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京都で刀剣乱舞の聖地巡礼!ゆかりの寺院・神社や御朱印についても紹介!

京都で刀剣乱舞の聖地巡礼!ゆかりの寺院・神社や御朱印についても紹介!
投稿日: 2019年6月15日最終更新日: 2020年10月8日

京都は歴史の宝庫で、近年「刀剣乱舞」が人気になるにしたがい、その刀剣にちなんだ聖地を巡礼するファンも増えてきました。そこで京都の寺社で「刀剣乱舞」にゆかりの場所について、歴史やそのゆかりの理由、御朱印などについて紹介します。

京都にある刀剣乱舞にゆかりのスポットを旅しよう!見出し

Photo by Miller [Miscellaneous]

「刀剣乱舞」をご存知でしょうか。日本刀の名刀が「付喪神」となった刀剣男子を収集、強化していくということで、アニメやゲームのファンだけではなく、日本史が好きな方にも根強いファンがいます。どうせなら刀剣乱舞に関する聖地に行ってみたいという方のために、京都にある聖地を紹介します。

とうらぶの人気聖地をまとめ

Photo by chen728

「刀剣乱舞」(とうらぶ)は日本刀の「付喪神」ですから、実在する、もしくは実在したとされる実際の刀剣がモチーフとして使われます。そのためその日本刀にちなんだ場所がいわゆる「聖地」となることは十分に考えられます。

また、京都は歴史の表舞台に出ることが多い土地であり、それだけに日本刀にちなんだ聖地となる場所も多いということになります。これらの刀剣乱舞の聖地には多くのファンが訪れ、人気の観光スポットとなっているのです。

刀剣乱舞とは?

Photo by Miller [Miscellaneous]

「刀剣乱舞」はもともとPC版ブラウザゲームとして始まりました。ゲームファンはもちろん、歴史ファンなどにも人気となり、その後ミュージカルや舞台、アニメや実写映画などへと展開され、現在に至ります。

日本刀の名刀が「刀剣男子」となり、それを集めて敵との戦闘で勝利を目ざすという「刀剣乱舞」は、2016年にはアプリのダウンロード数が150万を超えるなど、大人気となりました。それに伴って刀剣乱舞だけではなく、刀剣そのもののファンが増加し、所蔵されている博物館やゆかりの寺社などに訪問する人なども増えています。

実際、「刀剣乱舞」の人気のおかげで不明だった刀剣が再発見されたり、復元計画が動きだしたり、または刀剣の修復なども行われるようになってきており、刀剣そのものにとってもメリットが見られるようになってきています。

1:刀剣乱舞の京都聖地巡礼スポット【栗田神社】見出し

Photo by ketou-daisuki

京都の「刀剣乱舞」の聖地として最初に紹介するのは「粟田神社」です。京都市東山区の、京の七口の一つである「粟田口」に鎮座していることから、古くから旅立ちや守護の神として尊崇されてきました。

また、京都の粟田神社境内には鍛冶神社があり、製鉄の神である天目一箇神、そして刀工三条小鍛冶宗近と粟田口藤四郎吉光を祀っています。このあたりには古くから刀工が多く住み、多くの名工がこの地からあらわれたのです。室町期の「粟田口」という狂言の題材にもなりました。

三日月宗近と一期一振のゆかりの聖地

Photo by f999999_key

京都の粟田神社に祀られる三条小鍛冶宗近は、10世紀末頃の刀工と伝えられています。京の三条にいたことからこの名前がつけられました。現存する刀は多くはないのですが、徳川将軍家伝来の国宝で「天下五剣」の一つに数えられる三日月宗近はこの人の作と言われます。

また、粟田口藤四郎吉光は鎌倉時代中期の正宗と並ぶ名工と言われる人物です。現存しているものの多くは短刀ですが、その中にあって一振しかつくらなかったという太刀が一期一振です。朝倉氏から毛利氏、豊臣氏、徳川氏と伝わり、孝明天皇に献上されました。現在は皇室の「御由緒物」となっています。

