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足尾銅山を観光!日本一の鉱都!トロッコで400年前にタイムスリップ!

足尾銅山を観光!日本一の鉱都!トロッコで400年前にタイムスリップ!
投稿日: 2017年5月19日最終更新日: 2020年10月7日

足尾町は江戸時代の昔から銅山の採掘場として栄えた、鉱都の観光地です。足尾銅山でかつて働いた鉱夫や、足尾銅山の歴史に触れる事のできる、豊かな現代に生きてるからこそ、観ておきたいおすすめの観光スポットです。そんな足尾銅山のおすすめの観光スポットをまとめました。

足尾銅山で楽しく学び観光しよう!見出し

皆さんは、足尾銅山の事を知っていますか? 日本国内には数多くの鉱山跡地があり、その中でも足尾銅山はかつて日本一の産出量を誇っていました。今回は、そんな足尾銅山についてご紹介します! 足尾銅山を詳しく知り、是非楽しく観光する参考にしてください。

足尾銅山は魅力的な観光地見出し

足尾銅山跡観光地の周辺には、今でも当時を偲ばせる施設や坑道が、そのままの姿を留めている所が多数存在します。また足尾市内、足尾銅山跡観光地の近くには、足尾銅山歴史館等があり、より深く銅山に関して知る事が出来る様になっています。

銅山内部にて実際に銅坑内を見学したり、足尾歴史館で実際に当時活動時の銅鉱脈の図面等で説明を受け、銅鉱脈に沿って縦横無尽に彫られた坑道や、時代の流れと共に変化した採掘方法等、中世から近代に至るまでの、長い400年の歴史を楽しく学べる様になっています。

足尾銅山は、現在も日本中に存在する鉱山跡地と並んで、国指定の史跡となっていますが、そんな場所だからこそ感じられる、今の社会にも伝わる歴史の光と闇、そして問題点を、垣間見る事が出来る貴重な観光地です。

足尾銅山は足尾町全域が観光地見出し

一般的に、銅山のあるところには、銅山からの銅鉱石の採掘場と共に、銅鉱夫の宿場、そして採掘した銅鉱石を精製する工場等、それらが合わさり渓谷全体が一大工場地帯となります。あたりの風景を見ているだけでも、ここが銅山跡地である事を伺わせるものが沢山目に飛び込んできます。

足尾町内を探索すると、当時を思わせる外観の建物や、昔懐かしい町並みが目に飛び込んできます。足尾町のはずれには、古河コーポの向かいに、事業所掛水クラブがあり、古びた重厚なレンガ造りの建物や洋館を観る事が出来ます。銅山で栄えた古河グループによる、当時の足尾の姿を偲ぶ事が出来ます。

足尾銅山跡の観光敷地内には、誰でも楽しく観光し、また足尾銅山跡の歴史の足跡を気軽に学ぶ事が出来る様な施設が、沢山設けられています。昔は一般の人が入る事が出来なかった坑道内部も、今では観光用に観やすくライティングされ、当時の雰囲気を目と肌で感じる事が出来る様になっています。

足尾町は史跡の宝庫

また、少し渓谷を北上すると、足尾町間藤には水力発電所跡があります。当時の足尾全体がどれだけ大規模な施設があったのかを偲ばせる、渓谷内にいきなり現れる巨大な発電所跡。このあたりまで足を伸ばすと、周囲の景観も含めて更に足尾銅山全体の歴史観にも触れられ、更に楽しい観光になる事請合いです。

足尾銅山が支えた近代化の功罪見出し

足尾銅山の存在意義とその技術が飛躍的に発展したのは、明治時代の1877年に、古河市兵衛による所謂古河グループの発祥となりました。この足尾銅山の発掘開発技術が、その後の水力発電や爆破・送電技術へと発達していきました。

江戸時代には銅を産出しても、近代程まだその需要は多くはありませんでしたが、近代に入ってくると、その需要は爆発的に増えてきます。当時の日本の重要な輸出品に銅があった事からも、国の政策的にもこの足尾銅山が如何に重要だったかが伺えます。

近代化した明治時代以降、手掘りだった鉱山に鉄道が引かれ、トロッコが坑道内に通されて、その輸送手段も飛躍的に進化しました。今では足尾町内の道路等に線路跡が良く見受けられますが、当時足尾町内の道路には縦横に線路が引かれ、あちこちにトロッコ等が走っていた事でしょう。

足尾銅山は当時東洋一の銅鉱見出し

足尾銅山の歴史は古く、初めて銅山として切り出されのは中世で、以降江戸時代には産出量として日本一の銅山となっていました。その後明治時代になり更に新たな銅鉱脈が発見され、更には産業革命による新たな技術の導入等で、最盛期には産出量では東洋一の銅山でした。

東京の都心部から渡良瀬川沿いに大小様々な工場や施設が立ち並び、それらを眺めつつ北上して、足尾銅山へと辿り着きますが、単純にその排出量は中世期でさえ1200トンを越え、これは当時の産出量でも世界的な水準で、更に明治に入ると、日本全土の銅産出量の40%以上を足尾銅山が占め、文字通り日本一の銅産出量を誇っていました。

加えて、明治時期に東洋で最も近代化が進んでいた日本で導入された様々な技術、トロッコや鉄道等の輸送手段と共に精製技術が発達し、爆発的に精銅の生産量が増加する事になります。ですが、これが後に新たな環境問題を引き起こす切っ掛けになっていきます。

足尾銅山観光へのアクセス見出し

都内から足尾銅山へ行くには、JRを利用する行き方と、東武を利用する2つの方法があります。両毛線で桐生まで行き、そこからわたらせ渓谷線に乗り換え、通洞駅下車の方法と、東武線にて相老から乗り換える方法もあります。後者は特急が使えるので、利便性ではこちらの方が快適か?

