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松尾鉱山跡は岩手にある廃墟スポット!過去の記録が残る資料館も必見!

松尾鉱山跡は岩手にある廃墟スポット!過去の記録が残る資料館も必見!
投稿日: 2018年9月5日最終更新日: 2020年10月8日

その昔、東洋一、雲上の楽園と呼ばれた鉱山がありました。それが八幡平にある松尾鉱山です。東洋最大級の硫黄鉱山として多くの人々が生活していました。この松尾鉱山跡へのアクセスや見どころ、そして松尾鉱山資料館について紹介しまする

雲上の楽園松尾鉱山見出し

Photo by tsushima2011

日本が近代化する以前、地下資源のある場所には多くの鉱山がありました。その中でも東洋一の硫黄鉱山として知られていたのが松尾鉱山です。現在は松尾鉱山「跡」となっていますが、今でも往時をしのばせる建物群などが残り、廃墟ファンに人気となっています。その松尾鉱山について紹介します。

松尾鉱山跡とは見出し

Photo by khf_fjs

松尾鉱山跡というのは、現在の岩手県にあった鉱山です。跡とついていることでわかるように、既に閉山となっており、現在はアパートなどの建物が廃墟として残るのみとなっています。

標高1000メートルを超えるところにあることから、当時は「雲上の楽園」と呼ばれ、多くの人がここで生活をしていました。しかし現在では、アパートなどが廃墟として残る様子から「陸の軍艦島」と呼ばれるようになっています。

1990年、ある写真家が松尾鉱山の様子を写真撮影し、それが写真集などとして一般に流布したことから、松尾鉱山の存在が知られるようになりました。現在では有名な廃墟として、ファンが訪れる場となっています。

松尾鉱山跡はどこにある?見出し

Photo by TANAKA Juuyoh (田中十洋)

松尾鉱山跡があるのは岩手県八幡平市(旧岩手県岩手郡松尾村)です。旧松尾村は秋田県と岩手県の県境に近い場所で、岩手山や八幡平、前森山などの山に囲まれた場所で、スキー場も4つあるという場所でした。5月ごろでも雪が残るという豪雪地帯でもあります。

前述したように、標高は1000メートル近くと高く、市街地から遠く離れた山奥にあったため、アクセスがよくありません。そのためにこの場所には鉱山町が形成されました。現在廃墟となっているアパート群は、鉱山で働く人々の住居として作られたものです。

松尾鉱山跡へのアクセス1:公共交通機関利用見出し

Photo by x768

松尾鉱山跡へのアクセスなのですが、まずは公共交通機関を利用してのアクセスを調べてみました。すると電車などを使ってのアクセスは非常に難しいことがわかりました。

とはいえ、まったく不可能というわけではありません。最寄り駅はJR「盛岡」駅です。東北新幹線の駅なので、ここまではアクセスは問題なくできるでしょう。盛岡駅からはバスを利用します。盛岡駅から八幡平行きのバスに乗り、「御在所」、もしくは「緑ガ丘」バス停で下車します。御在所の方が松尾鉱山跡へは近く、徒歩で30分ほどかかります。

ただ問題は、このバスの本数が非常に少ないということです。御在所を通るバスは複数あるのですが、すべて合わせても一日に数本しかありません。しかも時間帯が昼頃に集中しており、岩手観光などと組み合わせるのはとても難しいのです。松尾鉱山跡へ行くのであれば車を利用したほうがよいでしょう。

松尾鉱山跡へのアクセス2:車利用見出し

車で松尾鉱山跡へアクセスするのは、公共交通機関を利用するよりもずっとわかりやすく、アクセスしやすくなっています。最寄りICは東北自動車道「松尾八幡平」ICです。こちらを降りたら20分少々走ると、松尾鉱山に行くルートである「八幡平アスピーテライン」に出ます。

