのにも大きく影響しています。このことが東大寺や大仏につながってきます。

奈良の大仏や東大寺は誰が造った?見出し

東大寺については、学校の歴史の授業で聖武(しょうむ)天皇が全国に国分寺を造り、その元締めの総国分寺として東大寺を創建したと教わったことと思います。とにかく、東大寺と大仏は聖武天皇つまり当時の国家と深い関わりがあります。また、それらが生まれた細かないきさつにも興味深いものがありますのでご紹介していきます。

まず、聖武天皇と光明皇后の間に生まれた皇子が1歳の前に亡くなり、その菩提のために若草山(上の写真)の麓に金鐘山寺(金鍾寺とも)を建立しました。728年のことで、これが東大寺の前身です。

奈良時代は歴史的に天平文化が花開いたといわれ華やかなイメージがあります(上の写真はお祭りの様子)が、一方では飢饉、大地震、天然痘などで特に一般の人々が苦しんだ時代でもあります。そういうことが背景にあったようですが、聖武天皇は仏教の「華厳宗」の教えに関心を持ちました。

華厳宗の教えが影響している見出し

華厳宗は中国で生まれた仏教の宗派で、日本には736年に伝えられました。その教えは説明が難しいですが、「世の中は相互に関連しあっており、孤立するものはない。一人ひとりが他者に対して慈愛を持ち、菩薩の心で接しよう(東大寺資料)」というようなことです。そのシンボル=ご本尊が毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)です。

この仏様は単に盧遮那仏と呼ぶこともあり、華厳宗にとっては普通の仏様を超越したもので、宇宙の真理を体得した釈迦如来の別名とする説明もあります(東大寺資料)。740年ころ聖武天皇は、この華厳宗を一層深く研究することとし、前記の金鐘山寺に学僧らを集めて約3年間かけて研究させました。

国分寺が誕生し、後に東大寺になる

そして741年には国を救い、安定させるために全国に国分寺と国分尼寺を建立する詔を発しました。国分寺は金光明寺、国分尼寺は法華寺と呼ばれ、金鐘山寺は大和金光明寺となり、後に東大寺となります。

奈良の大仏を造り始める見出し

また、聖武天皇は念願であった大仏(毘盧遮那仏)を造る詔を743年に発し、造仏に着手します。聖武天皇としては、国分寺や国分尼寺の建立も大仏の造仏もできるだけ一般の人々の協力のもとに進めたいと考えました。当時は、上層の階級の財力、命令でこういうものを造ることが多かったのに対し、ユニークな方法であったといえるようです。

大仏は奈良ではなかった?見出し

大仏の造像はこのようにして始まりましたが、場所は現在の東大寺の所ではありません。当時は離宮が紫香楽宮(現滋賀県甲賀市信楽町、上の写真)にあり、そこで造像が始められました。ところが山火事や地震などが多発したため造像は中断され、後に宮殿が平城宮に戻った後に、金鐘山寺=金光明寺で再開されました。

造像の細かいことは後でご説明しますが、もし信楽で順調に造像が進んだら、大仏さまは奈良ではなく信楽の大仏さまになっていたかもしれませんね。そうなると、東大寺も現在の東大寺とは大きさも含めて様変わりだったかもしれません。

東大寺の誕生見出し

それでは東大寺の前身である大和の国分寺である金光明寺は、いつ東大寺となったのでしょうか?歴史上の年代は正確には分かっていないようですが、金光明寺で大仏の造像が再開されたのは745年(東大寺資料)とされ、そのころから東大寺という名前が使われたともいわれます。

なお、歴史の資料に東大寺が現れるのは748年で、「造東大寺司」という言葉ですが、東大寺を建立するための部署が設けられていたことが分かっています。東大寺の前身の金光明寺がそのまま東大寺になるのではなく、非常に大掛かりな工事をして大規模な東大寺が建立され、大仏の造像と並行して進められたようです。

なお、東大寺の正式名称は、「金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)」といいます。難しい名前ですが、国を護るという願いが込められていますね。

奈良の大仏と東大寺はどちらが先に生まれた?見出し

大仏の開眼供養は752年に行われていますので、そのころには東大寺もかなり建築が進んでいたようです。大仏殿(正式には金堂)は開眼前から建築が始められましたが758年に完成するなど、工事は開眼後も続けられています。なお、開眼供養は菩提僊那(ぼだいせんな)というインド出身の僧に導かれて盛大に行われました。