授与される御朱印

Photo by mossygajud

京都の粟田神社では、粟田神社と鍛冶神社の御朱印をいただくことができます。このうち、「刀剣乱舞」ファンの方におすすめしたいのが鍛冶神社の御朱印です。「鍛冶神社」の御朱印と、刀と祀られている天目一箇神、三条小鍛冶宗近、粟田口藤四郎吉光の名前、洛東粟田口の文字が入った御朱印が捺されます。

粟田神社のほうは「粟田神社」などの御朱印と「京粟田口」の揮毫が入ります。刀剣乱舞ファンだけでなく、御朱印集めをする方にもおすすめなので、参拝するとよいでしょう。御朱印をいただけるのは8時30分から17時までとなります。

粟田神社は刀剣乱舞の聖地として人気!御朱印・お守りやアクセスなども紹介 | 旅行ガイドTravelNote[トラベルノート]のイメージ
粟田神社は刀剣乱舞の聖地として人気!御朱印・お守りやアクセスなども紹介 | 旅行ガイドTravelNote[トラベルノート]
京都・粟田神社は、住宅地の高台に鎮座している神社です。静かに佇んでいた神社ですが、近年では、刀剣乱舞と言うゲームの影響もあり、たくさんの参拝者が訪れています。そこで、粟田神社の御朱印やお守り、アクセス方法、刀剣乱舞とのコラボイベントなどご紹介!

2:刀剣乱舞の京都聖地巡礼スポット【藤森神社】見出し

Photo by Haya_BS

次に紹介する「藤森神社」は京都市伏見区にあります。近年京都の紫陽花の名所としても知られるようになりましたが、菖蒲の節句の発祥の祭りとされる「藤森祭」(深草祭)が行われる神社としても知られています。

また、駈馬の神事や菖蒲が勝負に通ずること、また周辺が昔軍用地であったことなどから、馬と武運の神様として知られており、特に競馬ファンにとってはおすすめの神社となっています。また学問や受験に「勝つ」ということで、京都周辺の受験生にも人気です。

「鶴丸国永」ゆかりの聖地

Photo by mstkeast

京都の藤森神社にゆかりのある刀剣は「鶴丸国永」です。これは平安時代の刀工、国永の手になるもので、国永は先ほど出てきた三条宗近の弟子だったと言われます。国永の刀は現在4口しかないのですが、その中で最も優れたものだと言われているのがこの鶴丸です。

鶴丸の伝来についてはいくつかの説があるのですが、京都の藤森神社に所蔵されていた時期がありました。1703年、鶴丸は本阿弥家に持ち込まれ、そこから伊達家へと譲られることになります。鶴丸は江戸時代を仙台藩主伊達家所蔵として伝わり、明治天皇に献上されました。現在は皇室の御物となっています。

なお、京都の藤森神社には鶴丸の写しがあり、2019年7月より宝物館での展示が行われます。2019年8月までは「三日月宗近」の写しとの同時展示が行われるそうなので、刀剣乱舞ファンの方にはぜひ見に行くことをおすすめします。

授与される御朱印

Photo by ume-y

京都の藤森神社の御朱印は紫陽花祭り限定のものなどもありますが、「刀剣乱舞」ファンの方には通常の御朱印がおすすめです。中央に「鶴丸国永」の御朱印が捺されるためです。また、鶴丸国永の御朱印もあり、こちらは中央に「藤森神社」の御朱印、その上に「鶴丸国永」と揮毫されます。刀剣乱舞ファンにはこちらもよいでしょう。

また、刀剣乱舞ファンの方に人気なのがオリジナル御朱印帳です。通常の御朱印帳が3種類あり、そのうち白と紺の地のものには鶴丸国永がデザインされています。さらに鶴丸国永の写しが奉納されたことを記念した特別御朱印帳もあります。

この御朱印帳には鶴丸国永の巾木の鶴紋の御朱印が捺された御朱印があるほか、本身の押し型と刀をデザインしたしおりがついています。限定のもので人気が高いので、確実に授与していただけるとは限りませんが、ファンの方は問い合わせてみることをおすすめします。

