この記事の目次
現代に蘇ったローマの栄華!
イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市"ポンペイ"には平和な暮らしと高い文明がありました。しかし79年に起こったヴェスヴィオ火山の大噴火によりポンペイは一瞬にして"死の街"と化し、火砕流はポンペイの街のすべてを飲み込みました。その後1700年以上の時を超えて、火砕流の下に眠っていたポンペイの街が発見されました。こちらではそんなポンペイ遺跡の悲劇と奇跡についてご紹介していきます。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡①:ポンペイ遺跡
【かっこいいラテン語】
— 読書猿『アイデア大全』6刷&電書化 (@kurubushi_rm) October 2, 2016
Pax Romana
パクス・ロマーナ
「ローマの平和」
ローマ帝国の支配領域(地中海世界)内における平和を指す語。
エドワード・ギボンが『ローマ帝国衰亡史』のなかで五賢帝の時代を「人類史上もっとも幸福な時代」と評し、こう呼んだことから一般に広まった。 pic.twitter.com/VwxDLYKDlU
イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市ポンペイは"パックス・ロマーナ"と呼ばれるローマ帝国の支配のもとの平和と高い文明で栄えており、ローマ人の余暇地として繁栄しました。ポンペイの最盛期の人口は約2万人といわれています。ポンペイ遺跡は18世紀に発見され、1997年」にその遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」の主要部分として、ユネスコの世界遺産に登録されました。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡②:ポンペイの歴史
紀元前100年前後のイタリアでは、ローマが強大な勢力でイタリア半島を支配していくなか、カンパニアの諸都市がローマに対して反旗を翻すと、ポンペイも反ローマ側加わったが紀元前89年にポンペイは征服され、ローマの植民地となりました。ローマの支配下に入った後のポンペイの正式名はColonia Cornelia Veneria Pompeianorum(ポンペイ人によるウェヌス女神に献呈されたコルネリウスの植民市)です。
ローマ帝国へ https://t.co/e2anlWhDsN
— 世界の歴史まっぷ (@joe___yabuki) July 29, 2017
内乱の一世紀の後、元老院はオクタウィウスに最高軍司令官の称号、半分の属州の総督命令権、前27年には「アウグストゥス」の称号を付与した。彼は軍事・行政・司法の全分野の国政をひきうけた。共和政は完全に終わり帝政が始まる。 pic.twitter.com/qSSP8fq0WD
しかしながらローマに支配下に置いて、"パクス・ロマーナ"という平和と秩序がある時代(紀元前27年から紀元後180年)が到来し、ポンペイは港に届いたローマへの荷物を近くのアッピア街道に運ぶための重要な拠点となり、以後は商業都市として繁栄をすることになります。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡③:ポンペイの悲劇”大地震”
The most spectacular ruins of Pompeii:Casa dei Vettii,renovated after the earthquake of 62 a.d.;Forum Pompei pic.twitter.com/dL9jreUZnA
— Baluteanu Anka (@AncaBaluteanu) February 9, 2016
"パクス・ロマーナ"によって平和と高い文明がもたらされたポンペイの人々に二つの悲劇が起こります。一つ目は62年に起きた大地震でした。多くの死傷者が出て多くの建造物が崩壊してしまいましたが、ポンペイの人々は「人々は自分達の街を以前より一層美しく。」を目標に修復に励み、以前より立派なたてものを立て直しました。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡④:ポンペイの悲劇”ヴェスヴィオ火山大噴火”
当時栄華を誇った古代都市ポンペイの悲劇は続きます。修復作業も未完成であった79年8月24日午後1時、街のどこからでも見える標高1200Mほどの"ヴェスヴィオ火山"が大噴火したのです。最初の水蒸気マグマ噴火が生じた後,火口から巨大な噴煙が立ちのぼりました。この噴煙は風に乗りポンペイの町に大量の2メートルもの大量の火山灰を積もらせました。そして8月25日の未明、火砕流が発生したのです。
大量の火砕流はヴェスヴィオ火山の西斜面と南斜面を流れ下りポンペイの隣のヘルクラネウムの街を全滅させ、さらに25日の朝に南斜面をやや規模の大きな火砕流が流れ下り一瞬にしてポンペイの街を飲み込み9km先のナポリ湾まで流れ込みました。人口2万人のポンペイの犠牲者は2000人と言われており、火砕流のスピードは時速100kmと言われていますからわずか5から6分ほどで町全体を飲み込んだことになります。