わたらせ渓谷線の通洞駅を降りたら、足尾銅山跡観光等の看板やチラシが目に飛び込んできます。ここは銅山の拠点だった場所なので、かつては銅鉱夫達を乗せて降り立ち、または採掘された銅鉱石を発出していた銅山の基地駅でした。

通洞駅を出たら、突き当たりの通りを右に行き、しばらく道なりに下ったら、足尾銅山跡観光へは、銅山観光入り口交差点を左へ行きましょう。この交差点を直進すると、足尾銅山の歴史を知る事のできる足尾歴史館に行く道になりますが、足尾銅山跡観光には行けません。

橋の下に掲げられている、ようこその文字看板が、ここが観光地である事を物語ってくれます。その横にある生きている歴史博物館と言うキャッチフレーズも、なにやら重みのある言葉ですね。車で訪れる方は駐車料金は無料です。入園料は大人820円です。

足尾銅山観光とわたらせ渓谷線見出し

足尾銅山跡観光地まで、マイカーで来た観光客以外はみなさん乗って来たのが、わたらせ渓谷線です。元は国鉄足尾線で、足尾銅山で切り出される銅鉱石の輸送の為敷設された路線です。その後再度民営化され、現在ではまた第三セクターとして、現役で銅鉱石を運び出す代わりに、観光客を足尾銅山へ運んでいるのです。

最初にこの地に線路が引かれたのは、明治になって日本に鉄道が入って来た後、若干遅れること明治の末期。その後大正時代になって本格的に稼動し、客車数両と貨車数十両で運営が始まりました。そもそもが鉱石の輸送に基軸を置かれた路線だったわけです。

鉱石輸送の為に厳しい山間に敷かれた路線も、今では風向明媚な車窓を楽しめる観光路線として、その銅山路線の跡地を、観光用のトロッコわたらせ渓谷号や、紅葉のシーズン等に運行されるトロッコわっしー号等が運行されて、今では渓谷の自然を堪能出来る様な観光路線になっています。

足尾銅山観光の歴史と背景見出し

園内に入って目に付く施設の一つに、大きな寛永通宝を象ったモニュメントが飾られてる場所があります。これは、銅によって鋳造された昔の貨幣ですが、実はそこにはこの足尾銅山の歴史とも深く関わりがある背景があるのです。この施設に立ち寄った際には、是非とも目を留めて見ましょう。

江戸時代になるまで日本では実際にお金を作っていませんでした。それ以前に日本で流通していた貨幣は、全て中国大陸等から輸入していた銅銭を使っていたのです。そんな中、中世も後半の時代、徳川家康が登場した時に、日本で初めて貨幣を鋳造する事を行ったのです。

時は室町関が原

その際に、日本国内で流通してた銭に加え、幕府直轄で鋳造された金や銀の小判に加えて、最も庶民の間で使われる銅銭の銭に用いられる銅は、この足尾銅山の開山の歴史とも深く関わっているのです。元々足尾銅山が川沿いに江戸へも近く、その事が更に重要になっていました。

そして、江戸時代に幕府の直轄管理により、採掘が続けられた足尾銅山でしたが、次第に鉱脈が枯渇すると、その役割も次第に薄れていってしまい、銅鉱石の需要が減るのと合わせ、足尾銅山は事実上明治の時代になり古河市兵衛の登場を待つまで、閉山の危機に見舞われていました。

足尾銅山と鉱毒事件見出し

足尾銅山の当時を面影を知る事のできる大部分は、現在も一般には立ち入り禁止区域が多いのですが、渓谷沿いや道路沿いの車窓からは、広範囲に当時の施設跡の廃墟群を観ることが出来ます。そんな荒廃した風景を観ていると、輝かしい発展の裏にある社会的な問題点も同時に見て取れます。

特に深刻だったのが、当時精錬時の排煙や、二酸化硫黄等の鉱毒ガス、また精錬時の排水等に含まれる鉱毒素が周辺の環境に重大な影響を及ぼしました。この事が後に日本で始めての公害訴訟となった事でも有名な足尾鉱毒事件に繋がっていきます。

足尾銅山観光と公害見出し

足尾銅山観光に際し、その歴史背景と存在意義を知る上で、必ず避けて通れないのが、足尾銅山における公害問題です。一見かなりヘビーなテーマだなと思い勝ちですが、先人達が命がけで残した現在も生きる負の遺産でもあるので、忘れずに覚えておきましょう。