3:刀剣乱舞の京都聖地巡礼スポット【豊国神社】見出し

Photo by e_s_jp

京都市東山区にある「豊国神社」ですが、名前でわかるように、豊臣秀吉を祀る神社として知られています。1598年に亡くなった秀吉は、1599年、朝廷から「豊国乃大明神」という神号をいただき、この地に遷宮したことに始まります。
 

ところが1615年に豊臣家が滅亡すると、徳川家康の意向でいったん神社自体も廃絶されます。再興されたのは1868年、明治天皇が大阪に行幸した時であり、1875年、現在の地に社殿が建立され、現在に至っています。

豊臣秀吉というと、ご存知の通り、農民からついには天下人にまでのぼりつめた人物として知られます。そのためこの出世にあやかりたいということで、歴史ファンはもちろん、サラリーマンなど出世を望む方にもおすすめの神社です。

「骨喰藤四郎」ゆかりの聖地

Photo by Dakiny

京都の豊国神社に所蔵されている粟田口吉光作と伝えられる無銘の短刀が「骨喰藤四郎」です。重要文化財に指定されています。しかしここまでの過程には多くの説があり、しかももともとは薙刀だったとも言われているのです。

もともとは薙刀だった、もしくは太刀だったかもしれない「骨喰」は1587年、豊臣秀吉の島津征伐の際に当時の大友宗麟の嗣子義統から秀吉に召し上げられます。この段階で薙刀は大脇差にすりあげられていたそうです。その後、大坂の陣を経て徳川家に伝わります。1657年、江戸城の火災の際に焼け身になり、お抱え鍛冶の手で短刀に焼き直しされました。

明治になり、豊国神社が京都のこの地に再建されることになると、骨喰は徳川家から明治天皇に寄附され、大正末に豊国神社のものとなりました。そして重要文化財に指定され、今に至ります。

授与される御朱印

Photo by moollyem

京都の「豊国神社」の御朱印は、通常の御朱印のほか限定御朱印があります。限定御朱印は毎年豊臣秀吉の命日である9月18日のみ授与されるもので、後陽成天皇御宸筆による「豊国大明神」が揮毫されたものです。「出世開運 豊国神社」と、豊臣家の家紋が御朱印で捺されています。

むしろ刀剣乱舞ファンの方におすすめなのは、オリジナル御朱印帳です。この御朱印帳には「骨喰藤四郎」がデザインされているので、刀剣乱舞ファンには人気となっています。刀剣乱舞ファンの方は、授与されているかどうかを確認して参拝に行くことをおすすめします。

京都・豊国神社の見どころ多数!御朱印やお守り・アクセス方法も紹介! | 旅行ガイドTravelNote[トラベルノート]のイメージ
京都・豊国神社の見どころ多数!御朱印やお守り・アクセス方法も紹介! | 旅行ガイドTravelNote[トラベルノート]
戦国武将として良く知られている「豊臣秀吉」を祀っている神社が京都の「豊国神社」です。秀吉ならではのお守りや御朱印もあり、人気があります。京都の「豊国神社」の見どころを、アクセスや宝物館への料金などの観光情報と合わせて紹介します。

4:刀剣乱舞の京都聖地巡礼スポット【建勲神社】見出し

Photo by Kyoto-Picture

京都市北区、船岡山の中腹にある「建勲神社」は、1869年に創建された、新しい神社です。もともとは東京と山形県天童市に建てられたのですが、1880年に京都の現在の地に遷座しました。

御祭神は織田信長で天下統一をすすめた功績によって創建されたのですが、もともと船岡山は平安京の四神相応の玄武の位置とされ、豊臣秀吉によって信長の廟所に定められたところでした。そこに信長を祀る神社が建てられたということになります。

