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ポロトコタンアイヌ民族博物館で学びのひととき!アイヌの文化理解を深める旅!

ポロトコタンアイヌ民族博物館で学びのひととき!アイヌの文化理解を深める旅!
投稿日: 2017年11月8日最終更新日: 2020年10月8日

北海道と言えば「さっぽろ雪まつり」「鮭やイクラ」「毛ガニ」等で有名ですが、白老町には「ポロトコタンアイヌ民族博物館」という自然と共に生きるアイヌ民族の文化に触れられ学べる施設があります。ここでは「ポロトコタンアイヌ民族博物館」の全容を詳しく説明していきます。

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」でアイヌの文化を学ぼう!見出し

北海道の白老町には昔アイヌ民族の集落がありました。明治維新の頃、本州から多くの和人が移住してきて激流の時代に突入しました。そんな類まれなアイヌ文化を伝えていく為に出来た「ポロトコタンアイヌ民族博物館」。自然と共に生きるアイヌの人達の文化を学んで理解するために「ポロトコタンアイヌ民族博物館」に観光に行きましょう!

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」の意味と歴史見出し

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」がある海と山の幸に恵まれた美しい白老町には、かつてアイヌ民族が住む集落がありました。「ポロトコタン」の「ポロ」はアイヌ語で大きい、「ト」は湖、「コタン」は村や集落で、「大きい湖の集落」という意味になります。かつて、白老町にアイヌ民族が実際に住んでいた様な家並みを再現しています。

そして、再現した街並みに資料館を建てたのが博物館の始まりです。因みに、当時の資料館は現在の旧館です。その後、現在の新館である博物館を増築してなるべく多くの人にアイヌ文化を紹介しています。現在では年間数十万人もの人が国内外から訪れ、1976年の財団法人化以来、累計1700万人を数える北海道で有名な観光地となりました。

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」アイヌ文化の始まり見出し

本州が弥生時代・古墳時代・奈良・平安時代・鎌倉時代と時代が進む中、北海道は土器を使い採集・漁狩猟の続縄文文化・擦文文化の時代でした。この擦文文化の時代は7世紀頃始まり12、13世紀頃に終わるとアイヌ文化が登場したと考えられています。両方の文化の特徴は集落がサケやマスが登ってくる河川の流域や河口に作られていた事です。

アイヌの人達は季節になると、沢山登ってくるサケやマスを主食としていたのが分かります。擦文文化とほぼ同じ時期にオホーツク沿岸域を中心に、オホーツク文化が始まりました。このオホーツク文化は、アイヌ文化の熊祭り「ヒグマの霊送り」と似ている所があり、クマに何かの信仰を持っていたのか住居内にクマの頭骨を集めていました。

歴史の流れを見ていくと、擦文文化時代の人達がオホーツク文化の人達の影響を受けてアイヌ文化が始まったと考えられます。アイヌ人は、本州の人達や琉球の人と遺伝子的に大体同じだと言われていますが、遺伝子的に一番近いのは琉球人で、彫りの深い顔立ちや体毛が濃い所、体格がいい所等が琉球人に似ています。

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」アイヌ文化とカムイ見出し

アイヌ文化では「カムイ」と呼ばれる神への信仰心が強く、自分達が暮らす「アイヌモシリ」人間の住む大地の動物・植物・道具類・天災・流行病など全ての物には、ラマッと呼ばれる「霊」が宿っていて、ラマッは別の世界からそれぞれの役目を持ってアイヌモシリに来ていて、その役割が終わると元のラマっの世界に戻ると考えていました。

アイヌ文化では「カムイ」は人間の暮らしに恵みをもたらす物や人間の力の及ばない物です。アイヌ民族にとって生活の糧となる動植物は普通良い神ですが、流行病や天災は悪い神です。特にアペフチカムイと呼ばれる火の神は体を温め暗闇を照らす明かりとなり食料の調理も出来るアイヌ民族で最も尊い物とされ日常的に祈りが捧げられます。

アイヌ文化では動物の中でも頂点に立つヒグマは最も尊い神とされています。アイヌ民族は農耕以外に、狩りや漁業も行っており、熊や鹿などを狩り肉は食糧に、毛皮は衣類に使用していました。アイヌ民族は食料となる肉や衣類となる毛皮の「カムイ」に感謝し「カムイ」の本体である霊は「霊送り」で天に返すという儀式をしていました。