その後噴火は徐々に衰えを見せますが数日間続きました。この79年噴火で噴出したマグマの量は,およそ4立方kmと推定されていおりその火山灰はイタリア半島だけでなく、北アフリカや中東にまで及ぶ大規模な噴火でした。ちなみにローマの歴史においてこのヴェスヴィオ火山大噴火は大変有名であり、東京ディズニーシーのシンボルであるプロメテウス火山はこのヴェスヴィオ火山をモデルにしています。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡⑤:忘れられた都市
火山の噴火が収まった後、当時絶大な力を持っていたローマ帝国により、周辺の街の復興が行われましたが、ポンペイやヘルクラネウムに関しては断念され、ポンペイは歴史の中で忘れ去られ、一晩にして街がなくなってしまったため、その存在すらも言い伝えられているだけで"定かではないもの"とされてしまっていました。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡⑥:蘇るポンペイ
その後埋もれた古代都市の上に新たな街が再建されることはありませんでしたが、しばしば古代ローマの物が発掘されることから、地下に都市が埋まっているということは知られていましたが昔のことなので、長い歴史のなかで消滅していると思われていました。
朝起きたらフライトがキャンセルされていて、ナポリに着いたのは夕方でした。とほほ
— ハナエ (@hanaeen) June 7, 2017
滑り込みポンペイの遺跡を見に行く。こんな街が一晩で灰に埋もれたなんて。 pic.twitter.com/EIeSxpsb7t
火山の噴火から約1700年の歴史を経て、1748年に"眠った街ポンペイ"建造物の完全な形や壁画を発掘するために本格的な発掘が始まりました。するとそこにはローマの高い文明や生活がうかがい知れる建造物や壁画などの芸術作品、街並みがまるで"時を止めた"ままに残っていたのです。またその文明の高さは世界が驚愕するほどの常識を覆すようなものばかりでした。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡⑦:ポンペイの街並み
古代都市ポンペイが栄華を誇った約2000年前、日本は弥生時代でした。弥生時代と言えば日本は土器や高床式の倉庫を作っていいた時代です。そのころ現在のイタリア・ナポリ近郊にあったポンペイにはすでに区画整理された住宅街、商店街や劇場、公衆浴場、運動場、酒場、墓地などが存在していました。
石畳の大通りには車道と歩道が整備されており、さらには横断歩道のようなものまであります。馬車のスピードを落とすため、また、規定外の車輪の馬車が通れないように石がそこだけ少し高くなっているのです。
街の中には床が見事に精巧なモザイクづくりになっている遺跡もあります。コチラは身分の高い人にお家だったと思いますが、見事なモザイクづくりから当時に豪邸を想像すると、やはりポンペイの豊かさがわかる遺跡のひとつでしょう。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡⑧:ポンペイのインフラ
古代ローマ時代の水道のバルブ!今のとだいたい同じに見える。すごい!
— 河島思朗 (@vdgatta) July 28, 2017
ポンペイ出土、Valve Magazine pic.twitter.com/jAhZqZkw9Y
ポンペイの水はアヴェリーノ山東側の丘陵地のセリーノからナポリ、プテオリ方面に向けて走っていた水道橋の支流を使用していたと考えられています。そこからポンペイに流れ着いた水は「分水所」で青銅製の格子網と沈殿槽により濾過されて水道管により市民に分配されていました。
平たい石で美しく整備された道路の各所には水飲み場を見つけることができます。当時馬や人間がここで水を飲んでいました。蛇口のようなものも確認でき、この時代にこんなインフラ設備があったことに驚きます。また多くの市民はこの水飲み場を共同の水道として使用していたようですが、裕福な家には直接水道管がひかれていました。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡⑨:ポンペイの人々の生活
6つのドムス修復作業終え公開、ポンペイ遺跡 イタリア https://t.co/mPBB2PmENC pic.twitter.com/oe100g8mrC
— ネネネオ (@mokoneneneo) December 25, 2015
古代都市ポンペイの人々の生活はとても豊かなものでしたが、やはり身分はありましたし奴隷もいました。身分の高い富裕層は広い"ドムス"と呼ばれる平屋の一戸建てに住み、身分の低い者たちは3階建て程度のアパートに暮らしていました。また住居だけでなく、民衆が集まる劇場のようなばしょでも、必ず身分により席が隔てられていました。