「宗三左文字」や「薬研藤四郎」ゆかりの聖地

Photo by casek

「建勲神社」には重要文化財に指定されている「宗三左文字」(義元左文字)が所蔵されています。もともとは三好氏から武田氏を経て、今川義元にわたりました。そして桶狭間の戦いで織田信長のものとなったのです。そして建勲神社が創建された際に神社に寄進されました。

また、「薬研藤四郎」は粟田口吉光によってつくられた刀ですが、確かな消息は不明で現存もしていません。しかし、織田信長が所蔵したことは確かとされます。現在この刀の絵図から作られた写しが建勲神社に奉納されています。

授与される御朱印

Photo by r-lab

京都の建勲神社の御朱印は種類が多く、また織田信長にゆかりの神社であることから「天下布武」や「敦盛」の見開き御朱印などもあり、刀剣乱舞ファン、歴史ファンに人気です。その中で刀剣乱舞ファンにおすすめなのは宗三左文字と薬研藤四郎の特別御朱印です。

この御朱印は「建勲神社」の御朱印の上にそれぞれの刀の名前が揮毫され、さらに刀の切先と茎の部分が載せられています。またオリジナル御朱印帳も、それぞれの刀をモチーフにしたものがあり、特に黒地のタイプは数量限定となっています。

5:刀剣乱舞の京都聖地巡礼スポット【北野天満宮】見出し

Photo by INABA Tomoaki

今さら説明するまでもない、菅原道真ゆかりの「北野天満宮」は京都市上京区にあります。菅原道真が太宰府に左遷され、その地で亡くなった後、都では多くの災厄が起こりました。その怨霊を鎮めるために作られた神社ですが、この怨霊という性格は江戸時代には薄れたそうです。

現在では学問の神様として、京都はもちろん全国の受験生には人気の神社であり、多くの参拝客が訪れます。また道真が詠んだ和歌でも知られるように梅が有名で、ちょうど受験の時期とも重なることからさらに多くの参拝客が訪れています。

髭切ゆかりのの聖地

Photo by Richard, enjoy my life!

このように、梅と学問の神様として知られる京都の北野天満宮ですが、有名な刀を所蔵している神社としても知られます。その中で重要文化財に指定されているものの一つ「安綱銘鬼切」こそが「刀剣乱舞」の「髭切」なのです。

「髭切」で有名なのは渡辺綱の鬼退治です。京都の一条戻り橋の上で鬼の腕を切り落とした刀がこの刀で、それで「鬼切」と呼ばれるようになったと言われます。もともとは伯耆国の安綱が鍛え、坂上田村麻呂に奉じましたが、その後新田氏、斯波氏、そして子孫の最上氏へと伝来しました。

その後、鬼切が売りに出された際に有志によって買い戻され、京都の北野天満宮に奉納され、現在に至ります。なお、先ほどこの刀は安綱銘と述べましたが、伝来の過程で銘が国綱に改ざんされています。刀剣乱舞ファンにも人気です。

授与される御朱印

Photo by Kentaro Ohno

京都の北野天満宮の御朱印は通常のものと、初夏の青もみじの時期など、特定の時期のみ授与される限定のものとが知られています。といっても通常のものが複数種類あるので、一度にいただけるのは5種類となります。こちらは初穂料が300円のタイプとなります。

しかし、京都の北野天満宮の御朱印には初穂料1000円のタイプもあります。実はこちらが刀剣乱舞に関係するモチーフの御朱印なのです。これは「髭切」のほか恒次や国広と言った、北野天満宮所蔵の重要文化財指定の刀剣が揃っており、御朱印とそれぞれの押し型の印刷されたものがセットになっています。

さらに時期によってはクリアファイルや金文字のフェルトがついたもの、さらには木製の御朱印帳ケースと御朱印帳など、鬚切の限定品が多く出ており、人気となっています。刀剣乱舞ファンの方にはぜひおすすめしたいところです。