歴史上このような経緯をたどっており、大仏と東大寺はほぼ同年代に出来上がっているといえます。ただし、聖武天皇の願いが強く、東大寺という名前そのものより早く大仏の造像に着手していたのかもしれません。(上の写真は大仏殿前の聖武天皇祭の様子)

奈良時代の東大寺について見出し

東大寺の工事は一説では745年に始まったとされ、上記のように大仏開眼のころにはかなり出来上がっていたようですが、完成には40年ほどかかったとみられています。大規模な寺院が造られましたが、現存する施設(再建も含めて)としては、メインストリートに南大門(上の写真)、中門、大仏殿(金堂)が南から北に並んでいます。

大仏殿の北側には講堂がありましたが焼失しています。その左右には多くの僧坊があり、また東西に七重の塔があり、偉容を誇ったようですがこれらも焼失しています。そのほかには、三月堂(法華堂ともいい、元の金鐘山寺)、二月堂(お水取りで有名、上の動画)、戒壇院などがあります。

奈良の大仏の大きさ見出し

奈良の市街でひときわ大きな建物が目につきますが、それが大仏殿ですね。その中に座っている大仏ですが、やはり中に入って見上げるとますますその大きさにびっくりします。それでも、威圧感よりはやさしい眼差しで世の中を見渡しているようなイメーシがあり、救われるようにも思われます。

奈良時代にどのようにしてこのように大きなものが造れたのか、疑問が先立つかもしれません。しかし、造り方は後でご説明するとして、まずサイズはどのくらいか確認しておきましょう。

大仏は座っているので、座高となりますが14.98mあります。大仏は蓮華の花びらで飾られた台座の上に安置されていますが、この台座だけでも約3mありますから、見上げると一層高く感じられます。髪の生え際から頭頂までが2.57m、耳の長さは2.54mもあります。目の長さは左右1.02mずつです。口の幅は1.33mです。

大仏の主なサイズは以上の通りですが、実は大きな仏像は仏教が生まれたインドにはありません。大きい仏像は中国などで造られ王侯貴族などが信仰を顕示するものであったといわれます。そして聖武天皇も華厳宗で宇宙世界を表す存在として、衆生を隈無く照らす大きな仏像を造ろうとしたようです。上の写真はお土産品。

奈良の大仏はどう造った?見出し

このように大きな大仏を、重機もないあの時代にどのように造ったかについては誰しも不思議に思うことでしょう。膨大な労力とともに、技術的にも高度なものがあったと思われます。まず、基本的な構造は銅を鋳造した銅像であり、表面を金メッキしたものです。

巨大な銅像ですから、一度に鋳造することはできず、8区分し、丸2年間かけて鋳造していったといわれています。実際の作業としては、木材などで芯を作ったうえに、土で像の原型=中型を作ります。原型が乾燥してからその上を粘土で固め外型を作ります。そして中型と分離し、中型を一定の厚さで削り、外型との間に隙間を作ります。

その隙間に溶かした銅を鋳込んでで銅像を作りますが、一番下の脚部から順番に8個分を組み立てて大仏を造りあげました。その後で仕上げ作業を行い、金メッキを施しました。なお、開眼供養のときにはまだ未完成で、金メッキも一部だけだったようです。使用した銅は500トン、総費用は今の価値では5,000億円近くだろうということです。

奈良の大仏の苦難の歴史:何度も修復されている見出し

大変な難事業で生まれた大仏ですが、歴史上何回も試練に遭っています。まず完成後数十年で大地震に遭い、頭部が落ちて修復しています。その後1100年代と1500年代に兵火に遭い、ほかに台風の被害もあり、大仏殿が消失、大仏も風雨にさらされています。そして江戸時代(1700年前後)に大仏の復興開眼と大仏殿の落成が行われています。

奈良の大仏のほとんどは修復されたもの

以上のような経緯から、大仏の中で奈良時代の当初の姿を残しているのはごくわずかであるといわれています。それは、右脇腹、両手の前膊と袖、両脚だといわれ、それ以外は後代に復元したものとなります。例えば、頭部は江戸時代の作のようです。そうと知れば大仏に会うときも違った感じになるかもしれませんね。上の写真は大仏の裏側。

大仏の見どころ:手の形の意味見出し

大仏の手は独特の形をしています。右手の掌を正面に出し、左手は膝の上に乗せ掌を上に向けていますが、仏教ではこれらの形を印相といい、意味を持っています。奈良の大仏の場合は、右手で恐れなくてもよい、左手で信者の願いを叶えると表しているそうですので、ご覧ください。なお手のサイズは掌が2.56m、中指が1.08mということです。

