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小塚原刑場跡地は東京の心霊スポット!有名人が眠る首切り地蔵の場所は?

小塚原刑場跡地は東京の心霊スポット!有名人が眠る首切り地蔵の場所は?
投稿日: 2020年3月15日最終更新日: 2020年10月8日

東京の心霊スポットとして有名な「小塚原刑場跡地」。小塚原刑場跡地は日本の歴史上、有名な人々が眠る場所になり、歴史スポットとしても人気があります。江戸三大刑場として教科書にも載っている心霊スポットで、今でも異様な雰囲気を放っています。

東京の心霊スポット「小塚原刑場跡地」をご紹介見出し

Photo byJordyMeow

東京の心霊スポットとして有名な歴史の名所「小塚原刑場跡地」。小塚原刑場跡地は歴史上有名な人物が眠る場所でもあり、歴史好きな方におすすめのスポットでもあります。小塚原刑場跡地は教科書にも載っている有名な場所なので、多くの歴史ファンが訪れています。今回はそんな東京の心霊スポット「小塚原刑場跡地」につてご紹介します。

江戸三大刑場として有名な「小塚原刑場」見出し

東京の心霊スポットである小塚原刑場跡地は、小塚原刑場として江戸時代には有名な刑場です。江戸時代には大和田刑場、鈴が森刑場とともに三大刑場として有名でした。罪人の多くが裁かれ、歴史に名を残す有名な人物も眠っています。

小塚原刑場で裁かれた数は多く、死体の数も多かったと言われています。ですが、罪人のためしっかり埋葬されず、亡くなった人のにおいが充満し、野犬などの動物がその遺体を食い散らかして、世にも恐ろしい光景が広がっていたと言われています。

その後、死者を祀るために首切り地蔵が建てられ、地獄のような光景はなくなっていきます。ですが、現在でも東京の心霊スポットとして有名な場所になり、江戸時代の残酷な歴史を物語っています。

小塚原刑場の歴史見出し

東京の南千住に位置する心霊スポット「小塚原刑場跡地」。小塚原刑場跡地には長い歴史があり、小塚原刑場では日本の歴史上で欠かせない有名人が処罰された場所でもあります。

今回はそんな小塚原刑場の歴史について詳しくご紹介していきます。小塚原刑場跡地へ初めて訪れる方は、しっかりと歴史を学んでから足を運ぶのがおすすめです。ぜひ参考にしてみてください。

安政の大獄

小塚原刑場で注目すべきは、井伊直弼による「安政の大獄」で処刑された有名な人たちです。井伊直弼らの政策に反対した人々が次々と処罰されていき、その中でも有名なのが明治維新への精神的指導者と伝わる「吉田松陰」です。

処刑そのものは小塚原刑場で行われていませんが、一時的に遺体を安置していたことで知られています。現在では世田谷区若林に松陰神社が建立され、当時の墓石は文化財として保存されています。

桜田門外の変

安政の大獄で反対派の人間を次々と処罰していく井伊直弼ですが、世間からはそんな井伊直弼に対する不満が膨れ上がっていきます。その不満によって起こった事件が1860年「桜田門外の変」で、元水戸藩士によって井伊直弼が暗殺されたました。

桜田門外の変は明治維新へ向けて動き出す重要な事件として知られています。桜田門外の変を起こした「関鉄之介」は、実際の襲撃には不参加でしたが首謀者として捕らえられ、処罰されています。

二・二六事件

小塚原刑場は江戸時代まで使用されていた刑場ですが、1936年、昭和のクーデター「二・二六事件」にも関係しています。二・二六事件の首謀者である「磯部浅一」が埋葬されており、この地で銃殺刑に処されたと言われています。

このように、小塚原刑場は江戸時代だけでなく昭和でも重要な事件を過ごしてきた場所です。磯部浅一の処刑は日本国民の注目を集めた事件でもあり、二・二六事件は教科書にも記載される重要な事件でもあります。

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小塚原刑場での刑罰見出し

Photo byPublicDomainPictures

小塚原刑場で行われていた江戸時代の刑罰は、今の処刑の仕方とは全く違います。現在では裁判は公開されていますが、実際に処刑を受けている人を見ることはできません。ですが、江戸時代は違います。

江戸時代では小塚原刑場で行われている処刑を含め、一般公開される場合が多いです。今回はそんな小塚原刑場ではもちろん、江戸時代で行われていた刑罰について詳しくご紹介していきます。