しかしながら裕福なものも身分の低いものも食べ物にあまり違いはなく、人々はみなパンを主食にワインを飲んでいました。パンをやくかまどはもちろん、パンに関しても化石が残っており、ホールのケーキを切り分けた時のような三角の形をしたパンを食べていたようです。
また文明が高く、貨幣を扱っていた彼らはワイン1杯を1アス(1ドル程度)で売り買いしていました。ポンペイは火山の噴火前まではブドウの名産地で、出土した遺跡からもワインを運ぶための壺などが多いことからポンペイのおもな産業はワインの醸造であったと言われています。
ポンペイの落書き。グラディエーターの対決が描かれている。
— 河島思朗 (@vdgatta) June 19, 2017
KU Leuvenhttps://t.co/TOm9WAhKtR pic.twitter.com/OHJkxJ9nYE
また、ポンペイの人々の生活は壁画だけでなく壁などの落書きからもうかがい知ることができ、自分のお気に入りの拳闘士への応援メッセージや、「どこどこの酒屋はぼったくりだ」などという生々しいものもありますが、同時に驚くのは人々がラテン語を書けていたということです。ローマ帝国の識字率は高く、高い教育水準であったことがわかります。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡⑩:ポンペイの壁画
ポンペイとその周辺からは多数のフレスコ画(壁画)が発掘されました。フレスコ画というのは新鮮なという意味のイタリア語で、漆喰を壁に塗り、それの乾かないうちに水性の絵の具で直に絵を描いたものです。壁画は壁全体に描かれた大きな壁画から、絵画のように描かれた小さな壁画まで大きさはさまざまですが、ローマの絵画、生活を知る上でとても重要な作品がとても良い状態で残っていました。
ロシアからイタリアに移動し、2000年前に噴火によって地中に埋もれた古代都市ポンペイを取材しました。タイムスリップしたような美しいフレスコ画に感動しました。今回はキリストが誕生する前の芸術や文化を中心に観ていきます。#Pompei #ポンペイ#フレスコ画 pic.twitter.com/NRmAJverVe
— 宝居智子 Tomoko Hokyo (@tomokohokyo) July 29, 2017
古代都市ポンペイの壁画の様式には年代により変遷が見られ、主題も静物、風景、風俗、神話と多岐にわたっていおり、特に当時の宗教儀式の様子を描いた壁画の鮮烈な色合いは「ポンペイ・レッド」と呼ばれています。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡⑪:ポンペイの社交場
#ポンペイ 居酒屋や飲食店も豊富。ローマ帝国で一番栄えたとも言われている。交通の要衝でもあるし。ピザ窯の原型かなあ? pic.twitter.com/L4BIef0Z3g
— おこりんぼQchan (@mbhms4PgbVDfNFO) June 12, 2017
当時豊かだったポンペイには様々な社交場がありました。例えば現代と同じような"居酒屋"です。ワインの名産地であったポンペイですので通常のワインはもちろん、はちみつ入りにワインのお湯割りなどが提供され、つまみはナッツやフルーツ、野菜などが提供されていたそうです。
また、映画にもなった"テルマエ・ロマエ"のようにポンペイにも公衆浴場がありました。ポンペイの公衆浴場はお湯を張ったものではなかく、サウナのようなものだったそうですが、こちらも裕福な人々の社交場として大変人気があったといわれています。
公衆浴場の施設の壁は美しい彫刻が施されています。贅沢な癒しの場だったことがうかがえます。また面白いのがトイレが街の社交場になっていたようで、二人掛けのトイレの遺跡も見つかっています。また、身分社会のポンペイでしたが、このトイレに関しては奴隷も主人も同じトイレを使用することができたようで奴隷の落書きがトイレから見つかったのですが、奴隷まで字を書けたとはやはり文明の高さに驚きます。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡⑫:ポンペイの娯楽
ポンペイの壁に赤い塗料で描かれた剣闘士の闘いの広告文の模写だって。おっしゃれー(*´◒`*)1番大きなD・LVCRETIはスポンサー名、主催者のデキムス・ルクレティウス。「誰が」娯楽を提供しているかが重要ね、選挙にも関わってくるし。 pic.twitter.com/zLFwMgNkoq
— フアナ@戦魂徳川沼 (@juan1na) February 22, 2017
その当時のローマの独特の娯楽は"コロッセオ"にあったでしょう。コロッセオでは拳闘士を猛獣と戦わせたり、拳闘士同志を戦わせてることを娯楽としていました。ポンペイのコロッセオは現存する中では最古のものであり、その規模は街全体の人口と同じ2万人を収容できるほどのものです。
またポンペイにはコロッセオとはまた別の半円型の"劇場"も存在しました。身分が高い人用のなめらかな石で作られている場所と、身分の低い人用のごつごつとした石で作られた座席が印象的です。