大仏の見どころ:螺髪(らほつ・髪の毛)見出し

大仏の頭にはブツブツがありますが、これを螺髪といいます。これは巻き貝のような髪の毛ということですが、ガンダーラ(ゴダイゴの唄にも出てきます)の影響もあるそうです。奈良の大仏の螺髪の大きさは、直径が約22cm、高さ21cm、重さ1.2kgとやはりスケールが大きいです

螺髪がいくつあるかも興味あるところですね。まず、史料によれば奈良時代には966個あったとされます。ところが現在の頭部は江戸時代の復元で、調査したところでは元は492個あったようですが、現在はその内9個が外れているといわれています。

大仏の見どころ:台座の線刻画見出し

大仏は台座の上に鎮座していますが、銅製の台座には蓮弁(はすの花びら)とともに、釈迦如来や諸菩薩などが線刻で描かれています。華厳の世界を表しているようです(他の意見もあります)が、線刻も天平芸術の証です。大仏の近くにレプリカがありますので、ご覧ください。

大仏の見どころ:鼻の穴の大きさ見出し

大仏のサイズで話題になるものに、鼻の穴があります。大仏殿の柱に鼻の穴と同じ大きさの穴が開けられており、そのサイズは、高さ30cm、幅37cm、長さ120cmです。そしてこれを通り抜けると無病息災など願いが叶うといわれ、修学旅行生などに人気ですね。

大仏の見どころ:8本脚の蝶見出し

大仏の前に蓮の花などを活けた花瓶のセットがありますが、花瓶に蝶が飾られています。そしてなんと脚が8本あります。昆虫は6本脚のはずですから、不思議な造形として注目されていますので、ご覧ください。理由は華厳の世界を表しているとの見方もありますが、よく分かっていないようです。

大仏の見どころ:正面から拝めるチャンスも!見出し

普通、大仏に参拝する場合は下から見上げますが、年に2回大仏殿の正面に観相窓が開きますので、上の写真のように顔を正面から拝むことができます。まず、8月15日に万灯供養会が行われ、19時から22時の間参道などに多数の灯籠が灯され、このとき観相窓が開きます。もう1回は元旦の0時から1日の8時までです。

大仏殿(金堂)の歴史も苦難の連続見出し

今までは主として大仏そのものについてご説明しましたが、ここでは大仏を安置している建物である大仏殿についてご紹介します。なお国宝に指定されています。正式には金堂といいますが、通称である大仏殿の方が通りがよく、東大寺自身も使用しています。大仏殿は東大寺の伽藍のほぼ中央にあり、遠くからでもすぐ分かる目立つ建物です。

大仏殿の建立は大仏の鋳造が終わるころから始められ、758年に完成しています。開眼供養が752年ですから、6~7年かかったことになります。大仏とともに国力をかけた大事業で壮大な大仏殿を建築しましたが、2度にわたり兵火で焼失するという目に遭っています。

1181年には南都焼討により焼失しましたが1190年に再建され、1196年の落慶法要には源頼朝も出席しています。しかし、1567年に再び兵火で焼け落ち、大仏も大きく傷んでしまいました。大仏は仮修理しましたが、大仏殿は数十年も再建されず、江戸時代の1709年にようやく落慶しています。この建物が現在見ているものです。

世界最大級の木造建築

現在の大仏殿の大きさは、横57m、奥行き50.5m、高さ46.8mですが、創建当時は横幅が86.1mあり、約2/3に圧縮されています。なお、高さと奥行きはほぼ同じです。資金や木材の入手が難しくなったためだといわれていますが、創建当時の大きさにはびっくりさせられます。現在の大きさは木造建築として世界最大級といわれています。

大仏殿の見どころ見出し

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)坐像

虚空蔵菩薩坐像は大仏に向かって左側にある脇侍(きょうじ・わきじ)で、本尊を補佐する役割です。この仏様は無限の知恵を持つといわれ、修行によって知恵を授かることができるともいわれています。高さは約7.2mの寄木造で江戸時代の作といわれ、重要文化財となっています。

如意輪観音(にょいりんかんのん)坐像

如意輪観音坐像は大仏の向かって右側にある脇侍です。お祈りをすると福徳や財宝を授かるともいわれる仏様です。江戸時代に造られた高さ約7.1mの寄木造で、重要文化財となっています。