江戸時代の刑罰は「見せしめ」

小塚原刑場での処刑をはじめ、江戸時代の刑罰は民衆への見せしめとして行われていたと言われています。一般の人にも公開することで、悪いことをしたらこうなると見せしめの意味を込めて行われていました。

罪の重さによっては処刑の後に首をその場でさらす場合もあります。現在では見ることのできない刑罰を、当時は自由に見れたことから当時、刑罰を受けた人の名前がしっかりと記録に残っています。

小塚原刑場での刑罰は6種類あった

Photo by kennejima

小塚原刑場では、罪の重さによって6種類の刑罰を使用していた記録があります。磔や獄門など今となっては禁止されている刑罰も行われており、民衆相手にも実際に行われていた刑罰です。

場所によって刑罰の種類が変わるので、事前に調べておくのがおすすめです。小塚原刑場は明治になって廃止されるまで江戸時代の刑罰が実行されていたことでも知られており、多くの罪深き罪人が集った場所です。

小塚原刑場で処刑された「悪役4人組」見出し

東京の心霊スポットである小塚原刑場は、歴史上で有名な人物を刑罰していたことで知られています。ですが、教科書にも載っていない人物も多く捌かれており、その中でも江戸、明治時代で有名な「悪役4人組」の墓が設置されています。

今回はそんな悪役4人組について詳しくご紹介していきます。悪役4人組は名前の通り、江戸、明治時代に名をはせた極悪人になります。小塚原刑場跡地に墓が設置されているので、合わせて心霊スポットとして知られています。

全員小塚原刑場で処刑

小塚原刑場で処刑された悪役4人組とは、明治初期の稀代の悪婦として知られる「高橋お伝」、江戸時代の侠客で、喧嘩で深手を負った自分の片腕が見苦しいと子分に鋸で切り落とさせた「腕の喜三郎」、江戸時代後期の有名な窃盗犯「鼠小僧次郎吉」、河内山宗俊と共に悪事を働いた「片岡直次郎」です。

悪役4人組は全員小塚原刑場で処刑されています。墓が1列に並べられており、処罰を受けた内容によっては、すべてが悪事というわけではありません。

小塚原刑場で処罰を受けた悪役4人組は、お墓にも特徴があります。それぞれ捌かれた罪状によって作られており、1つ1つお墓に手を合わせることができます。気になる方はぜひ1度足を運んでみてください。

小塚原刑場跡地の「首切り地蔵」見出し

小塚原刑場跡地には、東京でも観光名所として知られる「首切り地蔵」が設置されています。小塚原刑場の歴史に欠かせないお地蔵さんになり、かつての江戸時代の処刑場所として異様な雰囲気があります。

今回はそんな小塚原刑場跡地に位置する首切り地蔵についてご紹介していきます。首切り地蔵に関する歴史はもちろん、場所もお伝えしていくので初めて訪れる方は目を通しておくのがおすすめです。

首切り地蔵は罪人を供養するために作られた

小塚原刑場跡地の首切り地蔵は、1741年に処刑された者の菩提を弔うために作られたと言われています。小塚原刑場で処刑された人は約20万人を超えると言われており、首切り地蔵は27個の花崗岩を組んで組み立てられています。

首切り地蔵の経緯について詳しく紹介されており、穏やかな顔のお地蔵さんを参拝することができます。首切り地蔵が設置されたことによって処刑された死体が放置されるようなことはなくなり、しっかりと供養されるようになりました。

首切り地蔵の場所

小塚原刑場跡地は現在、JR常磐線が通ったことによって首切り地蔵と小塚原刑場跡地がわかれています。真ん中に線路が走っている状況になるので、事前に地図を確認してアクセスするのがおすすめです。

そんな首切り地蔵は、延命院側に位置しています。延命院の敷地内に位置しているので、参拝がてら足を運ぶことができます。人通りも多く、土日、祝日には歴史好きの観光客が多く訪れる場所です。

小塚原刑場跡地はなぜ心霊スポットに?見出し

歴史の教科書に記載されている「小塚原刑場」は現在、東京の心霊スポットとして知られています。処刑所として多くの罪人の命が亡くなり、当時は反対派というだけで尊い命が奪われた歴史もあります。