そして何といっても忘れてはいけないのがポンペイは性におおらかな歓楽街であり、多くの売春宿等が存在していたことです。出土した多くの壁画や建造物にはその事実を示すようなものが数多く残っているために、ポンペイは現代において"快楽の都市"とも呼ばれています。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡⑬:ポンぺイ市民の恐怖
ヴェスヴィオ火山が噴火して火山灰が街に降り注ぐ中、港へ向かい逃げた人もいましたが、海からは津波が押し寄せてきたといいます。結局にっちもさっちもいかなくなったポンペイ市民は絶望の中、神に許しを乞うた者もいたでしょうが、祈りも空しく時速100キロで襲ってきた火砕流はあっという間に5メートルの深さで街全体を包み込んだのです。
1700年の時を超えて、発掘が進むと、人の形をした空洞が見つかりました。火山灰の中で息絶えた人々の亡骸は風化し無くなり、人の形をした空洞だけが残ったのです。発掘者たちはこの空洞に石膏を流しいれ、迫りくる火砕流の恐怖の中で逃げ惑う人々や祈る人、苦しみもがく犬まで再現しポンペイ遺跡に展示しました。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡⑭:ポンペイ遺跡の謎
本日8月24日は『:it:ポンペイ最後の日:volcano: 』 79年8月24日、イタリアのベスビオス火山が大噴火し、ふもとのポンペイ市を埋没させたことに由来。歴史小説家エドワード・ブルワー=リットンは、これを題材に小説『ポンペイ最後の日』を書いた。 pic.twitter.com/3h32sWiiMC
— ヨーロッパ旅行:airplane:情報部 (@euro_tour) August 23, 2016
古代都市ポンペイの1700年も前の壁画や建物がこれほどまで、史跡として貴重なものを美しい状態で現代まで残せたのにはある偶然があります。皮肉にもその鍵は火山噴火時に2Mも降り積もった火山灰と、一瞬にして5Mの深さで街を飲み込んだ火砕流でした。
降り積もった火山灰と火砕流の堆積物の中にはよく乾燥剤と使用される"シリカゲル"に近い成分が含まれていたのです。シリカゲルは湿気から壁画や建物を守り、シリカゲルで埋め尽くされた街は1700年の時を超えて古代都市ポンペイの美しさを現代まで保つことができたのです。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡⑮:ポンペイの歩き方
[イタリアレポ]6日目① この日はツアー申し込んだので南イタリア弾丸ツアー!まずはポンペイ。日本が縄文時代ん時にこんなに街が出来上がってたのかと思うと…壁の装飾とかもかなり細かくてほんと凄かった! pic.twitter.com/rRbDUQxPwh
— うめ (@umepik88) July 9, 2015
イタリア観光でポンペイ遺跡を選択することは歴史を学ぶためにはとても興味深いことですが、遺跡といえど、"街"ですので、有名な場所や見どころはやはり"ツアー"を利用したり"現地ガイド"を雇うのが効率的です。旅慣れている人やイタリア語に自信がある方、街の中を自由にうろうろしたいという方はもちろん一人で遺跡を回っても十分に楽しめると思います。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡⑯:遺跡見学の注意点
動きやすい服は当然のことですが、夏は日差しが強いので、帽子や日焼け止め、サングラスなども必須です。また、ポンペイの街は舗装されているといってもの石畳の道ですので、歩きやすい靴で行くことは当然ですね。それから水も携帯しましょう。遺跡内で水が買えるのはフォロの北側の一ヶ所だけです。それ以外で水は買えませんので、熱射病予防のためにも水を携帯していつでも飲めるような準備が必要です。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡⑰:再び動き出した"時計の針"
約1700年の間その歴史の時計の針を止めていた古代都市ポンペイは発掘されたことにより、再度時計の針を進め始めました。つまり建物の劣化、崩壊が始まったのです。そこで2014年からイタリア政府は多額の予算をかけてこの歴史的遺産の修復プロジェクトが始まりました。
ポンペイ遺跡の悲劇と奇跡⑱:映画「ポンペイ」
このポンペイの悲劇、もしくはヴェスヴィオ火山を歴史的な出来事として取り上げた映画や書籍は沢山ありますが、ポンペイ遺跡を観光されるのであればこちらの「ポンペイ」(2014年制作)の映画を見てから行くと歴史的な背景や当時の人々の生活が少し垣間見えてポンペイ観光がより印象的で刺激的な思い出になると思います。「ナイト ミュージアム(エジプト王の秘密)3」も火山噴火に関するエピソードが出てきます。
1世紀のローマの栄華に驚愕しよう!
いかがですか、一時は歴史の中で街の存在自体も忘れ去られていた古代都市ポンペイですが、発掘されたときには1世紀のローマの文明の高さに世界中がど肝を抜かれました。ローマを訪れた際にはぜひポンペイ遺跡をおとずれ、1世紀のローマにタイムスリップしてみてはいかがでしょうか。
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