足尾銅山観光と田中正造見出し

現在の日本の公害問題の起源と言っても過言ではないのが、足尾銅山鉱毒事件です。一般的に銅山における銅精製には昔から常に発生してきたのが公害問題で、それは足尾町周囲でも例外ではありませんでした。そんな折に登場て来たのが、田中正造と言う人物です。

日本の環境問題における公害訴訟の元祖とも言われている田中正造氏は、当時から足尾銅山周辺の公害問題を地元の農民達と話し合い、常にリーダー的な役割をこなしていました。そして彼は国会議員としても、国会で足尾銅山の公害問題を取り上げ、世間への問題提起を行った人物です。

こうした取り組みから、ある程度の前進はあったものの、現在までも足尾銅山周辺では、当時の公害汚染の傷跡が山肌等に生々しく残り、未だにこうした問題が風化していない事を物語っています。足尾銅山は輝かしい近代化の歩みと、その功罪の両輪を兼ね備えた観光地なのです。

足尾銅山観光で知る今への教訓見出し

銅山施設内には沢山の人形が置かれ、その時代その時代で活躍してきた末端の人々の作業風景が生き生きとした姿で飾られています。時代を遡るに連れて技術も道具も簡素になっていっても、掘り出す物とその工程は変わりなく続いていました。

普段あまり感じる事も無い様な、日々当たり前に過ぎ去る去ってしまう中やその裏は、どれだけの人々の苦労の積み重ねで出来上がっているのか。足尾銅山観光は、日光等の帰りにちょっと立ち寄るだけでも、忘れがたい思い出になる様な、そんな何かを得られる魔法の空間かも知れません。

消えた松木村、日本のグランドキャニオン見出し

鉱毒による被害の拡大は、その過程の中でいくつもの村を消して行き、現在では旧村跡地は、無人の砂防ダムとその周辺には、鉱毒により汚染された禿山の景観が広がっています。鉱毒により削られた岩肌や周辺の木々の景観から、このあたりは日本のグランドキャニオンとも言われています。

足尾銅山名物の観光トロッコ見出し

足尾銅山跡観光地にやってくると、いかにも観光地である事を象徴するかの様な看板が出迎えてくれます。そんな施設内に入ると、看板にも描かれていた坑道を走る観光トロッコが見えてきます。

入園入り口付近にある乗り場から乗り込む観光トロッコは、主に三両編成で運行されています。簡易的な椅子を儲けられたオープン式の乗降口から乗れるトロッコ客車になっていて、15分間隔で走行しています。

トロッコの路線は観光用の鉱山の坑道内まで軌道が伸びていて、自走式による坑道内を走っていた気動車に牽引され、園内を進んで行きます。途中で気動車は外され、自走客車のみになり、トロッコはそのまま坑道内へと入ってきます。

観光トロッコで坑道内へタイムスリップ見出し

坑道に入る入り口には、当時から使われていたであろう風化の跡と共に、重厚な構えのトンネル口があり、心地よい緊張感を訪れた者に与えてくれます。そのまま進入する際に、トンネル奥から吹いてくるなんとも言えない空気と匂いが、まるでタイムトンネルに入ったかの様な気分にさせてくれます。

施設内には様々な人形が展示され、各時代ごとの坑道内の様子等が視覚的に分かりやすい様になっています。そうした事から、単純なレジャー施設でもあると共に、子供達に歴史を学ばせる社会見学一環として、現在でも沢山の来訪者が耐えません。

観光トロッコで感じる足尾銅山見出し

坑道内の観光出来る施設としては、日本で最も大きな規模を持つ足尾銅山跡観光地では、700m程の距離まで進む事が出来ます。レジャー施設や遊園地のアトラクション感覚で、カラフルなトロッコに揺られ車窓を眺めて楽しんでいると、心の準備は良いですか? とばかりにトロッコはトンネル内に入っていきます。

通洞抗からトンネルの中に入ると、季節が止まり視界が一定になり、感覚とあたりの空気が一変します。ジメジメとした洞窟内の湿度に変わり、天気に関係なく上から時折滴り落ちる水滴が頭の上に垂れてきそうになります。駅から先は、現在から時間の止まった銅山の中へとタイムスリップです。

観光トロッコで坑道内を進んだ後、乗降場で降りて徒歩で暫く歩くと、坑道内に観光用の展示物や、当時使用していた機械等が、当時のままに展示されています。足尾銅山坑道内で採掘された銅鉱石等のサンプルや、内部での作業の様子が分かりやすく観ることできます。

当時のトロッコは、観光客を乗せて優雅に走る様なものではなく、客車のトロッコが来た今の線路を、当時は鉱石を満載した貨物を何両も牽引し、そこにまた纏わる沢山の働く人々の労力も、同時にあったのだと言う事を実感させられます。

足尾銅山観光はどうでしたか?見出し

今回は足尾銅山の魅力に関して、ほんの一部のみをご紹介しましたが、足尾銅山周辺にはまだまだ奥の深い魅力溢れる観光スポットが沢山あります。普通の観光地には無い、深みのある味わいを楽しんで下さい。

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投稿日: 2017年5月19日最終更新日: 2020年10月7日

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