金銅八角燈籠

金堂八角燈籠は中門横の入り口で拝観料を払って入場後、大仏殿の正面手前にある燈籠です。大仏開眼(752年)と同時期に造られたといわれています。大仏や大仏殿が焼失再建された部分が多いのに対し、この燈籠は当時のままであると考えられており、国宝となっています。通り過ぎることなく、じっくりご覧になることをおすすめします。

大仏殿の拝観料見出し

東大寺の境内に入るのには入場料・拝観料は必要ありませんが、大仏殿に入るには大人500円の拝観料が必要です。ちなみに、二月堂と戒壇堂もそれぞれ500円の拝観料が必要です。また、30人以上の団体の拝観料は大人450円となっています。なお、2018年1月から拝観料は大人600円、団体の拝観料は大人550円となります。

二月堂と戒壇堂とはそれぞれの入場券が必要になりますが、東大寺ミュージアムとは共通の入場券があります。大仏殿と東大寺ミュージアムの共通の拝観料は800円となります。東大寺ミュージアムは境内の南側の東大寺文化センター内にあり、単独の入館料は500円です。

拝観時間見出し

拝観時間は季節によって変動しますからご注意ください。まず開門は、4月から10月は7時30分、11月から3月は8時です。閉門は4月から9月は17時30分、10月は17時、11月から2月は16時30分、3月は17時となっています。

なお、2018年1月からは次のように変更されます。開門は4月から10月は7時30分、11月から3月は8時、閉門は4月から10月は17時30分、11月から3月は17時です。(上の写真は東大寺のお守りの一つ)

拝観とは違いますが、奈良公園一帯のライトアップが行われます。時期は毎年7月中旬から9月末ころまでで、東大寺については大仏殿(中門を含みます)と南大門(金剛力士像を含みます)がライトアップされ、昼間とは違った趣になりますので、おすすめです。(上の写真は大仏殿前のコンサート)

大仏殿の御朱印見出し

お寺や神社で御朱印をいただくのを楽しみにしている方も多いですが、大仏殿でもいただくことができます。場所は大仏殿内の出口付近で案内が出ていますのですぐ分かります。書かれる文字は基本は「華厳」で書体は変わることがあります。また文字も変わることがあります。御朱印料は300円(2016年8月現在)です。

東大寺へのアクセス見出し

近鉄によるアクセス

近鉄奈良駅から市内循環バスで東大寺バス停まで約4分、下車後徒歩約5分で東大寺です。また近鉄奈良駅から東大寺までは徒歩で20分くらいですので、歩くのもおすすめです。なお大阪難波駅から奈良駅までのアクセスは特急で約35分、京都駅から特急で約34分、名古屋駅からは大和八木駅・大和西大寺駅で乗り換え2時間余となります。

JRによるアクセス

JR奈良駅から市内循環バスで東大寺バス停まで約8分、下車後徒歩で約5分で東大寺です。なお、JR奈良駅までは、大阪駅からは関西本線快速でアクセスでき約47分、京都駅からは奈良線でアクセスでき約44分です。名古屋方面からは関西本線ですが、乗り継ぎとなります。

車によるアクセス

車でアクセスするときは東大寺周辺の駐車場を利用できます。例えば、「奈良県営大仏前駐車場」は東大寺の南側すぐにあります。ただしここは観光シーズンはバス専用となります。「夢風ひろば駐車場」は東大寺前のショッピングセンターの駐車場で、2,000円以上買い物をすれば、2時間無料、以降1時間ごとに500円追加となります。

奈良まで車でアクセスする場合は、大阪の吹田JCTから近畿道、第二阪奈道路など経由で1時間30分ほどです。京都・滋賀方面は、瀬田東JCTから京滋バイパス、京名和道など経由で1時間ほどです。名古屋方面の場合は、東名阪亀山JCTから名阪国道など経由で1時間30分ほどです。

奈良の大仏は大きく慈悲深い!お楽しみに!見出し

奈良の大仏さま・大仏殿・東大寺について、歴史や拝観の見どころや拝観料・アクセスなどをご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?修学旅行で行かれた方も多いと思いますが、改めて大仏さまに会うと、その苦難の歴史も併せて感慨深く感じるところがあるのではないでしょうか。実りある参拝をお楽しみください。

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投稿日: 2017年4月23日最終更新日: 2020年10月7日

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