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」野外博物館の見所見出し

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」には野外博物館があり、近代ゾーンとコタンゾーンに分かれています。コタンゾーンはアイヌの家だった「チセ」、食料庫の「プ」、子熊の飼養檻「ヘペレセッ」、丸木舟の「チプ」等が復元されて「アイヌのコタン・集落」となって展示されていて、アイヌ文化が学べるおすすめの観光場所となっています。

むらおさ像「コタンコロクル」

正門をくぐると観光ガイド本でお馴染みの高さ16mもある、むらおさ・村長の「コタンコロクル」の巨大な像が出迎えてくれます。ポロトコタンの象徴であるこの像の材質はFRPで人気の観光場所の奈良の大仏と同じサイズです。右手に「イナウ」御幣を、左手にはエムシという刀を握っています。この刀は武器ではなく儀式用の礼装の一部です。

北海道犬

携帯電話会社のCMホワイト家族の「お父さん」で有名な北海道犬も出迎えてくれます。1937年に国の天然記念物となった北海道犬は、元々はアイヌ犬と呼ばれていてアイヌの狩猟犬でした。何千年も昔から、人の手による改良がされずに元々の姿を保ち、アイヌ民族と暮らしてきた北海道犬は、北海道の環境に順応する純粋な日本犬です。

ヒグマの子熊飼養檻「ヘペレセッ」

アイヌ文化で、アイヌ民族が最も尊ぶ動物の「カムイ」であるヒグマは、当時行われていた「ヒグマの霊送り」の為、子熊の時にアイヌ民族によって飼育される風習がありました。ここでも飼養檻「ヘペレセッ」の中にヒグマの子熊が飼われていて、餌もあげる事が出来るので、すぐ近くまで寄ってくるヒグマを至近距離で見る事が出来ます。

丸木舟「チプ」

この丸木舟には「アユシニ」せんのき、「二ぺシニ」しなのき、「ランコ」かつら等の木が使用されていました。作成時には丸太一本そのままを綺麗にくり抜き、巧妙な技術にて迅速に仕上げられました。丸木舟は水上交通の道具としては勿論の事、重い物を大量に一度に運搬出来る道具として船の中でも頻繁に使用され最も重宝されていました。

軽食「カフェリムセ」

「カフェリムセ」では北海道の郷土料理「三平汁」がルーツと言われるアイヌの伝統料、理鮭と野菜のスープ「オハウ」といなきびご飯のセット等の軽食、ポロトコタンオリジナルのヨモギソフトクリーム等を楽しむ事が出来ます。団体向けに「アイヌ伝統料理試食体験」もあり、1080円で予約が必要です。リムセとはアイヌ語で「踊り」です。    

電話番号:080-8298-3189

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」コタンゾーン・復元家屋群見出し

アイヌ民族は家の事を「チセ」と呼びます。敷地の中心部には手前から「サウンチセ」手前の家、「オトゥタヌチセ」次の家、「ポロチセ」大きな家、「マクンチセ」奥の家、「ポンチセ」小さい家の5軒が並んで建っていて、高床式の食料庫や熊檻、祭壇など当時実際に使われていた物が家のまわりに再現されており興味深い観光場所です。

「サウンチセ」手前の家

一番手前にあるチセは「サウンチセ」と呼ばれ、日本語では「手前の家」という意味です。外観は他のチセと同じ216人収容出来る茅葺き家で、1時間に1回、毎時15分からスタッフの方によるアイヌ文化の解説と古式舞踊公演の「お話踊り」を見学する事が出来るおすすめの観光場所です。ここで講演の「ポロトコタンの夜」は必見です。

1日8回の講演時間は、1回目の時間9時15分から9時40分・2回目の時間10時15分から10時40分・3回目の時間11時15分から11時40分・4回目の時間12時15分から12時40分・5回目の時間13時15分から13時40分・6回目の時間14時15分から14時40分・7回目の時間15時15分から15時40分・8回目の時間16時15分から16時40分です。

「オトゥタヌチセ」次の家・「ポンチセ」小さい家

「オトゥタヌチセ」はアイヌ語で「次の家」という意味です。内部はサウンチセと同じで主に学校団体等の臨時公演の会場や学芸員講話、ムックリ演奏体験となります。224人収容出来ます。また「ポンチセ」という「小さい家」と呼ばれる29人収容出来る家もあり、はた織りや着物、ござ編みなどの伝統工芸の実演や展示がある観光場所です。