6:刀剣乱舞の京都聖地巡礼スポット【伏見稲荷大社】見出し

Photo by Kentaro Ohno

こちらも京都の観光スポットとして大人気、京都市伏見区にある「伏見稲荷大社」も「刀剣乱舞」の聖地の一つとされています。全国約3万社の稲荷神社の総本社であり、初詣の際には京都はもちろん、近畿地方で最多の参拝者が来るという、誰もが知っている神社です。

もともと伏見稲荷大社は、背後にある稲荷山全体が神域であり、最初は山頂にありました。そして江戸時代になると商売繁盛の神様として信仰を集めるようになります。この時願いがかなったお礼に赤い鳥居を奉納するようになり、現在の千本鳥居につながります。

小狐丸ゆかりの聖地

Photo by Инариский

京都の伏見稲荷大社は刀剣乱舞の「小狐丸」に関係します。小狐丸は平安時代、三条宗近によってつくられたとされる刀で、現在の所在はわかりません。しかし後一条天皇から守り刀を作るよう命ぜられた時、稲荷明神が化けて一緒に作ったと言われています。

この「稲荷明神」というところから、稲荷明神といえば伏見稲荷大社ということで、伏見稲荷大社が小狐丸ゆかりの聖地とされます。さらに稲荷山の中の長者社の御神蹟には御剣社があり、ここで小狐丸を作ったとも言われるのです。刀剣乱舞ファンにはおすすめの京都の聖地です。

授与される御朱印

Photo by Kentaro Ohno

京都の伏見稲荷大社でも3種類の御朱印をいただくことができます。ただ伏見稲荷大社の場合、気をつけなければならないのは、本殿のところではそのうちの1つしかもらえないということです。他の2つはその場所に行かなければなりません。その場所は山の中なのです。

京都の伏見稲荷大社では、「伏見稲荷大社」のものと「奥院」「稲荷山」の3つの御朱印があります。このうちの後者2つは場所が稲荷山の中にあるため、山登りをすることが必要になります。こちらに行かれる方は歩きやすい靴をおすすめします。全部を回ると2時間程度かかります。刀剣乱舞の聖地巡礼の時間を考えて回りましょう。

7:刀剣乱舞の京都聖地巡礼スポット【壬生寺】見出し

Photo by Kentaro Ohno

「刀剣乱舞」のファンはもちろん、刀剣乱舞以上に新選組のファンにとっては聖地とも言うべき場所が京都市中京区にある壬生寺です。もともとは園城寺の僧侶が自分の母のために991年に設立した寺で、京都には珍しい律宗の寺でもあります。

幕末、新選組の本拠が京都壬生の八木家に置かれ、壬生寺は兵法調練所として使われました。そのため、京都の壬生寺には近藤勇の銅像や新選組隊士の墓などがあり、新選組ファンの方には人気が高いおすすめ観光スポットとなっています。

和泉守兼定ゆかりの聖地

Photo by Kentaro Ohno

京都の壬生寺は刀剣乱舞の「和泉守兼定」ゆかりの聖地として知られています。和泉守兼定というのは日本刀の銘であるとともにこの刀を作った刀工の名前でもあります。兼定という名前の刀工は複数いるのですが、壬生寺に関係ある和泉守兼定は会津兼定といわれます。

この和泉守兼定と新選組の関係ですが、新選組副長土方歳三の愛刀だったのです。この兼定は会津藩主松平容保から下賜されたものであり、歳三は同じ和泉守兼定の脇差も所持していたと言われます。

箱館戦争で歳三は命を落としましたが、遺髪や写真、手紙などが日野にいる義兄に送られました。その際にこの刀も送られたと言われます。保存のための修理をされた後、歳三の実家に送られ、現在は土方歳三資料館に所蔵されています。刀剣乱舞が好きな方はこちらもおすすめです。

授与される御朱印

Photo by Kentaro Ohno

京都の壬生寺の御朱印は通常は3種類なのですが、1年に10日間だけ開かれる「壬生狂言」が開催される際には限定の御朱印を授与していただけます。この壬生狂言は毎年2月の節分、4月、10月に開催されますが、700年の歴史を持ち、重要無形民俗文化財に指定されています。