八幡平アスピーテラインの入口から入って少し進むとトンネルがあるのでその手前を左折すると、松尾鉱山跡のアパート群が見えてきます。ただしアスピーテラインは11月から4月ごろまで通行止めになるほか、雪がある時期、およびそれ以外の時期でも通れる時間帯が決まっています。確認してアクセスしましょう。

後で述べますが、松尾鉱山資料館は岩手県側から松尾鉱山に行く途中にあります。車で10分ほどでアクセスできるそうです。ですから、岩手県側から松尾鉱山に行くのであれば、まずは松尾鉱山資料館に行き、松尾鉱山について学んでから松尾鉱山跡に行くのがおすすめです。

松尾鉱山の歴史見出し

さて、松尾鉱山は今でこそ廃墟となっているのですが、採掘が行われていた時代には日本の産業を支える重要な鉱山でした。硫黄や黄鉄鉱が採掘できる鉱山であり、特に硫黄は東洋最大級と言われていたのです。

江戸時代の1766年、このあたりの硫黄の調査を願い出る文書が残っており、この辺りで硫黄が産出することは古くから知られていたようです。明治に入り1879年にも、この辺りに硫黄鉱山があるという記録が残ります。しかし場所が山奥であることから開発は進みませんでした。

1882年、地元の松尾村に住む佐々木和七という人物が、自然硫黄の大露頭を発見します。そこで1888年に小規模な採掘が行われたのですが、この時は開発がうまく行かず、失敗に終わりました。

1911年、横浜の貿易会社が経営を掌握し、大規模な投資を行うことで、松尾鉱山の採掘が本格的に行われることになりました。1914年になると資本金30万円で松尾鉱山株式会社が設立されました。それ以後第二次世界大戦が終わるまで、松尾鉱山はピークを迎えます。

松尾鉱山の採掘量は一時期、日本の硫黄の30パーセント、黄鉄鉱の15パーセントを占め、4000人以上の従業員がここで働いていました。秋田の尾去沢鉱山(銅、金)、岩手の田老鉱山(硫化鉱)と共に東北三大鉱山の一つにも数えられていたのです。

しかし第二次世界大戦が終わり、高度成長期を迎えると、硫黄の需要が減り、輸入品が増えたことで採算が悪化します。

さらに1960年代後半になると、石油精製の副生産物として硫黄が作られるようになったため、硫黄鉱山の需要が完全になくなりました。1969年、会社更生法を申請して倒産、黄鉄鉱のみを採掘する新会社がつくられましたが、こちらも1972年に鉱業権を放棄して倒産し、完全に閉山となったのです。

当時の松尾鉱山見出し

前述したように、松尾鉱山がピークを迎えていた時代、4000人の従業員が働き、家族など約15000人がここで生活していました。これだけの人間が生活することから、鉱山町が作られたのです。

岩手の県庁所在地である盛岡にもなかった、鉄筋コンクリート造りのアパート「緑ヶ丘アパート」11棟が建設され、単身寮「至誠寮」が建てられました。アパートには最先端である水洗トイレやセントラルヒーティングが設置され、水道代や光熱費は無料でした。

さらにこれだけの人数がいるということで、小中学校はもちろん、高等学校教育のための松尾鉱山学園高等学部なども作られました。さらには「老松会館」という娯楽施設があり、そこでは2日に1回は映画を、さらには有名芸能人を招いた講演なども行われていました。

また、1934年からは松尾鉱山からの硫黄などの産物を運び出すための松尾鉱業鉄道も専用鉄道として開設されました。この鉄道は当時の岩手県岩手郡松尾村の東八幡平駅と、西根町の日本国有鉄道(現在のJR)花輪線大更駅との間を結んでおり、1948年には専用鉄道として開業しました。

当時、接続する花輪線は非電化区間だったのに、松尾鉱業鉄道は電化されており、硫黄はもちろん、各種物資の輸送に大きな力を発揮しました。さらには阪和電気鉄道からの高速電車を投入し、従業員や家族だけでなく、八幡平観光の人々の足としても活躍していました。