「ポロチセ」大きい家

当時の「コタン」集落には中央に「ポロチセ」と呼ばれる特別大きな家が建っていました。これは「コタンコロクル」むらおさの住居でもあり、儀式場や集会所でもありました。「ポロトコタンアイヌ民族博物館」のポロチセも昔の構造と同じ造りで今でも儀式場や体験学習として使われています。52人収容出来てアイヌの貸衣装もやっています。

「マクンチセ」奥の家

「マクンチセ」奥の家は、246人収容出来る大きな家となり主に修学旅行団体の貸切施設として使われているので、普段は立ち入り禁止で使用できません。また、古式舞踊公演や学芸員講話、ムックリ演奏体験の会場としても使われています。どの「チセ」も、昔のアイヌ民族の暮らしが肌で感じられるような落ち着く作りになっています。

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」伝統文化を学ぶ見出し

「アイヌ民族博物館」は入館料は無料となっています。手前にある「アイヌ民族博物館」の旧館は町立の白老民俗資料館として1967年にオープンしました。「アイヌ民族博物館」の新館は、その奥に連結する形で1984年に建設されました。現在はアイヌ民族の有形文化財を中心に展示されアイヌ民族の伝統文化を学べる観光場所となっています。

「展示室」旧館

普段は樺太アイヌや北方先住民族の展示を見る事が出来ます。企画展や特別展の会期中は、この旧館展示室での展示となります。また109人収容出来る旧館内には学習室もあり、アイヌ民族に関する図書資料や視聴覚資料などがあり自由に使用出来ます。何処にも売っていない入手困難な資料もあります。貸出しやコピーサービスはしていません。

「展示室」新館

新刊の展示室はアイヌ民族の衣食住等のテーマ毎に別れていて、遠い昔のアイヌ民族の暮らし方等から彼らの伝統文化を学ぶ事が出来るおすすめの観光場所となっています。普段は解説員はいませんが、5月から10月の10時から15時の間は博物館ボランティアが解説出来る場合があります。約800点の興味深い展示物があり、309人収容出来ます。

映像展示室

「映像展示室」は新館内にあります。良い音響を生かして、主にムックリ製作や講演会・映写会等のイベント、トンコリ演奏などの体験学習の際に使用しています。アイヌの伝統文化ならではの、楽器達が奏でる独特な音楽観の演奏を楽しむ事が出来ます。「映像展示室」は、約80人収容出来る興味深い観光場所になっています。

体験学習館

「体験学習館」は192名収容出来る、ムックリやトンコリ等のアイヌの楽器類や文様刺繍や文様彫刻等のアイヌの伝統文芸各種の製作体験や、カムイからの授かり物の食料を感謝しながら必要な分だけを毎日食べていたアイヌの伝統料理を食せる食事会場です。厨房と視聴覚機器もあります。アイヌの文化を知るには最高の観光場所です。

「体験学習館」での製作体験、所要時間は、大体どれも30分から60分という短か過ぎず長過ぎない時間帯なので是非、ここ「ポロトコタンアイヌ民族博物館」でしか体験出来ない、アイヌの伝統文化を体験をしてみて下さい。きっと独特なアイヌの伝統文化の魅力に魅せられる事でしょう。

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」有用植物園で学ぶ見出し

「有用植物園」は、アイヌ民族が食用や薬用などに使用していた北海道に自生する約60種類もの植物が栽培されている興味深い観光場所です。アイヌの人々は春から秋にかけて色々な種類の植物を採取していました。植物によって利用する部分は違ってきますが食用の植物からハーブ等の薬用まで、ちゃんとアイヌの人々は使い分けていました。

アイヌ民族の普段の食事は基本的に汁物と粥でした。儀礼の際には、飯・ラタシケプ・団子・酒などが振舞われました。特に、山菜類・野菜類・豆類などの数種類の材料を混ぜ合わせて煮たり、油脂や塩で味付けをしたりして作る「ラタシケプ」というアイヌ民族の料理は有名です。またドングリ等は粉にして使用されていました。

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」アイヌ語と日本語見出し

アイヌの人達が使う言葉を「アイヌ語」と言います。このアイヌ語の中には日本語に浸透してる物もあり、私達も日常、知らずの内に使ったりしている物もあります。北海道の地名等がいい例で「札幌・サッポロ」の「ポロ」はアイヌ語で「大きい」の意味、「サハリン・樺太」や「千島列島」等も、アイヌ語が日本語に浸透した言葉です。  