「刀剣乱舞」ファンにとってむしろおすすめしたいのは、オリジナル御朱印帳です。壬生寺では複数の御朱印帳がありますが、その中に水色の地に「誠」と書かれたものがあります。これには和泉守兼定がデザインされ、土方歳三の格言があるのです。

また、時期によりますが、同じくピンクの地に沖田総司の愛刀加州清光がデザインされたものもあり、こちらも刀剣乱舞ファンに人気だそうです。刀剣乱舞ファンで壬生寺に行く際には、これらがあるかどうか確認してみることをおすすめします。

京都・壬生寺は新撰組ゆかりの地!御朱印や歴史など見どころを紹介! | 旅行ガイドTravelNote[トラベルノート]のイメージ
京都・壬生寺は新撰組ゆかりの地!御朱印や歴史など見どころを紹介! | 旅行ガイドTravelNote[トラベルノート]
幕末の志士・新撰組の駐屯地は京都・壬生の町にありました。京都にある壬生寺は、新撰組隊士たちの訓練場として使われた歴史のあるお寺です。壬生寺には言葉を発しない珍しい舞台「壬生狂言」も有名です。今回は京都の壬生寺の歴史や御朱印など見どころをご紹介いたします。

8:刀剣乱舞の京都聖地巡礼スポット【大覚寺】見出し

Photo by Kyoto-Picture

京都市右京区にある「大覚寺」は嵯峨天皇の離宮を寺にしたところで、皇室ゆかりの寺として知られています。また、時代劇の撮影が多く行われる太秦にも近く、ドラマや映画のロケ地としても使われました。ここにある大沢池は嵯峨天皇が築造した日本最古の庭池とされています。

鎌倉後期から南北朝期にかけ、皇位には二つの系統が交互に就いていたことがあります(両統迭立)。その際の片方は、この大覚寺で院政を行った後宇多法皇の系統だったので「大覚寺統」と呼ばれました。

膝丸を所有する聖地

Photo by Tetsuhiro Terada

京都の大覚寺は、刀剣乱舞の「膝丸」を所蔵しています。膝丸は重要文化財に指定されており、源氏に代々受け継がれてきたと言われます。「薄緑」という名前は、あの源義経によってつけられたそうです。

所蔵しているということもあって、いわゆる「名宝展」などを行うときには展示に出されることもあり、多くの刀剣乱舞ファンが訪れ人気だそうです。また「膝丸」をモチーフにした塗香などの授与品などもあるそうで、こちらも刀剣乱舞ファンに人気となっています。

授与される御朱印

Photo by ippoippo

京都大覚寺の御朱印は通常のもののほか、時期によって限定御朱印も多くあるため、御朱印巡りを楽しむ方にも人気となっています。その中で「刀剣乱舞」ファンに特におすすめしたいのは、膝丸の展示に合わせて授与される「特別御朱印」です。

この御朱印は緑地に御朱印が捺され、金で「膝丸」「京都大覚寺」の文字と日付が入るもので、限定品となっています。また時期によってはデザインなどに違いがある場合もあります。刀剣乱舞ファンの方は、膝丸の展示がいつか確認してぜひ行ってみましょう。

9:刀剣乱舞の京都聖地巡礼スポット【合槌稲荷神社】見出し

Photo by Richard, enjoy my life!

最初に紹介した粟田神社と三条通りをはさんで向かい側にある「合槌稲荷神社」は、民家と民家の間に鳥居があるということで、あまり目立たない神社です。観光で来る方にはあまり知られていないのですが、刀剣乱舞ファンの方にとっては見逃せないスポットです。

小狐丸ゆかりの聖地

Photo by cyesuta

稲荷神社ということでぴんと来た方もいるかもしれません。こちらは「伏見稲荷大社」と同様に刀剣乱舞の「小狐丸」の聖地として知られています。しかもこちらは、なんとここで刀を作ったと言われているのです。