もちろん病院や図書館といった公共施設もそろっており、松尾鉱山は標高が高いことから「雲上の楽園」と呼ばれる場となっていました。

現在の松尾鉱山見出し

しかし、現在の松尾鉱山は、松尾鉱山「跡」という名前の通り、廃墟となっています。現在この地に残っているのは鉄筋のアパートなどだけです。木造の建物は延焼実験のために焼却されてしまいました。

また、前述した松尾鉱業鉄道も、1972年に閉山になったのに伴って廃止となりました。松尾鉱山へのアクセスが基本的に車しかないというのはこのためです。もちろん病院や学校なども同時になくなりました。

ちなみに、松尾鉱山の硫黄はどうなったのかというと、資源がなくなって閉山したのではなく、需要がなくなって閉山しているため、今でも鉱脈が残っています。正確に言うと、これだけの採掘が行われてもなお、埋蔵量に対してはごくわずかの採掘しか行われなかったと言われます。

松尾鉱山跡の見どころ1:風景見出し

もともと松尾鉱山があった場所はブナ林だったのですが、鉱山が開発されたことによって一面が牧草地となりました。しかし松尾鉱山で行われる硫黄精錬の際に出る煙で、土壌が強い酸性となりました。そのため鉱山の跡地などは草が生えない荒地となり、ヒメスゲやススキ、クマザサなどがかろうじて生えるという状態になっています。

Photo by kntrty

2015年、ユネスコの世界文化遺産に登録された軍艦島という島がありますが、松尾鉱山跡は「陸の軍艦島」と呼ばれます。その名の通り廃墟の中に窓ガラスも入っていないアパートが並ぶ姿は最も美しい廃墟であるとも言われ、威容を誇ります。

軍艦島と違い、松尾鉱山は道端にあるため、近くまで寄ることは可能です。実は松尾鉱山跡は現在岩手県および八幡平市で中への立ち入りを禁止しています。しかし特別に監視がなされているわけではないので、いわゆる「廃墟ツアー」の観光客などがアパートの中に入り込んだりすることもあるようです。

松尾鉱山跡の見どころ2:アパート群見出し

松尾鉱山跡の廃墟として現在唯一残るのがアパート群です。前述したようにここには11棟の鉄筋コンクリート造りのアパートが建てられ、そこに多くの人々が生活していました。本当はこのアパートの中に入ることは許可されていないのですが、入り込んで写真などを撮影している方も多いようで、それらが出回っており、様子をうかがい知ることができます。

それらの写真を見ると、アパートの内部には当時の人々が生活をしていた時に使っていた電化製品やビン類などが今でも遺されているとのことです。テレビなどもあり、当時の人々の生活の一端がしのばれるとされているのですが、今述べたように中に入ることは許可されていません。

ただ、中に踏み込まなくても、窓などがなくなっているため、道路に近い場所にあるアパートや至誠寮の内部などは、外からのぞき込むことが可能です。扉や壁、建物そのものは朽ち果てており、中には先ほど述べた植物が生えているのが見えます。

この廃墟となったアパート群は、年月の経過に伴って風化していきつつあります。今後これらの廃墟をどうするのかについてはまだ方針が決まっていません。しかしどのような資源とするのかを模索しているという噂もあるようなので、今後動きが出てくる可能性はあります。

松尾鉱山跡の見どころ3:湖見出し

ところで、松尾鉱山跡に向かう途中に大きな赤い湖が見えてきます。実は松尾鉱山跡からは今でも廃坑から排水が出ています。この排水はヒ素を含んでおり、強い酸性であることから、そのまま流してしまうと下流の北上川などの生態系に影響をあたえてしまいます。

そのため、ここには中和施設が建設されており、現在も24時間体制で稼働が続けられています。この施設には見学コースは特にないのですが、岩手県内の小中学校などでは社会見学などをすることもあるようです。この施設では鉱毒水確認のために水を汲むことができるようになっています。