今回はなぜ、小塚原刑場跡地が東京の心霊スポットになったのか詳しくご紹介していきます。人によっては小塚原刑場跡地の近くを通るだけで気分が悪くなる方も多く、心霊スポットとして信じられています。

小塚原刑場跡地ではさまざまな怪奇現象が起こる

小塚原刑場跡地付近では、さまざまな怪奇現象が起こることで知られています。処刑された人々の幽霊を見ることも多く、夜になるとより一層不気味な雰囲気が漂っています。罪人でも、多くの人の命が奪われたことには変わりありません。

小塚原刑場跡地は東京でもアクセスの良い心霊スポットになり、多くの人々がオカルト目的で訪れています。小塚原刑場跡地は口コミでも怪奇現象の多さがわかり、霊感が強い人はあまり近づきません。

小塚原刑場跡地は医療の出発点見出し

小塚原刑場跡地は心霊スポットとしてのお墓だけではありません。実は小塚原刑場は刑場としての役目はもちろん、医療の発展にとても貢献した場所でもあります。小塚原刑場によって医学を大きく進歩させたといっても過言ではありません。

今回はそんな医療の出発点として知られる小塚原刑場についてご紹介していきます。歴史上欠かせない場所として知られており、お墓の近くには解体新書に関するスポットもあります。

医学を大きく進歩させた「解体新書」

小塚原刑場には歴史の教科書にも記載されている前野良沢、杉田玄白の「解体新書」が関係しています。ドイツ人のクルムスと呼ばれる医師が「ターヘル・アナトミア」を公開し、それを読んだ前野良沢、杉田玄白が小塚原刑場を訪れています。

前野良沢、杉田玄白らは、ドイツ語で書かれているターヘル・アナトミアを日本語で翻訳するために小塚原刑場に訪れたと言われています。解体新書は当時の医学会を大きく進歩させる重要な記載が多くありました。

処刑された人の死体を使って腑分け

ターヘル・アナトミアが公開された当時、日本では人体の解剖は禁止されていました。ですが、小塚原刑場で処刑された罪人の死体であれば、解剖できると「虎松の祖父」と呼ばれる解剖士が解剖にあたっています。

通常は見られなかった肺、心臓、胃を解剖していき、前野良沢、杉田玄白の2人に説明していったと言われています。現在使われる神経や動脈もこの時の解剖で発見されており、小塚原刑場は解剖の場として有名な場所でもあります。

虎松の祖父によって解剖された死体を見た前野良沢、杉田玄白は、ターヘル・アナトミアをどんどん和訳していきます。当時はドイツ語かもわからなかった文字を、実際に解剖を見ることによって把握していきます。

小塚原刑場跡地には記念碑も

罪人の遺体を解剖した処刑所として、小塚原刑場跡地には解体新書の記念碑が設置されています。この記念碑は1922年に設置され、記念碑には解体新書となった解説も記載されているので間近まで行って見学するのがおすすめです。

この観臓記念碑は解体新書の表紙にもなっており、教科書で1度は見たことのあるデザインとなっています。人の細胞や臓器が事細かくわかったことによって医学は進歩し、当時は治らなかった病気への薬も作り出されていきます。

小塚原刑場跡地へのアクセス方法見出し

Photo by t-miki

東京の心霊スポットである小塚原刑場跡地は、南千住に位置しています。最寄り駅は「南千住駅」となり、JR常磐線、東京メトロの日比谷線、つくばエクスプレスとどの線路からもアクセスすることができます。

南千住駅から小塚原刑場跡地へは徒歩5分以内でアクセスできます。首切り地蔵は日比谷線から見える位置になっているので、初めての方でも迷わずアクセスすることができます。不安な方は、事前に地図上で確認しておきましょう。

住所 東京都荒川区南千住5-33-13
電話番号 03-3801-6962

心霊スポット「小塚原刑場跡地」へ足を運んでみよう見出し

Photo byJordyMeow

東京で有名な心霊スポット「小塚原刑場跡地」。小塚原刑場は江戸時代、明治時代と歴史に欠かせない場所として知られており、今でも歴史好きな方が訪れる観光スポットです。多くの罪人の命が奪われたこの地は、医療の発達として欠かせない役目も果たしています。ぜひ、東京の心霊スポットを探している方は小塚原刑場跡地へ足を運んでみてください。

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投稿日: 2020年3月15日最終更新日: 2020年10月8日

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