先ほど紹介したように、三条宗近は天皇からの依頼で刀を作ることになりました。稲荷大社に祈願したところ、狐がやってきて、刀の「合槌」を打ってくれたのです。おかげで素晴らしい刀ができました。これが「小狐丸」なのです。このお稲荷さんを祀るので「合槌稲荷神社」なのです。

授与される御朱印

Photo by cyesuta

このように小さな神社であることもあって、合槌稲荷神社では最近になって御朱印の授与が行われるようになりました。ただし、授与しているのは向かいの粟田神社で、書き置きのみとなります。

合槌稲荷神社の御朱印は「合槌」と入った御朱印が中央に捺され、下には狐の絵、そして左上に小狐丸らしい刀の絵が入っているものです。また横にはそのゆかりについて記入されるので、その点でも刀剣乱舞のファンの方におすすめです。

10:刀剣乱舞の京都聖地巡礼スポット【本能寺】見出し

Photo by masato_photo

今さら言うまでもない、織田信長が最期を遂げた「本能寺」は、京都市中京区にあります。ただ、現在の所在地は、本能寺の変の後で豊臣秀吉の命によって移転した場所であり、もともとは1992年に廃校となった本能小学校のあたりにありました。

廃校後、その場所を発掘したところ、その当時の遺構や本能寺の変のときに焼けた瓦などが出てきて話題となりました。この跡地は現在学校やカフェなどになっています。その場所を示す石柱はあるので、刀剣乱舞が好きな方はぜひ探してみてください。

宗三左文字と薬研藤四郎ゆかりの聖地

Photo by masato_photo

織田信長は刀が好きだったそうで、さまざまな刀を所持していたことが知られています。先ほど紹介しましたが、宗三左文字は桶狭間の戦いで今川義元から信長の手にわたり、茎に信長の名前と義元から手に入れた宗の金象嵌銘を入れたと言われます。

また薬研藤四郎は本能寺の変の際に焼け落ちたとも、秀吉を経て徳川家にわたったとも言われているなど、どちらも本能寺の変の際に信長の手元にあったと言われている刀です。いずれにしても刀剣乱舞に出てくる刀がこの場所で本能寺の変を体験していたとされています。

授与される御朱印

Photo by Richard, enjoy my life!

本能寺でも御朱印をいただくことができます。織田家の家紋をデザインしたものや「本能寺印」というものなど、4つの御朱印が捺され、「妙法 法華宗」「都」「大本山本能寺」などの文字が揮毫されたものです。なんといっても本能寺ですから、刀剣乱舞、歴史ファンには見逃せません。

また、同様に織田家の家紋などをあしらったオリジナル御朱印帳などもあります。特に家紋があしらわれているものは人気があり、揃いの御朱印帳袋もあります。性別を問わず持ちやすい御朱印帳となっています。

聖地巡礼におすすめのきっぷ見出し

Photo by hans-johnson

京都では不定期に「刀剣乱舞スタンプラリー」が行われています。刀剣乱舞に関係がある指定されたいくつかの寺社を巡り、御朱印を集め終えるとプレゼントがもらえるというもので、台紙さえもらえれば一日で回りきらなくても大丈夫です。

この刀剣乱舞スタンプラリーもそうですが、京都で聖地巡礼をするならば、1日乗車券を利用するのがおすすめです。今回紹介したところはすべて京都市内なので、場所によって京都市営地下鉄や京都市バス、京都バスをうまく組み合わせて回るとよいでしょう。地下鉄のみ、バスのみ、両方と組み合わせもいろいろあります。

刀剣乱舞ファンなら京都のゆかりの地を訪ねよう!見出し

Photo by f999999_key

京都は歴史の宝庫ということで、刀剣乱舞に関係する寺社も多くあります。刀剣乱舞が人気となったことでファンの方も多く訪れるようになりました。刀剣乱舞スタンプラリーなどを行っていることもあるので、タイミングが合えばぜひそちらも楽しみながら、京都の刀剣乱舞の聖地巡礼をしてみてはいかがでしょうか。

投稿日: 2019年6月15日最終更新日: 2020年10月8日

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