東北地方にもアイヌ語が日本語に浸透した地名があります。「登別・のぼりべつ」や「稚内・わっかない」等に使われている「ペッ」や「ナイ」もアイヌ語で「川」の意味があります。この事から、北海道や東北地方の一部にはアイヌ人達が暮して居た事が分かります。また、「シシャモ」「ラッコ」「トナカイ」等もアイヌ語が由来です。

アイヌ語と日本語は根本的に全く違う言語ですが、この二つの言語には興味深い共通点がある事も見つかっています。まず語順が日本語と同じなので単語を置き換えて並べていくと日本語になる事。単語の母音は「アイウエオ」の5文字からなっている事。名詞の複数形が無い事。アイヌ語が由来の同じ意味の単語が存在する事等です。

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」アイヌの伝統文化見出し

アイヌ民族には獣皮衣・魚皮衣・樹皮衣・草皮衣・木綿衣等の色々違う素材の衣装があり、性別や年齢により衣服を区別して着ていました。労働時の日常着と、儀式時の晴れ着との区別もあります。刺繍の文様には魔除けの意味があり地域によってデザインも違います。中国や本州から入ってきた正装用の衣類等アイヌの伝統文化は奥が深いです。

アイヌ古式舞踊

「アイヌ古式舞踊」は2009年にユネスコ無形文化遺産に認定されました。アイヌ独特の唄と掛け声にのって体全体を使い膝と手拍子のリズムと一緒に踊ります。 自然と共に生きるアイヌ民族は自然や動物、喜び悲しみ等を体全体を使って、さまざまな場面で歌や踊りで表現していました。「アイヌ古式舞踊」は彼らの生活の一部となっていました。

「ユカラ」英雄叙事詩

アイヌの人々は固有の文字を持たなかったので、数多くの物語が親から子へと語り継がれてきました。少年少女の冒険物語、熊やキツネ等の神様の物語、昔話など色々な物語があります。有名な物に拍子をとりながら独特の節にのせて語る「ユカラ─英雄叙事詩」というのがあります。殆どの物語は親のいない少年が主人公の冒険物語です。

「サッチェプ」干し鮭

半年もの長い期間、雪に閉ざされる北海道や東北では鮭はアイヌの人達の重要な保存食でした。アイヌの人達は秋に川を登ってきた鮭を捕まえ、冬の間寒干しにして囲炉裏の煙で薫製にしました。「ポロトコタンアイヌ民族博物館」でも季節により寒風干し、チセ内での薫煙の様子を見る事が出来て、5月頃からは園内の売店で購入も出来ます。

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」伝統文化を伝えていく見出し

伝統文化で取り上げたいのがアイヌ語と彼らの習慣です。明治になりアイヌ人達は、自分達の言葉や習慣を使用するのを禁止され住む場所も追いやられ、学校でも強制的に日本語を教えられていたので、アイヌ語を話す機会が失われアイヌの伝統文化を伝えていく人が減ってしまいました。アイヌ人達は和人から酷い差別も受けたりしていました。

そして、次第にアイヌ人達は自分達の言葉や習慣を恥ずかしい物と見るようになりました。しかし時代は流れ、現在は祖先から伝えられた言葉を多くのアイヌ人達や興味ある人達が話せるように、アイヌ語教室が開かれたり、ラジオでアイヌ語講座が流されたりして、先祖代々途切れる事無く伝統文化を伝えていけるように工夫されています。

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」アイヌ民族の歴史見出し

北海道では擦文文化が終わり「アイヌ文化」が形成されましたが、本州が弥生時代に入ってもアイヌ民族は、縄文文化を保持し独自の文化を生み出してきました。そんなアイヌ民族は狩猟採集民族で、農耕民族であった和人と互いの生産物等を活発に交易で交換して生活していました。津軽海峡を渡って和人達との交易も盛んに行われていました。

1457年、アイヌ人と和人の交易交渉の際、言い争いが原因で和人がアイヌ人を殺してしまい「コシャマインの戦い」が始まりました。1457年5月、アイヌ人達が団結して和人達との戦いを開始、事件現場の志濃里でアイヌ達は小林良景を打ち取ります。しかし1458年、武田信広が七重浜でコシャマイン父子を仕留めるとアイヌ軍は崩壊しました。