そして赤い湖は何かというと、この処理を行う際に出てくるヘドロを沈殿させるための湖だと言われています。坑内の汚染排水をすべて浄化するには、あと200年以上かかると考えられており、うっかりと開発などを行うと生態系に大きな影響を与える可能性が高いと考えられているのだそうです。

松尾鉱山を知るなら松尾鉱山資料館へ見出し

松尾鉱山跡は廃墟となったアパート群のみが残るだけですが、これらを見ると当時の松尾鉱山がどのようなものだったのか、知りたいと思う方もおおいのではないでしょうか。このような方におすすめなのが、松尾鉱山資料館という資料館です。

この松尾鉱山資料館は、正式には「八幡平市松尾鉱山資料館」と言います。1981年に旧松尾村の考古や民俗、そして松尾鉱山に関する資史料を展示する「松尾歴史民俗資料館」として建設されました。2014年から、松尾鉱山に特化した資料館となり、現在にいたります。

松尾鉱山資料館の開館時間は9時から16時30分(入場は16時まで)で、毎週月曜日、年末年始(12月29日から1月3日)が休みとなります。先ほど、松尾鉱山へのアクセスのところで、アスピーテラインは冬季間は利用できないと述べましたが、資料館のほうはアスピーテラインに入る手前なので、冬でも大丈夫です。

松尾鉱山資料館は場所が違う見出し

一般的に遺跡などに関する博物館は、その遺跡の出入口のそばに作られることが多いのですが、松尾鉱山資料館は場所が違います。松尾鉱山がある高原の麓に近い位置にあると考えるとよいでしょう。

そのため、先ほども述べたように、盛岡方面から行くと、松尾鉱山に行く手前に松尾鉱山資料館があるという位置関係になります。また、アスピーテラインは雪がないときは17時まで通ることができるので、資料館を見てから松尾鉱山跡に向かったほうが時間的には余裕が持てます。

松尾鉱山資料館へのアクセス1:公共交通機関利用見出し

Photo by rail02000

松尾鉱山資料館へのアクセスですが、こちらの方が公共交通機関を利用してのアクセスは楽です。とはいえ、最寄り駅から直接アクセスすることはできません。新幹線、在来線からパスに乗り換えてのアクセスが必要となります。

1つめの方法は、新幹線とバスを利用する方法です。新幹線を利用する場合、こちらも最寄り駅は「盛岡」です。盛岡駅からは松尾鉱山跡に行くのと同じく、八幡平方面行きのバスに乗りましょう。下車するのは「松尾鉱山資料館前」バス停です。先ほどの「御在所」バス停の手前にあります。

Photo by y_katsuuu

松尾鉱山資料館は松尾鉱山跡よりも手前にあるため、八幡平方面行のほか、松川温泉、八幡平マウンテンホテル行の2路線も使うことができます。下車するバス停は同じく「松尾鉱山資料館前」です。そのため松尾鉱山に行く時よりもバスの時間が多くなりますが、それでも行く前に確認は必要でしょう。

とはいえ、地図で見ていただくとわかりますが、松尾鉱山があるのは岩手と秋田の県境近くであり、盛岡からバスを利用するとかなりの時間がかかります。気になると言う方は在来線を使い、もう少し近くまで電車で移動することができます。

在来線の最寄駅はJR花輪線の「大更」駅です。先ほど松尾鉱業鉄道という鉄道があったことを紹介しましたが、その鉄道が結ばれていた駅が大更駅なのです。この駅が松尾鉱山、および松尾鉱山資料館には最も近い駅ということになります。

先ほど紹介したバスは、盛岡駅を出た後、この大更駅を通過して八幡平を上っていきます。ですから大更駅まで電車で移動してバスに乗ることもできるということになります。大更駅からでもタクシーで移動するにはそれなりの料金がかかるので、可能ならばパスの時間にあわせて移動するとよいでしょう。