アイヌ民族は魚や毛皮等を、和人は鉄器や漆器や米・茶・酒等を交易で交換していました。江戸時代、松前藩の和人は元々温和で人が良いアイヌ民族をだまし始め米・酒・タバコ等の量を減らして不平等な交易を始めました。そしてアイヌ民族を奴隷のように扱い暴力を振るっていました。ついに、不満がつのったアイヌ民族が反乱を計画します。

1789年アイヌ達の不満が爆発して大規模な反乱が起こり「クナシリ・メナシの戦い」となり和人の商人や商船を襲い71人を殺害しました。松前藩が鎮圧に赴き、この戦いの中心だったアイヌ人達37人は処刑されました。それからもアイヌ民族は過酷な条件で労働を押し付けられ、幕府からの経済的な支配もさらに強まって明治時代へと突入します。

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」アイヌ民族への差別見出し

明治時代に入り、政府は「蝦夷地」えぞちを「北海道」と改め強制的に日本の領土としました。アイヌ民族も強制的に日本人になりましたが、アイヌは「旧土人」として和人とは区別されました。アイヌの文化や生活様式は無視され和人と同じ生活を強要して「同化政策」を推し進めました。和人風の名前を名乗り、シカやサケ猟も禁止されました。

アイヌ民族の習慣である耳輪や刺青、そして色々な儀式も「野蛮」であると禁止されました。流石に反発が強まると考えたのか明治32年の1899年に「北海道旧土人保護法」が出来ました。これは、アイヌ達に一定の農地を与える物でしたが、面積は和人の数分の一程度の物でした。管理能力不足を口実に土地の売買や譲渡なども禁止されました。

自分達の故郷から追い出されたアイヌ民族は「知力が低い」とか「野蛮」だというレッテルがはられ劣等部族として酷い差別に耐える生活をしてきました。「同化政策」に反抗するアイヌ民族の「アイヌ」を差別的な用語で使う人も増えて学校ではいじめの対象となりました。アイヌの方々にはアイヌ文化に誇りをもって堂々として欲しいです。

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」交通アクセス見出し

札幌からアクセスの場合、JR特急でのアクセスは約1時間、札幌南インターチェンジから車でのアクセスは道央道利用で約1時間10分。千歳からアクセスの場合、JR特急でのアクセスは約30分、車でのアクセスは道央道利用で約1時間。苫小牧からアクセスの場合、JR特急でのアクセスは約10分、車でのアクセスは道央道利用で約45分です。

登別からアクセスの場合、JR特急でのアクセスは約20分、車でのアクセスは道央道利用で約30分。東室蘭駅からアクセスの場合、JR特急でのアクセスは約40分、車でのアクセスは道央道利用で約50分。飛行機でのアクセスの場合、羽田空港から新千歳空港経由白老で約2時間10分、関西空港からは同経由で約2時間40分。白老駅から徒歩13分です。

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」基本情報見出し

営業時間は8時45分から17時迄です。休館日は12月29日から1月5日迄です。入場料金は、大人800円・高校生600円・中学生500円・小学生350円です。駐車料金は1日の料金となり、大型バス1000円・マイクロバス800円・乗用車300円・バイク100円です。料金は全て税込みです。運営は一般財団法人アイヌ民族博物館です。

住所:北海道白老郡白老町若草町2-3-4 電話番号:0144-82-3914

「ポロトコタンアイヌ民族博物館」アイヌ民族の誇り見出し

異なる人種や文化を受け入れるには、先ずそれらを学んで理解しようとする気持ちが大切です。一度は全てを否定されどん底につき落とされたアイヌ民族の人達を理解して受け入れようとする人達が増えていて喜ばしいです。アイヌ民族が持つ素晴らしい伝統文化と生活習慣を、これからも誇りを持って沢山の人達に伝えて行って貰いたいです。

アイヌコタンとは?情緒溢れる独特の町並みで文化に触れる旅が出来る! | 旅行ガイドTravelNote[トラベルノート]のイメージ
アイヌコタンとは?情緒溢れる独特の町並みで文化に触れる旅が出来る! | 旅行ガイドTravelNote[トラベルノート]
北海道で独自の文化を持ち発展してきたアイヌ人。彼らが住む地域はアイヌコタンと呼ばれて北海道でも言わずと知れた観光名所となっております。みなさんアイヌコタンでアイヌ文化に触れてみませんか。アクセス方法からお土産情報まで盛りだくさんの情報をお伝えします。

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投稿日: 2017年11月8日最終更新日: 2020年10月8日

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