バス停から松尾鉱山資料館までは徒歩で数分見れば十分でしょう。近いので、バス停からはさほど苦労なくアクセスすることができます。

松尾鉱山資料館へのアクセス2:車利用見出し

車でアクセスする場合は、先ほどの八幡平アスピーテラインの手前に松尾鉱山資料館があるので、アスピーテラインを目ざして進むとよいということになります。先ほどと同じように、最寄りICは「松尾八幡平」ICです。

ICを降りたら国道45号線を進み、松尾八幡平ビジターセンターを左折して少し進むと到着です。ICからは約10分といったところでしょうか。前述したように、ここからアスピーテラインを進むと松尾鉱山跡へ行くことができます。松尾鉱山跡まではここから車で10分ほどです。

松尾鉱山資料館の見どころ見出し

松尾鉱山資料館では、松尾鉱山の繁栄の歴史が展示されています。鉱山全体の模型や実際に松尾鉱山で採掘された硫黄などがあり、松尾鉱山がどのくらい繁栄してきたのかが一目でわかるようになっています。

さらにパネルや写真、絵画などを多く使うことで、当時の松尾鉱山の状況がビジュアルの面からもわかりやすいように工夫しています。これらを見ると、現在の廃墟からは想像できないほどに繁栄していた当時の様子がよくわかるのではないでしょうか。

松尾鉱山資料館の外にも遺物が見出し

松尾鉱山資料館の見どころは中だけではありません。外にも展示物がいろいろとあります。中でも外に展示されている電気機関車は、実際に当時松尾鉱業鉄道の電車として使われたものであり、記念撮影に人気の場所となっています。

また、松尾鉱山が廃坑になるのに伴い、そこにあった学校は閉校となりました。その学校の記念碑や、松尾鉱山の二代目の社長の追慕碑である「誠実の碑」、事故で犠牲になった人々を弔う碑なども建てられています。

これらの展示物を見ると、現在は廃墟となってしまっている松尾鉱山で、実際に多くの人々が生活していたその暮らしぶりをうかがうことができます。

松尾鉱山資料館は撮影禁止です見出し

ただ、一つ注意してほしいことがあります。それは松尾鉱山資料館の内部は撮影が禁止されているということです。

博物館で写真撮影禁止は珍しいことではないように感じますが、ここの撮影禁止には背景があります。実は先ほど述べたように松尾鉱山跡は入ることが許可されていないにもかかわらず、多くの写真が流布されています。

この写真に八幡平「市」の松尾鉱山資料館の写真が一緒に載ることで、松尾鉱山跡への出入りを岩手県や八幡平市で許可しているように理解し、問題視する意見があるのだそうです。廃墟として人気が出てくればくるほど、こういったトラブルは出てくるものかもしれません。

松尾鉱山周辺観光スポット見出し

特に松尾鉱山に車でアクセスしている方は、アスピーテラインをドライブするのがおすすめです。特に春先は雪の回廊が残り、雄大な自然を楽しむことができます。先ほども述べたように、雪がある時期は閉鎖になったり、通行できる時間が短い場合もありますので、確認をしておきましょう。

また、松尾鉱山資料館の近くにある八幡平ビジターセンターは、八幡平周辺の情報発信施設です。ハイビジョン映像や模型、標本などが多く使われており、パンフレットなどもあるため、これから八幡平周辺を観光しようという方にはおすすめの施設となっています。

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松尾鉱山で硫黄の歴史に思いを見出し

Photo by houroumono

松尾鉱山は東洋一と言われる硫黄の採掘量を誇り、鉱山町が作られ繁栄しました。15000人もの人々がこの地で生活し、日本の経済を支えていたのです。現在は廃墟となっているものの、今も建ち並ぶアパートはその繁栄を今に伝えます。ぜひ、往時の繁栄をしのび、歴史に思いをはせてください。

投稿日: 2018年9月5日最終更新日: 2020年10月8日

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